『その全てで』



 そこに在るものが。
 その、全てだと。

 片腕を失って。
 全く不自由がないのかと問われれば、そうだとも
言い切れない。
 だが、これまでの所は。さして、日常生活に著しく
支障が出るということもなく。もっとも、それは隠れた
努力の成果でも有るのだが。
 それでも。
 今在る自分が全てだと。
 そう、思っていた。
 敢えて意識するまでもなく、そのように生きてきた。
 これからも。

 その、はずであった。


「こだわりだね」
 その日も。
 このところ、毎日のように龍斗は弥勒の作業場に
通い詰めていた。
 面を打っている時の弥勒は、誰が訪れようと別段
気に留めた様子もなく。ただ、無心に鑿を打ち続ける。
 それを。
 その様子を、龍斗は眺めている。
 黙ったまま。
 特に面白いことなどないと思うのだが、いつだったか
それを問うてみても、柔らかく笑って。

 ここが、好きなのだと。
 だから、ここに居させて欲しいと。

 龍斗が傍らに居ても、その気配が煩わしく感じることは
なかったし。
 むしろ。
 心地良い、氣に。
 不思議と、安堵さえ覚えた。

 好きにすれば良い。

 そう、答えれば。フワリと嬉しそうな笑みを浮かべて。
 その顔を見ているだけで、心が暖かくなる。
 自分も。いつしか、ぎごちなくも、笑みを返して。
 己の変化に驚きながらも、それは決して不快なものではなく。
 当たり前のように。
 極自然に、時間を過ごした。


 そして。
 そのうちに、夕餉も共に取るようになって。
 米を研ぐのに、弥勒はいつも山から湧き出る清水を使うのが
常であって。
 今日も、ふたりで水を汲みに、山に入る。
「でも、ここの水は美味しいから・・・御飯も美味しく炊けるね」
 フフ、と笑いながら軽やかな足取りで、山道を駆け登っていく。
 湧き水が出ているところは、人が踏み慣れた道から少し逸れた、
道らしい道すらない場所にあるのだが。それを苦にすることもなく
スイスイと登っていく、龍斗を。
 数歩、後ろから。
 その背を追うように、弥勒は小枝の混じる、やや水気を含んだ土を
踏み締め。
「・・・・・前を見て歩け。でないと・・・・・」
「平気、もうここは通い慣れ・・・・・・ッ」
 言った傍から。
 先日の雨で、表面の土が流されてしまったのか、半ば姿を現して
いた、大木の根に。
 見事に、躓いて。
「龍・・・・・・ッ」
 咄嗟に。
 よろめいた身体を、抱きとめようと。
 伸ばそうとした、腕は。
「・・・・・・・ッ ! 」
 届かない、まま。
 受け身の体勢は取っていたものの、座り込んでしまった龍斗を
ただ、茫然と。
 見下ろして。
「・・・・・弥勒の言ったとおりだね」
 肩を竦め、ペロリと舌を出して。
 幸い、怪我もしていないようで、すぐに立ち上がり、服についた
土やら木屑やらをパタパタと払いながら。
「・・・・・大丈夫、だよ」
 立ち尽くす、弥勒に。
 心配ないから、と微笑みかけて。
 そしてまた、くるりと背を向けて。何事もなかったように歩き出す。
 その、背を。
 未だ、放心したまま。
「・・・・・」
 届かなかった。
 彼を、抱きとめることが。
 この、腕は。
 彼を、抱くことは。
「・・・・・龍、さん・・・・・」
 歩いていく後ろ姿を見つめる、その瞳に。
 ゆらりと、宿ったのは。
 忘れていた。
 忘れ去っていた、はずの。
 それは。
「・・・弥勒?」
 ついて来ない様子に、龍斗は怪訝そうに振り向こうと、して。
「・・・・・ッ!?」
 不意に。
 そのまま、目の前の大木に。
 挟み込まれるように、弥勒の身体でもって押し付けられて。
 突然の圧迫感に肺が悲鳴を上げ、ゲホゲホと激しく咳き込みながら。
「・・・ッみ、ろ・・・・く・・ッ?」
 肩越し。
 振り返ろうとして。
「・・・・・ッな・・・・」
 スルリと。
 脇腹を辿る、手の感触に。思わず、身を固くする。
「な、に・・・・・?」
 手はゆっくりと、下肢に伸ばされ。
 そして、明らかに意志を持って。
 龍斗の、敏感な部分にそろりと触れる。
「・・・・い、や・・・・」
 知らず、震える身体。
 下腹部に集まっていく、熱に。
 目眩すら、感じて。
 やがて、器用にずらされた下着の隙間から。
 既に、衣服越しに。感じて取れた、昂りを。
 圧し当てられて。
「や、いや・・・・弥勒、弥勒・・・・・ッ」
 縫い留められた力は、思った以上に強くて。
 突然のことに、動揺を隠せないままの、小刻みに震える身体を、
強引に。
「い、やァ・・・・・・・ッ」
 ろくに慣らさないまま。
 無理矢理、切り拓いて。
 引き裂かれる苦痛に、上げる悲鳴も。
 貫いた衝撃に全身が強張り、時折痙攣するようにヒクリと震える
のも意に留めず。
 狭いそこに、捩じ込むように。
 乱暴に、何度も突き上げて。
「いや・・・ッい、や・・・・ア・・・あァ・・・ッう・・・ん」
 啜り泣く声に、いつしか混ざり始めた微かな快楽の色も。
 弥勒には。
 もはや、どうでもいいことで。
 ただ。
 こちらを、見ないでくれと。
 どうか、振り向かないでくれ、と。
 縋るような思いで。
 激しく、打ち付け。
 やがて彼の中で、果てて。
 ほぼ同時に自身も解放したらしい龍斗の身体が、ゆっくりと
弛緩して、太い幹に縋り付くようにして沈んでいくのを。
 激しい耳鳴りに眩む意識の中、見下ろして。
 そして、そこから。
 逃げるようにして。
 彼を置き去りにして、山を駆け降りた。



