『護』



 命を賭けることが。
 一番の愛情だとは。
 限らない、と。


「・・・名誉の・・・負傷なんだね」
 髪を梳いていた手を、取って。
 右手。その、甲の。3寸程の傷跡。
 少し、引き攣れた痕は。
「大切なものを、護る為に・・・・・」
 おそらく。
 一生消えることのない。
 その、周囲より微かに盛り上がった箇所に。
 情交の余韻を、まだしっとりと含んだ唇が。
 そっと、触れて。
「・・・ッ」
 瞬間、走った痺れにも似た感覚に、肩を揺らせば。
「ごめ・・・・まだ、痛むのか?」
「・・・いや」
 痛みなど、とうに消えている。
 否。
 痛みとして、それを感じることはなかった。
 矢が手を貫いた時。
 ドクドクと溢れる、血にも。
 ただ。
 妹が無事で。
 それだけで、心が満たされた。
「・・・少し、くすぐったくてね」
 ふ、と笑って。
 悪戯な唇に、指を這わせれば。
 薄く開いた其処から覗く、舌が。
 ペロリと、指先をなぞって。
「驚いた・・・」
「こっちもだよ」
 そのまま、指を絡ませながら。
 耳元に。
「・・・まだ、足りないのかと思った」
「・・・・ッ奈涸」
 囁けば、途端に慌てたように指を引いて。
「あ、れだけ・・・・やって・・・」
「ふふ・・・お互いさま、だよ」
 つい、先刻まで。
 散々、求めて。
 求められて。
 身も心も、ドロドロに溶け出してしまいそうな程。
 熱いものを、分け合って。
「・・・・・尊敬するお兄さんが、こんな・・・だって
知ったら・・・・・」
 まだ燻る熱を、密着する身体で。
 直に、感じて。
 半ば呆れたように、溜息を零すのに。
「あァ、知っているよ」
「な、・・・・・・・ッ!?」
「『龍斗さんを壊さない程度に』と。釘を刺されてね」
 サラリと、告げれば。
「う、そ・・・・・」
「嘘なものか。現に、ほら」
 指差した先には。
 水の張った小さな盥に、きっちりと畳まれた清潔そうな
布が置かれていて。
 それを。
 持ってきたのが。
「い、つ・・・・」
「君が、2度目に気をやった辺りかな。ぐったりした君を
見遣って・・・・・凄い目で睨まれて、本当に怖かったよ」
 ありのままを、告げてやれば。
「・・・・ッもう、凉浬の顔まともに見れない・・・・」
 交差させた腕で、顔を覆って。
 泣きそうな声で呟くのを、眺めながら。
「あれも・・・・・君を、大切に思っている」
「・・・・・」
「君を傷つけるものがいれば、それが例え兄であろうと
容赦はしない、と」
 そう、真直ぐに見据えて。

   兄上の気持ちが。
   分かったような気がします。
   あの人のためならば。
   この胸の痛みすら、私には。

「・・・可愛い妹の為に、身を引こうとは思わないんだ?」
 まだ、顔を隠したままで。
 そんなことを、聞いて来るから。
「そんなことをすれば、俺は間違いなく殺されるな」
 覆う、腕に。
 口付けて。
 どうか。
 ここ、を。
 閉ざさないで。
 開いて、見せて欲しいと。
「・・・・・凉浬、は」
「あいつが手を下す前に・・・自分の手で」
 なぜならば。
 君を、傷つけるもの。
 それが、俺自身であるのなら。
 躊躇なく、この身を。
「そんな、こと」
「出来るよ、俺は」
 君を。
 護る為ならば。
「・・・・・奈涸」
「君を、護りたい・・・・・」
 未だ、解かれない腕を。
 早く。
「・・・・・そんなことは」

   許さない。

 その、言の葉に。
 呆然と見下ろす、目の前で。
 ゆっくりと、解かれていく腕。
 そこから、覗く貌は。
 真直ぐに、見つめ返す瞳は。
「・・・・・た、つ・・・・」
「俺を護る為に死ぬことは、許さない」
 怒りとも哀しみともつかぬ、光でもって。
 射抜いて。
「そんな想いなら・・・・・要らない」
 逸らすことも。
 逃げることも。
「たつ、と・・・・」
「俺を護りたいなら・・・・・生き抜いてみせろ」
 命を賭して護るのではなく。
 護る為に。
 生きろ、と。
「君の為に・・・・・生きろ、と?」
 それが。
 命がけで護ることより。
 どんなに。
 難しい、のか。
「・・・・・出来る、だろう」
 おそらく、彼は。
 彼も、分かっていて。
 それでも、望むのだ。
「・・・・・ああ」
 ならば。
 俺は。
「生きて・・・君を護る、と」
 唇に、乗せて。
 ここに。
 君に、誓おう。
「・・・ふふ」
 触れるだけの、口付けを交わして。
 彼を、伺い見れば。
 ようやく、浮かべた柔らかい微笑みに。
 こちらも、笑い返して。
「万にひとつもないけれど・・・もし、誓いを破ると俺は
どうなるのかな」
 戯けた口調で、問えば。
「そんなの、決まってるだろう」
 真面目な、顔で。
「嘘ついたら、針千本。飲んでもらうぞ、きっちり」
「・・・・・死んでいてもかい?」
「当然だ」
 彼なら、本当にやりかねないと。
 でも。
「ま、万にひとつも、そんな機会はないんだけど、な」
 違えることはないと。
 信じて。
 信じてくれて、いる。
 それに、応える為に。
 生きる、こと。
「・・・・・残念そうだな」
「ふふ、どうだろうね」
 生きて、そして。
 この、手で。

 彼を、抱き締める。
 この腕に。

 それが、許されているなら。
 彼に。

 このまま。
 その傍らに。

 共にあることを。




命を賭けて護るより、難しいこと。
それを、要求する龍斗は我侭なのかも
しれないけど。
相手が、奈涸さんなら、イイのです。
出来もしないことを、望んだりしない。
守れない約束なんて、してはいけない。