『深淵』



 その、時が来たら。
 俺を。
 抱いて。


「・・・・・覚えて、いるよ」
 かつて。
 ふたり、共に鬼道衆を名乗っていた時。
 幾度となく、触れ。
 重ねた、身体。
「あの時は、知らないと言った・・・・・確かに
君のことを、忘れてしまっていた」
 比良坂という少女の力により。
 戻された、時間。
 過ごした日々は、夢幻の如く。
 龍斗、だけが。
 心に。
 留め。
「だが、・・・・・時は来た、から」
 陰と陽が、交わり。
 重なる、記憶。
 身体。
「・・・・・奈涸」
 確かめるように、名を呼ぶ唇は。
 既に、紅く染まり。
 濡れて。
 薄闇に咲く、華が。
 誘う、から。
「君を、・・・・・抱く」
 耳朶をくすぐるように、囁けば。
 しなやかな腕が、応えるように背に回されて。
「待ってた、ずっと・・・・・」
 手、は。
 未だ着物を脱がぬままの背を、きつく。
 かき抱き。
 離さない、と。
 訴えている、から。
「離す訳が、ないだろう」
 こうして再び、龍斗に触れれば。
 身を焦がす、愛おしさと。
 恐ろしい程の、飢えに。
 性急に、身体を押し開き。
 己の熱を。
 もっと熱い、場所に。
 埋め込んで。
 揺さぶり、擦り上げて。
 彼を。
 深く、深く。
 感じたい。
 逸る情動を、どうにか抑え。
 ゆっくりと。
 確かめるように。
 唇に。
 首筋に。
 胸元に。
 脇腹に。
 手に。
 大腿に。
 身体中。
 雨のように、口付けを降らせ。
 その度に、震え。
 悦びの溜め息を零す様に。
 自らも、限界まで高められていく。
 けれども。
「・・・・・」
「な、がれ・・・・・?」
 ふと、肌を辿っていた熱い手が。
 その動きを止め。
 惜しみなく与えられる優しい愛撫に、うっとりと身を
委ねていた龍斗は。
 仰ぎ見た奈涸の貌が。
 何処か、考え込むように。
 やがて、探るように見下ろして来る瞳の。
 眼光の、鋭さに。
 知らず、身を震わせて。
「・・・・・奈涸・・・?」
「君、は・・・・・」
 不安げに、名を呼べば。
 掠れた、声は。
 欲に染められた故か、それとも。
「俺だけだと、・・・・・言ったな」
「・・・・・そう、だよ」
 奈涸、だけ。
 抱かれたのは。
 後にも先にも。
 抱かれるのは、奈涸だけだと。
「・・・・・嘘つきだな、君の唇は」
「ッなが、れ・・・・・」
 濡れた唇に、指を這わせ。
 そして。
「だが、・・・・・こちらの口は、どうかな」
「な、ッ・・・あ、あああァ・・・ッ」
 緩やかに解されていた、蕾は。
 押し当てられた灼熱の塊を、すぐに。
 強引な挿入にも、傷付くことなく。
 むしろ。
 嬉しげに、雄を咥え。
 より、深くにと。
 飲み込もうと、咀嚼するように。
 内壁を、震わせるのに。
「君の身体は・・・・・俺が一番良く知っている」
 ゆるりと腰を使えば。
 待ち望んでいた刺激に、自然、龍斗の腰が揺れ。
 自らも、快楽を追おうとするのを。
 目を細め、見遣りながら。
「だから、・・・・・隠しても、無駄だ」
「・・・・・ッ」
 グ、と。
 抉るように、最奥を突き上げ。
 その、まま。
「ここ、に・・・・・俺以外の誰を、咥え込んだ?」
 動きを、止め。
 見下ろせば。
 言葉と、肉剣に。
 心と身体を貫かれ。
 衝撃と、驚愕に。
 潤む瞳が、大きく見開かれて。
「誰、も・・・・・」
「俺を、誤魔化せると思うな」
 あくまで。
 自らは、動くことなく。
 中途半端な快楽に、龍斗は身を捩ろうとするけれど。
 見据える、冴えた眼光に。
 射抜かれ。
 ただ、震えるばかりで。
「・・・俺だけだと言いながら・・・・・誰に、ここを
可愛がって貰ったんだ?」
 根元まで、突き込まれ。
 繋がりあう、接点の。
 薄い、皮膚を。
 そろりと、指先で撫でれば。
 刺激に。
 目尻から。
 そして、張り詰めた龍斗自身からも。
 涙が、零れ落ちるのを。
 表情もなく、眺め。
「誰を、・・・・・悦ばせた?」
「私です」
 不意に。
 音もなく、開け放たれた襖。
 その、向こうに。
 膝をつき、呆然とする2人の男を見遣るのは。
 名の通り、涼やかな、貌の。
「・・・・・凉浬」
「久方ぶりの逢瀬を、愉しんでおられるかと思えば・・・
可哀想に、・・・・・龍斗さん」
「ッ、・・・・・」
 慈しむような、微笑みに。
 向けられた龍斗は、苦しげな表情を浮かべ。
 顔を、背ける様子に。
 羞恥以外の。
 何か、を。
「凉浬、・・・・・先程の言葉は」
「ですから、私が・・・・・龍斗さんを」
 うっすらと浮かべた笑みは。