 途中、誰にも出くわすことなく。
 今の自分が、どんな形相をしているのか、考えるのも恐ろしくて。
 他人に見とがめられなかったことに、少しの安堵を覚えながら、
作業場兼住居へと、辿り着き。
 倒れ込むように、板の間に膝をつけば。
 そこには。
 彫り掛けの、面がひとつ。
「・・・・・ッ」
 それを、ひったくるように手元に据え付けて。
 取り出した鑿で。
 ただ、ひたすら。
 狂ったように、その面を。
 穿ち、続けて。
「・・・・・くッ」
 その、激しさに。
 ガツンと、嫌な音を立てて。
 縦に、一筋の亀裂が。
 くっきりと、現れ出て。
「・・・・・哀しい、面(おもて)だね」
 不意に。
 掛けられた声、に。
 ビクリと肩を揺らし、息を飲んで仰ぎ見れば。
「・・・・・た、つ・・・・」
 つい、先刻まで。
 この、手で。
 犯し。
 汚した。
「・・・み、ろく」
 まだ、その声は不自然に掠れていて。
 目は、泣き腫らして赤く染まり。
 そして。下肢に伝う、生々しい陵辱の痕。
「弥勒・・・」
「・・・・・見るな」
 今の、自分を。
 顔を。
 この、どす黒い感情が吹き出した、どんなにか恐ろしい顔を。
 どうか、見ないでくれと。
「・・・・・どうして」
「・・・ッ分からないと言うのか・・・!?」
 それは、悲鳴にも似て。
 顔を逸らしたまま。
 龍斗が、立ち去るのを。
「・・・・・分かるよ」
 だけど。
「ずっと、弥勒は・・・・・・」
 
   泣いていたんだね。

「・・・な・・・」
 いつのまに、距離を縮めていたのだろう。
 すぐ、耳元で。
 声と。
 そして、背中から抱きすくめられて。
「こうして・・・・抱き締めたかったのに」
 温もりと。変わることなく柔らかい、彼の氣に。
 包まれて。
「ちゃんと、顔を見て・・・・・欲しかったのに・・・そしたら
きっと、弥勒も分かったのに・・・・」

   どんなに。
   俺が。
   弥勒、を。

「・・・・酷いことを、した・・・のに・・・・」
「俺が辛かったのは・・・弥勒が、俺と真直ぐに向き合おうと
してくれなかったこと、だよ」
 それが、哀しくて。
 痛くて。
 泣いていたんだと。
 告げられて。
「・・・・ッ」
 頬を、伝うもの。
 これは。
「俺が知ってるのは・・・今の、弥勒だから・・・だから、ね。
このままで、いいから・・・このままの弥勒が、良いんだから」
 それだけは。
 知って、いて。
「・・・・・龍さん・・・」
 溢れるものを、拭いもせずに振り向けば。
 近付いてきた唇に、それは取り払われて。
「やっと、こっち見てくれた」
 極、至近距離。
 視界いっぱいの、その笑顔は。
 これまで見たどの顔よりも、輝いていて。
「・・・・美しい、な」
 呟けば。
 その貌は、ゆっくりとまた。
 新しい、彩りをのせて。
 そっと、倒した胸の上にのし掛かるようにして。
 見下ろす、その表情は。
 おそらく、それは。
「・・・・・この貌を、俺だけのものにしたいと言ったら・・・」
 滑らかな頬に、手を這わせて。
 そう、口にすれば。
 満足げに、微笑んで。
「なら・・・俺のこと、ちゃんと見て・・・・・抱いて」
 囁くように。
 吐息混じりのそれに、高鳴る鼓動を。
 脈打つ、それを。
 残滓に濡れる、内へと。
 ゆっくりと、導いて。

 もう。
 目を逸らすことなど、許さないと。
 もう。
 目を逸らすことなど、出来はしないと。

 そして。
 彼の揺れる瞳の中、映った顔は。
 真直ぐに、自らをも見つめていて。

 ああ、こんなにも。
 満たされて、いる。
 そして。
 満たして、いる。

 今。ここに在るものが。
 全て。
 その、全てで。
 君、を。




10000のカウンターキリ番(ニアピン)を踏まれた、上総実様
リクエストの『弥勒×龍斗のSS』でございます(微笑)。
・・・・・しっかり裏に持ってきてしまいました・・・。
とはいえ、そんな露骨なアレはないですけど(汗)。
龍斗が好きなのは、「弥勒」であって、それ以上でも
それ以下でもないのです。それは揺るがない事実。