『満心』



 会える日でも。
 会えない時でさえ。
 何時だって。
 君は。
 他の事なんか考えられないくらいに。
 この心を。



「こんにちはー、・・・・・奈涸?」
 蔵の整理を手伝って欲しいと頼まれていたから。
 朝餉を済ませてすぐに、王子へと足を向けた。
 急いたつもりはないのに。
 約束の時間よりも、かなり早くに着いてしまって。
 1日かけて蔵整理をするつもりであるのか、店の
入り口が閉められているのに。
 一応、外から声などかけてみたのだが、応答はなく。
「・・・・・良い、よね」
 独り、呟きながら。
 何度も通ったから勝手知ったるとばかりに、裏手へと
回れば。
 そちらの戸は、閉められてはいなかったから。
「・・・・・お邪魔します」
 そろりと。
 戸口から身を滑り込ませ、目的の蔵も立っている庭へと
出る。
 見れば。
 蔵の扉が、半分ばかり開いているのに。
 やはり、既に片付けを始めて、そこに居るのだと。
 ホッとしたように、足を踏み出そうとして。
「・・・・・ッ!?」
 突然。
 蔵の中から響いた、何かが割れるような音。
「奈涸・・・・・ッ!?」
 何事かと。
 慌てて駆け出し、扉を開け放てば。
 薄暗闇の中。
 はたして、奈涸はそこに居て。
 目を凝らせば、その足元に散らばる破片に。
 先程のは、陶器の割れる音だったのだと。
「・・・・・奈涸?」
 呆然と、粉々に砕けた壷らしきものを見下ろす奈涸に。
 そっと。
 声をかければ。
 別段、驚いた様子もなく。
 ゆっくりと、振り返って。
「龍、君・・・・・」
 困ったような。
 微笑みに。
 予定よりも早く来過ぎたことを、まず詫びるべきか。
 それとも。
「・・・・・ちょ、ッ・・・血、が・・・」
 思案しつつ。
 一歩、近付けば。
 白い、手に。
 滴る、真紅の。
「・・・・・あァ、破片で・・・」
「な、にしてるんだよ・・・ッ手当て・・・」
 何処か。
 まだ、ぼんやりとした様子の奈涸を。
 不振に思いながらも、強引に袖を引き。
 蔵から連れ出して。
 そのまま、母屋へと縁側から上がり込み、朧げな記憶に
頼りつつ、戸棚を探れば。
 以前、龍斗がちょっとした怪我をした時に奈涸が取り出した
薬箱が、そこに見付かって。
「手、出して」
 そんな龍斗の様子を、呆然として。
 いつもの彼らしくない、と思いながらも。
 その場に座らせ、自分も膝をついて。
 手を取り。
 細かい破片が、入っていたら大変だよなと。
 親指の、赤く裂けた傷口に。
「・・・・・ッ」
 唇を、寄せて。
 滴る血を、ペロリと舐め取り。
 そのまま。
 口に含めば。
 一瞬、奈涸の手が驚いたように震えて。
 それでも構わずに、血を拭い入り込んでいるかもしれない
破片を吸い出すようにすれば。
 まだ止まらぬ血が、口腔に強い鉄の味を残すけれども。
 何処か。
 甘い、と感じる。
 そんな自分に、ハッとしたように。
 ようやく、唇から解放して。
 覗き込むように、奈涸を見上げれば。
 先程見せたものよりも、ずっと。
 困惑した、面持ちで。
「え、と・・・・・塗り薬はこれで良かったよね」
 見つめて来るから。
 どうにも、落ち着かなくて。
 跳ね上がった心臓を誤魔化すように、薬箱を探り。
 小さな器に入った奇妙な色の軟膏を指に取り、そっと傷口に
塗り付けて。
 包帯を巻き付けるのを、やはり押し黙ったまま。
 眺めている、奈涸に。
「・・・・・でも、大怪我でなくて良かったよ」
 居心地の悪いものを感じながらも。
 そう告げれば。
「良い訳があるものか・・・ッあれは、唐代の壷で貴重な品
なんだ・・・・・ッそれを」
 途端。
 鋭い目つきになって。
 巻掛けの包帯を、振りかざすようにして。
 いかにも、骨董品店の主人らしく。
「・・・・・それ、でも・・・」
 何となく。
 いつもの奈涸に戻ったようで、微かに安堵しながらも。
 それでも。
「俺には、・・・・・奈涸の方が、大事」
 どんな、貴重な骨董品よりも。
 稀少価値の在る、逸品よりも。
 何よりも。
「奈涸が・・・・・・・、ッ」
 言葉は。
 不意に、伸ばされた腕が。
 龍斗を捕らえ、その顔を胸に強く押し付けるものだから。
 続きは。
「・・・・・龍、君・・・・・」
 告げられずに。
 降って来る、戸惑ったような声は。
 龍斗の、言葉にだけでなく。
 自分の行動にも。
「逃げ、て・・・・・くれ」
 困惑し。
 ようやく、絞り出すような声と共に。
 束縛する、腕を緩めながら。
