『ささやかな欲望』



 その微笑みは。
 私だけのものでは、ない。
 その声も。
 私のものには、ならない。


「今日、これより正式に公儀隠密としての命を賜り、
龍閃組の・・・・・」
「あァ、堅苦しい挨拶は抜きだよ・・・・・凉浬、
おかえり」
「は、はい・・・・・」
 小塚原刑場での一件の後。
 一度、飛水の里へと戻り、改めて命を受け。
 龍閃組の本拠地ともいえる、ここ龍泉寺へと再び
戻ったのは、あれから数日後の夕刻。
 まずは取り纏め役でもある、時諏佐に挨拶を済ませ。
 その後、与えられた部屋に少しばかりではあったが
里より持参した私物を、片付けようと。
 木々の茂る庭に面した、廊下を歩いていれば。
「あ、・・・・・」
 傾きかけた茜色の陽の元に。
 その人は、いた。
「・・・・・?」
 こちらに気付いた様子もなく。
 柱に凭れ掛かるようにして、座っている彼に。
 そっと近付き、伺いみれば。
 やや俯き加減。
 伏せられた瞼に。
 影を作る長い睫毛が、印象的で。
 すっかり、寝入ってしまっている、彼。
 今日は天気が良かったから、日向ぼっこでもしていて
そのまま、うとうとしてしまったのかもしれない。
 そんなことを考えながら、そろりと膝を付いて。
 目の高さを同じくして覗き込めば。
 こうして無心に眠る貌は、起きている時よりも、どこか
幼げに見えて。
 自然、顔が綻ぶ。
「・・・・・可愛い」
 ついぞ、口にしたこともないような、言葉。
 しかも、少しでも年上の男に対する形容ではないと。
 ゆるりと首を振りながらも。。
 それしか、思い浮かばなくて。
 こうして、ただ眺めているだけで。
 沸き起こる、不可思議な感情。
 感覚、それは。
 何。
「・・・・・龍斗、さん」
 風邪をひかれますよ、と。
 起こしてしまうのは、勿体無いような気もしたけれども。
 もうじきに、陽が落ちれば。
 夜風に、身体が冷えてしまうから。
 起こして差し上げねばと。
 肩に、手をかけようとした。
 その、瞬間。
「・・・・・・・れ・・・・・」
「・・・・・ッ」
 薄く開いた、桜色の唇が。
 紡ぎ出した、言葉に。
 触れる直前、手は。
 凍り付いたように、動かせなくなって。
「・・・・・」
 やっとのことで、手を引いて。
 やおら立ち上がり。
 半ば、呆然としながらも。
 重い足を引きずるようにして、その場を。
 逃げる、ように。
 廊下を曲がって、彼の姿が見えなくなったところで。
 つめていた息を、そろそろと吐き出す。
 耳鳴りが。
 止まない。
 いっそ、聞き違いであったらと。
 そう思うのに。
 耳は、しっかりと。
 彼の声を、捕らえて。

   奈涸

 その、名を。
 紡いだ、声は。
 ひどく、甘く。
 切なげでさえあって。
「・・・・・何故・・・・・」
 名を口にした、その事実よりも。
 恋しい人を呼ぶような、声が。
 耳に。
 離れない。



「凉浬、いる?」
「・・・・・はい」
 それから。
 どうやって部屋まで辿り着いたのか、記憶になく。
 声に。
 気付けば、灯りもつけぬまま。
 暗闇に。
 荷を解くこともなく傍らに置いたまま。
 座り込んでいたようで。
 慌てて火を灯し、立ち上がって。
 障子を引けば。
「ゴメン、もう寝ているのかなって、思ったんだけど」
「・・・・・いえ」
 正確な時刻は分からなかったけれども。
 龍斗の髪から、微かに水の匂いがして。
 よくよく見れば、浴衣を羽織っているのに。
 風呂を使った後なのだと、知って。
「龍斗さんこそ・・・・・湯冷めしないうちに、お休み
にならないと」
 ほんのりと、上気した肌。
 女の私でさえ、ドキリとする程に。
 艶かしく、映って。
「うん、でもさっき百合さんから凉浬が戻って来てるの
聞いて・・・・・どうしても」
「私に・・・・・会いに?」
 その言葉に。
 どうしたって、嬉しさは隠し切れずに。
 それでも、冷静を装って問えば。
「うん・・・・・お帰り、凉浬」
 どうしても、それだけは言いたくてと。
 フワリと、花のように笑んで。
 やや、首を傾げて。
 僅かに、見下ろす視線でも。
 それでも。
 不思議と。
 彼、ならばと。
 過った、思いは。
「じゃ、おやすみ」
 そう告げて。
 立ち去ろうとした、腕を。
 自分でも信じられない程、強い力で。
 引き留めて。
「凉浬?」
 怪訝そうに振り返る、龍斗に。
 精一杯。
 笑顔を、作って。
「少し、お話ししていきませんか?」
「え、でも・・・・・」
 少し、困ったような顔は。
 夜に、女の部屋に足を踏み入れることに、少なからず
躊躇しているからだと、知れて。
「ふふ・・・心配なら、障子を開けておきましょうか」
「それ、どっちかというと俺の台詞・・・・・」
 クスクスと、笑って。
 戸惑いを、拭い去った彼を。
 部屋へ、招き入れる。
 そして。
 障子は。
 きっちりと、閉ざした。

