『そういう、こと』



 予想もつかない、ことだけど。
 予想出来なかった。
 ことじゃ、ない。



 朝から、品物の鑑定の為に、王子へと出かけていた。
 上がっていかないかと、引き留められたけれど。
 夕餉に間に合うように帰りたくて、また今度と断って。
 山の端に、陽が掛かりはじめる頃に。
 村へと、辿り着けば。
「ひーちゃん」
 鈴を転がすような、可愛らしい声で。
 呼ばれて、振り返れば。
 母親の、手作りであろうか。
 既にボロボロになっていたけれど、それでも大事そうに
人形を抱えた少女が。
 小首を傾げ、見上げて来るのに。
「こんにちは、ちーちゃん」
 膝を折り、視線を同じ高さにして。
 微笑って、応えれば。
 やや、恥ずかしげに。
 腕の中の人形を、ぎゅうっと抱き締めて。
 真直ぐに見つめて来る、クリクリとした大きな黒い瞳が
本当に可愛らしくて。
 ふと。
 遠い故郷に残してきた。
 少女を思い起こさせる。
「早く、お家に帰らないと・・・お母さんが心配するよ」
 小さな肩に、そっと手を乗せて。
 言い聞かせるように、瞳を覗き込めば。
「・・・・・おかあさん、だめだって言った」
「・・・・・どうしたの?」
「およめさんには、なれないって・・・」
 少女の瞳に映る、龍斗の顔が揺れて。
 みるみる、溢れた涙が。
 滑らかな頬を伝い、零れ落ちていくのに。
「ちーちゃん、泣かないで・・・」
 それを、指先で優しく拭って。
 宥めるように、頭を撫でてやれば。
「だって、だって・・・・・」
「ちーちゃんは、可愛いお嫁さんになれるよ」
 本当に。
 心から、そう思うから。
 感じたままに、伝えれば。
「ちがうの、ちがうの」
 ブンブンと、勢い良く首を振って。
 涙は、もう止まっていたけれど。
 まだ、濡れた睫毛に縁取られた瞳を。
 龍斗へと、真直ぐに向けて。
「ひーちゃん、およめさんになれないって・・・」
「・・・・・え・・・?」
 俺が。
 お嫁さん?
「ひーちゃんは、おやかたさまの、およめさんになるんだよね」
 天戒の。
 お嫁さん?
「ちょ、・・・ッちーちゃん」
 舌ったらずな口調で。
 それでも、真剣な眼差しで。
 それに。
 どう。
 応えたら、良いのだろうと。
 躊躇すれば。
「・・・・・ちがうの?」
「え、っと・・・・・」
「ひーちゃん、おやかたさまが、きらい?」
 嫌い、だなんて。
 嫌い、なはずは。
「・・・・・そんなこと、ないよ」
 哀しげに見つめてくる瞳に、微笑みかけて。
 この、澄んだ眼差しに。
 嘘は。
 つけない。
「天、・・・・・御屋形様のこと、好きだよ」
「・・・・・ほんとう?」
 そう。
 本当に。
「大好きだよ」
 偽りなく。
 彼を。
「じゃあ、およめさんになるよね」
「・・・・・」
「おやかたさまの、およめさんに・・・なるんだよね」
「・・・・・そうだね」
 好きだという気持ち。
 それだけは。
 真実だから。
 だけど。
 お嫁さん、というのは。
「御屋形様が、お嫁さんに貰ってくれたらね」
「えー、じゃあ・・・・・きいたげるー」
 苦笑しながら、応えれば。
 嬉しげに、輝かせた瞳を。
 ふと、泳がせ。
「おやかたさまー」
 龍斗の手を、擦り抜け。
 駆け出していった、先には。
「・・・・・ッ」
 夕陽より、紅く。
 燃えるような、髪の。
「おやかたさま、おやかたさまー」
 御屋形様、と呼ばれる。
 九角天戒、その人が。
 怪訝そうに、こちらを見遣って。
「佐吉のところの、千代か・・・どうしたのだ」
 駆けて来る、少女に。
 優しげな笑みを浮かべ。
 そろりと腰を落とし、頭を撫でれば。
「あのね、あのね・・・おやかたさまは、ひーちゃんを
およめさんに、もらってくださるんだよね」
「・・・・・龍を?」
 呟いて。
 顔を上げ、こちらに視線を移されれば。
 どうに、気恥ずかしくて。
 何も、言えずに。
 目を逸らしてしまえば。
 微かに、笑った気配がして。
「ねぇ、ひーちゃんを、およめさんにしたいよね」
「・・・・・そうだな」
 先程。
 自分が、応えたのと同じように。
 頷く、ものだから。
「天戒、ッ・・・・・」
 途端。
 頬を朱に染めて。
 半ば、睨むようにして見返せば。
 それを。
 受け止める、瞳は。
 柔らかく。
 暖かな光を、帯びて。
「わーい、およめさんだー」
 天戒の言葉に、少女が嬉しげに飛び跳ねるのを。
 龍斗は、呆然とを眺め。
 こっそりと、溜め息をつけば。
「だが、・・・・・龍はどうか分からぬがな」
「えー?」
「俺の嫁には、なりたくないと言うかもしれん」
 苦笑しながら。
 少女に、告げるのに。
 そんな、ことを。
 わざわざ。
「おやかたさま、そんなことしんぱいしてるの?」
 そして。
 千代と呼ばれた少女はといえば。
 クスクスと楽しげに笑いながら。
 くるりと、龍斗の方を振り返って。
「だいじょうぶだよ、ひーちゃんはね、おやかたさまのこと