「君に、・・・・・俺は、酷い事をしてしまう・・・ッ」
 だから。
 今すぐに。
 この手を、振り払って。
「な、がれ・・・・・?」
 そんな、ことを。
 突然、言われたからといって。
 奈涸は、いつも龍斗には柔らかく、優しすぎるくらいに
接していたし。
 今、だって。
 逃げろと言いながらも、縋るように。
 肩を抱く、手は。
 こんなにも。
 暖かい、のに。
「どう、して・・・・・」
 逃げる、なんて。
 出来ないと。
 強張る貌を見上げれば。
 浮かんだ、表情は。
 それ、は。
「・・・・・ならば、逃げたくなるような話を、しようか」
 見たこともない。
 男、の。
「君が来る前に・・・蔵に入って・・・・・あそこにある
ものは、どれも・・・大切なものばかりだ。金銭的な価値
のことだけじゃなく・・・見ているだけで、心が満たされる
・・・・・満たされて、いたんだ」
 淡々と、話しながら。
 真直ぐに、龍斗を捕らえる瞳には。
 その、奥には。
 微かに揺れる。
 押さえ切れぬ、炎のような。
「・・・・・君に、逢うまでは」
「・・・・・ッ」
 ス、と。
 白い包帯を巻かれた手が、龍斗の頬に触れる。
 布越しの。
 奈涸の、体温。
「あそこで、・・・・・俺が、何を考えていたと思う?
あの、壷のように・・・・・大事に、大事に・・・・・君を
そう、誰の目にも触れぬよう、蔵の中に閉じ込めて・・・
俺だけのものに、してしまおう・・・・・とね」
 熱い、手。
 知らない。
 温度。
「君の、ことばかりだ・・・・・いつも、いつも・・・・・
何処に居ても、何をしていたって・・・・・君を想い、君を
この手で抱く、・・・・・夢を、見てしまう」
 じわじわと、頬を通して。
 伝わる、熱に。
 どうしようも、なく。
「甘く淫らな白昼夢に浸っていた、時に・・・・・君の氣を
すぐ近くに感じて、ね・・・・・驚いて、手を滑らせた」
 そして。
 壷は、割れてしまった。
 まるで。
 恐ろしい、夢想に。
 警鐘を鳴らす、ように。
「さぁ、・・・・・今なら、まだ間に合う」
 俺が。
 君を。
 この手で。
 罪、を。
 犯す、前に。
「・・・・・そんな話、聞きたくない・・・・・」
「龍君、早く・・・・・」
「どうして、言ってくれないの?」
 奈涸、の。
 気持ち、を。
「俺が欲しいって・・・・・閉じ込めて、自分だけのものに
して・・・・・俺を、抱きたいくらいに」
 その。
 ひとこと、を。
「俺が・・・・・好きだ、って・・・・・」
 聞かせて。
 欲しいのに。
「龍、斗・・・・・」
「言って、そして・・・・・」
 そして。
 言葉は、性急に重ねられた熱い唇に飲み込まれる。
 肩を抱く、手も。
 引き寄せる、腕も。
 抱き締められた、胸も。
 触れる所が、全部。
 熱くて。
 溶かされてしまいそうな。
 身体。
「君、が・・・・・好きだ・・・好きだ、・・・・・龍斗」
 聞きたかった、言葉。
 囁かれれば、その熱い吐息に。
 声に。
 響きに。
 心まで、トロトロと溶かされていくような。
 甘い。
 感覚。
「閉じ込めて、良いよ」
 覆い被さる、身体。
 背を、抱き返して。
 上がっていく、息の中で。
 そう告げれば。
「・・・・・蔵、は・・・冷たいから」
 だから。
 ここ、に。
 俺の。
 腕の、中に。
「やっぱり・・・・・優しい、ね」
 首筋を辿る、唇に。
 くすぐったそうに、身を捩って。
「最後まで・・・・・そう、言えるかな」
「あ、ッ・・・・・」
 柔らかい皮膚に、歯を立てられれば。
 微かな痛みと。
 痺れるような。
 快感。
「・・・まだまだ、こんなものじゃない・・・もっと、もっと
君、も・・・俺の事しか、考えられなくなるくらいに・・・」
 身体に。
 心に。
 刻み付けたい。
 ずっと。
「・・・・・ふふ」
 不意に。
 可笑しそうに、笑う声に。
 龍斗の顔を、覗き込めば。
「奈涸の、本音・・・・・聞けて、嬉しい」
 ほんのり、上気した頬で。
 そう言って。
 綺麗に、微笑うから。
「もう、隠さないさ」
 ありの、まま。
 全部。
 見せることが出来る、から。


 何処に、いても。
 いつだって。
 ここ、は。
 溢れそうなくらい。
 満たされている。

 君という存在で。
 満たされる。




いっぱいいっぱいです(何)。
この後、ひーたんは奈涸の●●でもって、
それこそ溢れちゃうvってくらいに(以下略)。
ひとりの人を強く想う事で、相手を独占
しているのと同じだけ、自分も独占されて
いるのです。