「えと、改まって話って・・・何だか照れるよね」
 部屋の角にあった座布団を取り、勧めて。
 少し離れた位置に、向かい合うように座す彼は、少し
緊張の面持ちで。
 それでも、私にとってみれば。
 恐ろしく、無防備な。
「そうですね・・・・・ああ、私から、龍斗さんに
お聞きしたいことがあるのですけど」
「俺に?」
 何かな、と。
 小首を傾げる、さまも。
 どうして。
 こんなにも。
「ええ、龍斗さんの・・・・・好きな、方のお話を」
 ドロリと。
 胸の奥底で渦巻く、黒い塊を。
 隠して。
 微笑みを浮かべ、告げれば。
 途端、強張る表情。
 でもそれは、すぐに。
 苦笑へと、塗り替えられて。
「も、吃驚したー・・・・・凉浬が、そういう話題を
持ち出すなんて、思わないから」
 何か、を。
 誤魔化していること、なんて。
 容易に。
「そうですか?興味はありますよ・・・・・貴方の、
心に想う、方の・・・ことなら」
「・・・・・えっと・・・・・」
 落ち着かない様子で。
 困惑しているのは、明白であったけれども。
 もっと。
 困らせる、台詞を。
「その、・・・・・殿方の、名前・・・などは」
 まっすぐに。
 突き付ければ。
 あからさまに。
 顔色が、変わるから。
「凉、浬・・・・・?」
「・・・・・『奈涸』」
 その、名を。
 聞いた途端、ビクリと。
 肩を揺らす、から。
「な、ッ・・・・・」
「いつ、知り合ったのか存じませんが・・・随分と
深い仲、の御様子ですね」
 ふたりの仲など。
 知る術は、なかったけれども。
 でも。
 あの、声は。
 耳に付いて離れない、あの。
 甘い甘い。
 彼、の。
「・・・・・何、か・・・勘違いして」
「兄に抱かれたのですか?」
 声に。
 ふと。
 数日前の。
 夜明け前に、戻って来たらしい龍斗の姿を、偶然
目に留めて。
 ぼんやりと、自室へと向かう。
 その、彼の。
 身体、から。
 仄かに香る、水の。
「凉浬、ッ・・・・・」
 動揺を隠せずに。
 立ち上がろうとした、彼の。
 足元に。
「・・・・・ッあ」
 投げ付けた、苦無は。
 裾を裂き、大腿を掠めて。
 畳に、彼を縫いとめるから。
「逃げないで下さい」
「・・・・・凉浬、俺は・・・・・」
「敵と内通していようが、いるまいが・・・そんなこと
私には、どうでもいい」
 徳川に忠義を誓う、私らしくない台詞だと。
 思うけれど。
 だけど、それは。
 事実、で。
「貴方は、兄に抱かれた・・・・・」
 身体を。
 許して。
 あの男に。
 あの、甘く囁くような声で。
「もしかして、私があの男の妹だと知っていて、優しく
して下さっていたのですか?」
「違う・・・ッ」
「私の中に、あの男の面影を見ていたのですか?」
「・・・・・そんな、こと・・・・・ッ」
 肌を掠めた傷は。
 深くはない、けれども。
「でも、その方が・・・・・愉しめるかもしれませんよ」
 彼は。
 逃げることなど、出来はしない。
「ッ凉浬・・・・・」
 傷口から広がる、痺れと。
 畳に突き刺さった、苦無は。
 影ごと。
 彼を、そこに。
「・・・・・綺麗な、肌・・・・・」
 乱れた裾から、覗く大腿に手を這わせ。
 流れる血を、舌で舐めとれば。
 ヒクリと、身を震わせて。
「ふふ・・・随分と、敏感なのですね・・・兄も、さぞ
愉しまれたのでしょうね」
 口惜しい、と。
 本気で、思う。
 身体だけでなく、心まで。
 あの男、が。
「や、あ・・・・ッん」
 そっと、押すようにして彼を横たえ。
 裾を寛げ。
 脚を大きく開かせて。
「兄の前では、いつもこうしているのでしょう?」
 内腿の、柔らかい皮膚に。
 口付けて。