だいすきだって、およめさんになりたいって」
「ち、・・・・・」
「・・・・・それは、まことか?」
 慌てて、誤魔化そうとすれば。
 少女の、無垢な瞳と。
 天戒の、やや驚いたような。
 それでいて、真摯な眼差しに。
 言葉を失って。
「ねー、そうだよねー、ひーちゃん」
 ててて、と駆け寄って。
 龍斗の着物を、小さな手で引っぱりながら。
 じっと見上げ、問いかけてくるのに。
 困ったように、天戒を見遣れば。
 応えを、待っている。
 瞳と、ぶつかるから。
「・・・・・うん」
 どうしたって。
 頷くしか、ないのだけれど。
「ね、おやかたさま」
「・・・・・ああ」
 龍斗の、答えを聞いた瞬間。
 天戒の、顔が。
 本当に。
 嬉しそうに。
 綻ぶ、から。
「・・・・・天、戒・・・」
 本当に。
 何も、言えなくなってしまって。
「さて、俺は『お嫁さん』を迎えに来たのだ・・・・・千代、
そなたも母の元に戻るが良い」
「はーい」
 ゆっくりと歩み寄った天戒に、肩を抱かれ。
 一瞬、身を固くしてしまったものの。
 きょとんとして見上げる、少女に。
 龍斗は、どうにか笑顔を見せて。
 手を振れば。
「じゃあね、おやかたさま、ひーちゃん」
 仲睦まじげな、ふたりの様子に。
 満足したように、笑って。
 手を振り、駆けていく背を。
 並んで、見送って。
「・・・・・子供に、あんなこと言って・・・・・」
 その小さな姿が見えなくなる頃。
 溜め息と共に。
 まだ、龍斗の肩をしっかりと抱いたままの、天戒に。
 ちらりと目を向け。
「どうにか、誤魔化せたみたいだけど・・・」
 呟けば。
 何処か。
 呆気に取られたような、貌が。
「俺は、偽りを申した覚えはないぞ」
 フ、と。
 唇に、笑みをしいて。
 きっぱりと、言ってのける、ものだから。
「な、ッ・・・・・」
「龍を嫁に貰えるとは、俺は果報者だな」
「ちょっと、何言って・・・・・」
 呆れ、より。
 戸惑いを露に。
 向き直り、やや見上げる形で。
「俺、男なんだけど」
「そうだな、それがどうした」
「・・・・・」
 平然と、応える様に。
 どうにも。
 落ち着かない。
 鼓動が。
 少し、その速さを増して。
「俺が生涯、連れ添うのは・・・龍、お前だと決めている」
 そんな、ことを。
 そんな、真面目な顔で。
「決めたのだ、もう」
 告げて。
 抱き締めて。
 くる、なんて。
「・・・・・無茶苦茶、言ってるよ・・・」
 腕の中に閉じ込められ、一瞬強張らせた身体を。
 ゆっくりと、吐く息と共に解いて。
 広い胸に、コトリと身を預ければ。
 抱く力が、強く。
 なって。
「側に、いてくれぬか・・・」
 ずっと。
 傍らに。
 あって欲しい、と。
 囁くように。
 降って来る、言葉。
 優しい。
 束縛。
「・・・・・嘘、は・・・嫌いだ」
「ッだから、偽りでは」
「俺が言ったことも、嘘じゃ・・・ないんだよ」
「た、つ・・・・・」
 そう。
 叶う、なら。
 ずっと。
 その、傍らに。
 共に、ありたいと。
 願った、気持ちは。
「・・・・・だから」
 『お嫁さん』に。
 して、下さいと。
 微笑って。
 告げれば。
 見下ろしてくる、瞳に。
 みるみる、歓喜の輝きが満ちて。
「・・・・・龍」
 ゆっくりと、降りて来る唇は。
 その気持ちを、代弁して。
 優しく。
 熱く。
 激しく。
「こうしては、おれぬな」
 口付けの合間に。
 呟いた、のは。
「すぐに、祝言の準備をさせねば」
「な、ッ・・・」
 冗談とも、本気ともつかぬ。
 だけど、その瞳は確固たる意志を持って
 輝いて、いるから。
「あのね、天戒・・・『お嫁さん』っていうのは、ものの
例えであって、・・・・・」
「祝言は、あげたくないと?」
「そういう問題じゃ、なくってね」
 深々と溜め息をつけば。
「・・・・・まあ、今は色々と慌ただしいからな」
 色々と、というか。
 鬼道衆の、本来の目的というものが。
 とりあえず、納得したのか、否か。
 今すぐに、白無垢を着せられるような事は、なさそうで。
「・・・実(じつ)を取るか」
 ホッとしたのも、つかの間。
 何やら、思案しつつ。
 ボソリと呟かれた、言葉に。
 本能、というものだろうか。
 慌てて、身を離そうとすれば。
 しっかりと、抱き込まれ。
 逃れる事は、叶わず。
「て、・・・天戒・・・?」
 おそるおそる。
 顔を覗き込めば。
 そこに、在るのは。
 鬼の頭目、ではなく。
 ただひとりの、男としての。
 九角天戒、で。
「今宵、夫婦(めおと)としての契り、・・・交わそうぞ」
 見愡れる程の、笑みで。
 低く、耳元に響かせる、声で。
 ゆっくりと。
 確かに。
 捕らえる。
 捕らえ、られる。
「・・・・・良いな、龍」
 否、とは。
 言えるはずも。
「・・・・・ふつつか者ですが」
 だって。
 望んだのは。
 彼、だけでは。
 ないのだから。


