『淵、その水の底』





「凉浬、ちょっと俺に付き合ってくれる?」

 フラリと現れた龍斗が、店先で出迎えた凉浬にそう言って
微笑いかけるのに。言葉に、笑顔に。トクリと高鳴った
鼓動を悟られぬよう、表情を隠しつつ。その誘いを酷く
甘美に感じながらも、店番を理由に断ろうとすれば。
「そこで、奈涸と擦れ違った。もう、じきに戻ってくる」
「え、・・・・・龍斗さんッ」
 兄である奈涸には、既に了承を得ている、ということ
なのだろうか。
 それ、は。
「でも、・・・・・ッ」
 一体、どういうつもりなのだろうと。
 凉浬が訝しげに目を細めたのを、知ってか知らずか。
「行こう」
 困惑する凉浬の手を、キュッと握って。
 駆け出そうとするのに、呆然としながら。
 繋がれた、手。
 暖かな温もりに、目眩すら感じる。
 振り解くことも出来ず、手を取られながら。
 胸、が。
 甘く、苦く。
 疼いた。



 断る余裕すら与えず連れ出され、手を引かれて。
 その間、とうとう一言も話し掛けることが出来ずに、ただ
繋いだ手にばかり、意識を奪われて。
「凉浬?」
 ようやく。
 呼ばれた声に、ハッとしたように龍斗を仰ぎ見る。
「座ろう?」
「あ、・・・はい」
 離されてしまった、手。
 離さなければ、とあんなに思っていたのに、いざ離れて
しまえば、どうしようもなく。
 残された温もりに、息苦しささえ覚えてしまうのに。
「・・・・・ここは」
 そこは。
 町外れの木立の中にある、小さな神社の境内。
 賽銭箱の手前の石段に腰を下ろす龍斗の、その隣。
 少し、だけ。
 不自然には思われない程度の、距離でそろりと座れば。
 軽く首を傾げた龍斗が、やはり変わらぬ柔らかな笑みを
浮かべて、凉浬の顔を見つめていた。
 
「あの、・・・それで、どのような御用件、なのでしょう」
 店ではなく、ここまで凉浬を誘って。
 何を。
 龍斗は。

「・・・・・ねぇ、凉浬」
 ほんの、少し。
 躊躇いがちに、龍斗が言葉を紡ぐ。
 薄く開いた、その唇の淡い朱にさえ、こんなにも目を奪わ
れてしまうのに。
「はい、何でしょう」
 それでも。
 平静を装い、その続きを促せば。
「俺は、・・・・・どうしたら良い?」
「は、い・・・?」
 それ、は。
「お前は、・・・・・どうしたい・・・?」
「龍斗、さん・・・・・」
 何を。
 言おうとしているのだろう。
「見て見ぬ振りだって、きっと出来たんだと思う・・・でも、
あまりにも・・・同じ、だから・・・」
 龍斗の言葉の示す、ものを。
 聞いたら。
 聞いてしまったら。
「奈涸と、同じ・・・目をしていた」
「ッ、・・・・・」
 聞いて。
 しまえば。
「兄、と・・・・・同じ」
 あの、目と。
 同じ。
 同じものを、求める瞳で。
 同じものを、孕んだ視線で。
「・・・・・隠してきた、つもりでした」
 見つめていた、いつも。
 龍斗の姿を。
 こんなに。
 こんなにも。
「だけど、・・・・・知られてしまった」
 あからさま、だった。
 己の。
「私の・・・気持ち」
 密やかな。
「貴方が、・・・・・好き」
 押しとどめねばと、思っていた。
「抱きしめたい・・・貴方を。この手で」
 この手、で。
「私は、貴方を・・・・・抱きたい、どうしようもなく・・・
こんな、酷く・・・浅ましい・・・私、は・・・」
 抱いて。
 触れたい。
 この人の、全てに。
 深く、深いところまで。
 この綺麗な人の中に、自身を刻み込みたい。
「それが、・・・・・ッ出来れば、私は・・・」
 兄、の。
 奈涸の、ように。
 龍斗を、抱きたいのだと。

「・・・・・苦しそうに、見えた」
 その慟哭を。
 静かに見守っていた貌は、やはりどこまでも穏やかで。
「そんな凉浬を、見ているのが・・・辛くて。だから、・・・
だからって、凉浬に答えを急がせてしまった、かもしれない。
俺は、・・・俺には、どうしたら良いのか、分からなくて」
 ああ、やはり。
 この人は、優し過ぎるのだ。
 深く澄んだ瞳を見つめながら、凉浬は膝の上の手をきつく
握りしめた。
 優しいから、だから。
 苦しくなる。
「龍斗、さん」
 その柔らかな心に。
「もし、・・・・・私が望めば」
 つけいって。
「身体を・・・・・開いてくれるのですか・・・?」
 いっそ、壊して。
 しまいそうに、なるのに。
「俺は、・・・・・奈涸が好きだよ」
「そう、ですね」
「それで、・・・それでも、凉浬は救われるの・・・?」
 そろりと頬に手を這わせれば、微かに睫毛が震える。
 龍斗が恐れているのは、自分自身に降り掛かろうとしている
情慾の波なのか、それとも。
 凉浬を追い詰めてしまったこと、への。
「元より、希望などないのでしょう」

 ならば。

「それでも、私を拒めないのなら・・・・・このまま抱かれ
続けて下さい、兄に・・・そして、私に」

 そっと龍斗の肩を押しながら、微笑んだ貌は。
 やはり、兄である男と良く似た、それで。

「私達に、・・・・・異存はありませんね、兄上にも」
「な、・・・・・」

 凉浬の肩ごし、鳥居の蔭。
 ゆるりと佇む、男。

「龍くんが、そう望むのなら・・・俺は、それに従うさ」
 足音も、なく。
 歩み寄る様を、呆然と見つめる龍斗の、その足元。
「ッ奈、涸・・・」
 跪き。
 恭しく持ち上げた足、その爪先に。
 落とされた口付けは、震える程に。
 熱く。
「君の、望むままに」
 その傍ら。
 龍斗の手を、そっと取って。
 桜色の唇が、指先に触れる。
「大切に、しますから・・・」

 言葉に、頷くように。
 龍斗は、静かに目を伏せた。






そして、3●へ(遠い目)v
やっぱ、W玄武からは逃れられないのです。
覚悟を決めねばなのです、ひーたん!!
凉浬ちゃんの誕生祝いなのに、兄がー(笑)!!