 偽りの色は、なく。
「悦ばせて差し上げておりました・・・・・ずっと、
・・・・・兄上、貴方の代わりに」
「な、んだと・・・・・?」
 剣呑な視線にも、動じた様子もなく。
 凉浬は、脇に差していた小太刀を、おもむろに手に取り。
 す、と奈涸の前に押し出して。
「これ、は」
 いつも、凉浬が携えているものでは、ない。
 この、小太刀は。
「以前、兄上が私に下さったものです・・・覚えておられ
ますか?」
 そういえば、と。
 見覚えの有る、刀身に頷いて。
 ゆっくりと、手を伸ばし。
 柄に、触れて。
「・・・・・まさ、か・・・」
 微かに残る。
 かつての所有者である、奈涸の氣。
 そして。
「・・・・・気付かれましたか?」
 穏やかな笑みを、たたえたままの妹を。
 驚愕に、見開かれた瞳が捕らえ。
「これを、彼に・・・・・?」
 喉の奥から絞り出すような声に。
 凉浬は、ゆるりと唇の端を上げ。
「兄上の氣が残る、この刀身を・・・龍斗さんは、それは
嬉しそうに・・・・・兄上の声色を写して耳元で囁けば、
切なげに身を震わせて・・・・・」
 何処か。
 恍惚とした妹の表情に。
 奈涸は、苦いものを噛み潰したような貌を向け。
「・・・・・どういう、つもりだ」
 低い声色は。
 戸惑いと。
 憤りと。
「嫉妬、なさいますか」
 見透かしたような、言葉に。
 ピクリと、頬を引き攣らせれば。
 ゆっくりと、膝で擦り寄った凉浬が。
 傍らに置かれた小太刀を、そっと手に取り。
 その鞘の先端で。
 顔を背けたままの龍斗の首筋を、するりと撫でれば。
「・・・・・ッ」
 途端、身を震わせ。
 振り返ってしまった視線は。
 凉浬と。
 凉浬が捧げ持つ小太刀と。
 そして、固い表情の奈涸の間を。
 彷徨うように。
「ずっと、・・・・・呼んでいましたね」
 笑みが。
 凉浬の口元から、消える。
「兄上の名を・・・・・ずっと、ずっと切なげに・・・
だから・・・それでも、私は・・・『奈涸』を演じ続けた」
 それ、は。
 笑みを消し。
 真直ぐに。
 兄と呼ぶ男を見据える瞳に宿る、ものは。
 紛れもなく。
「・・・・・私、が・・・欲しかった・・・・・もの」
 手に入れる事は。
 叶わぬ。
 愛おしい。
 人。
「・・・・・それを、手にしながら・・・・・」
 身も心も。
 全て。
 他の男の、もの。
 自分に最も近しい、兄である男の。
「龍斗さんが、望むなら・・・・・私は、兄を殺します。
忍びの掟に於いてではなく、凉浬という1人の人間として」
 きっと。
 躊躇いもなく。
 貴方が。
 それを、望むのなら。
「だけど、・・・・・貴方は、この男を必要としている」
 望むの、なら。
 どんな、ことだって。
 耐えて、いける。
「兄上、も・・・・・そうなのでしょう?」
 ゆるりと合わせられた視線を。
 受け止め。
 真直ぐに、見つめ返して。
「彼が必要だ・・・・・愛おしくて、気が狂いそうな程に」
 そして。
 兄妹のやりとりを、じっと見つめていた双眸の。
 その間に、そっと落とした口付けは。
 どこまでも。
 優しく。
「君が、俺だけを求めているように・・・俺も、君だけを」
 龍斗へと、告げて。
 傍らに座す、凉浬を見遣れば。
 フワリと。
 笑んだ、貌は。
 愛しさと。
 切なさと。
 龍斗に。
 微かな、淋しさの色を。
 隠して。
「・・・・・お幸せに」
 小太刀を手に。
 振り返る事無く、部屋を出る。
 もう、必要のない、これは。
 何処かに、埋めてしまおう。
 この、狂おしい想いと共に。
 深く。
 そう、決めて。

「・・・・・泣かせちゃ、駄目だよ」
 閉ざされた襖の向こう。
 凉浬が消えた方を、瞬きもせずに見つめていた龍斗が。
 ポツリと。
 呟くのに。
「それは、・・・・・」
「俺の弱さも・・・・・傷付けてしまった、けれど」
 それでも。
 大切な、ひとが。
 望むのなら。
 その望み、なら。
「・・・・・ずっと、奈涸が欲しかったよ」
 ずっと、呼んでた。
「俺も、・・・・・君が欲しいよ」
 ずっと、求めてた。
 だから。
 ずっと。
 ずっと。
「抱いて、て・・・・・」
 触れ合えなかった、時間より。
 永く。
 こうして。
 いたい。
「共、に・・・・・」
 いこう。
 ふたり。
 一緒に。

 身も。
 心も。
 時も。
 重ねて。




・・・・・凉浬ちゃん・・・ッ(滝涙)。
『傷痕』『ささやかな欲望』に続く話となって
おります。一応、めでたしめでたし・・・・・
なのか!?本当か!?・・・・・それはそうと。
突っ込んだまま会話するのは止めとこうぜ(泣笑)!!