 とりあえず。
 龍斗の希望で、夕餉はしっかりと取って。
 その後。
 何処から何を聞き付けたのか。
 桔梗が、喜々として湯浴みを手伝い。
 何時用意したのか。
 真っ白な、夜の装束を。
 鼻歌混じりで、龍斗に着せ付けるのを。
 九桐は、やや苦笑しながら。
 風祭は、何やら憤慨しながら。
 そして、他の仲間の動向は。
 夕餉の後、知れず。

「これじゃ、いかにも今夜そういうコトをします、って
言ってるようなもんじゃないか・・・ッ」
「あらやだよ、たーさん・・・その通りじゃないか」
 恥ずかしがる様も、そそるねぇと。
 整えられた帯を、ポンポンと叩かれて。
「ささ、天戒様が首を長ーくして、お待ちだよ」
 導かれるまま。
 天戒の寝所へと向かう足取りは、重く。

「・・・・・こんな、はずじゃ・・・」

 何かが違う、と困惑しつつも。
 それでも。
 やはり。

 好きなのだから。
 しょうがない。




・・・・・天然(呆然)・・・??
御屋形様、止まりません・・・・・(遠い目)。
ひーたん、天戒のお嫁さんかぁ・・・・・
ナニやら、悔しい思いもしつつ(ハンカチ噛み締め)。
他の仲間の動向が、無気味に気にかかります(怯)。