 かつて、散々散らされたであろう箇所に、赤い印を
刻めば。
 その度に、跳ね上がる身体が。
 愛おしくて。
 憎らしくて。
 既に勃ちあがって、先端から涙を零している、彼自身
にも、そろりと手を這わせ。
 もう片方の手は、浴衣の前合わせを広げ。
 滑らかな肌に、ポツリと咲いた小さな蕾を指の腹で
転がすようにして、撫でれば。
「あ、ッや・・・・・んッ・・・」
 鼻に抜ける、甘い声で。
 啼く。
 震える唇を、そっと舌先で辿って。
「可愛い、龍斗さん・・・・・本当に、可愛くて・・・」
 いっそ。
 壊してしまいたい。
 2度と。
 あの男の。
 他の誰の手にも。
 触れさせられないように。
「壊したい・・・・・龍斗さん」
 熱い吐息で、囁いて。
 傍らに置かれたままの、風呂敷包みに。
 手を伸ばし、結びを解いて。
「・・・・・良いものを、あげましょう」
 取り出した。
 小刀を。
 目の前に、翳せば。
 虚ろな目が、それを見つめた後。
 怯えたように、こちらに向けられて。
「分かりますか・・・これは、兄が愛用していたもの
・・・・・まだ、氣が残っているかもしれませんね」
 鞘に収めたままの、刀身を。
 ゆっくりと、身体の線を辿るように下肢に導いて。
「ここ、で・・・・・確かめて、みますか」
 押し当てた、そこは。
 零れ落ちた体液に、僅かに濡らされてはいたものの。
 まだ、固く。
 閉ざされた蕾のままで。
「い、や・・・・・凉、浬ッ」
 フルフルと。
 大きな瞳から、首を打ち振る度に零れる涙を。
 舌で、拭って。
「でも、欲しいでしょう・・・・・?」
 兄、の。
 氣を。
 その。
 奥、で。
「感じて下さい・・・・・存分に」
 気休めにしかならない、滑りに。
 鞘の先端を湿らせて。
 捩じ込む、ように。
 強引に。
 龍斗の内に。
 埋め込めば。
「いや、ァああああ・・・ッ」
 上げた、悲鳴にさえ。
 残酷に微笑みかける、自分がいて。
「あ、あァ・・・・ッん・・・く」
 衝撃に、震える身体を。
 宥めるように、手を這わせれば。
 それすら、快感に摺り替える。
 淫らさに、目を細めて。
「どう、ですか・・・・・?」
「ん、んッ・・・・・ふ」
「兄の、・・・・・奈涸の、氣は」
 細身の刀ではあったけれども。
 殆ど傷付かずに、奥まで飲み込んで。
 柄を掴む手を、緩めれば。
 震える内壁が、尚も貪欲に銜え込もうとするのに。
「・・・・・龍斗」
「ッ・・・・・」
 声色を、低く。
 聞き馴染んだ、あの男のものに。
 変えて。
 耳元で、囁けば。
 コクリと。
 のけぞる白い喉が、鳴る。
 いつの間にか解けた浴衣の帯を、取って。
 戸惑ったような、視線を。
 塞げば。
 感じるのは。
 身体を貫く、奈涸の氣を帯びた刀身と。
 恐ろしい程に似せた、声。
「な、がれ・・・・・ッ」
 震える唇が。
 その名を、紡ぐ。
「奈涸、奈涸・・・・・ッ」
 聞けば。
 切り裂かれそうな、胸の痛み。
 分かっている。
 はず、なのに。
「好き、なの・・・・・か」
「ッ好き・・・・・奈涸、あァ・・・・ッ」
 それでも。
 こう、してでも。
 偽りの、行為でも。
「その声が、聞きたかった・・・・・」
 それ、が。
 自分に向けられるものでは、なくても。
 素通りする、想いでも。
 確かめずには、いられなかった。


 貴方、が。
 私を変えた。
 その微笑みで。
 声で。
 私を狂わせた。




凉浬ちゃん、鬼畜(悦←待て)♪
奈涸×龍斗『傷痕』の、続きっぽく。
相変わらず、龍斗は兄とデキてるのが前提に
なってて、凉浬ちゃんには申し訳なく思いつつ。
・・・・・でも、愉しそう(ポツリ)。