『此処に在るもの』




「お主・・・本当に人の子か?」

 何を下らないことを、聞いているのかと思った。
 クソ爺ィが、妙に真剣な顔して、寝ぼけたこと言ってん
じゃねぇ、と。

「・・・・・ふふ」
 それを、はぐらかすように。
 あいつはフワリと、笑って。
 それを肯定ととったのか。
「・・・ふふん。まあ、いいだろう」
 ひとり、納得した様子で。
 やたらとデカい図体、声もデカいんだが、この爺ィは
既に還暦だという。
 ちっとも、それらしくは見えねぇから。
 そっちこそ、本当に人間かよ、とからかって。
 張り飛ばされたりするのを、あいつは変わらず柔らかい
笑顔で見つめていて。
 だから。
 気のせいだと、思っていた。

 人の子か、と。
 その言葉に、あいつの瞳が揺れて。
 そこを。
 昏い何かが、掠めていったことを。



 長屋の大火事の後。
 奇妙に、静かな日が続いていた。
 平穏な、日常。
 鬼道衆が、何の動きも見せないというのも、どうにも
裏に何かあるのではと、警戒だけは怠らずに。
 否。
 鬼道衆、ではなく。もっと大きな何かが。
 松平に取り憑いていた、あの怪しい男と。
 その背後に見え隠れする。
 とてつもなく、強大で。
 恐ろしい、何かが。


「京梧?」
 不意に、肩を叩かれて。
 顔を上げれば、怪訝そうに覗き込んでくる、龍斗がいて。
「・・・・・蕎麦、のびるぞ」
「お、うぉッ」
 どうやら。
 箸で蕎麦を掴んだまま、ぼんやりとしていたようで。
 慌てて、ずるずると啜れば。
 クスリと、微笑む気配。
「・・・好き、なんだね」
「・・・・な、・・」
「毎日、蕎麦でも飽きないんだから」
「・・・・・まァ、な」
 一瞬。
 鼓動が跳ね上がったのは。
 勿論、気のせいではなく。
「っつーか、ひーちゃんと一緒に食うから、それがまた格別
なんだよなー」
 へへ、と笑いながら言ってみせれば。
「・・・・・バカ」
 軽く睨んでみせながらも、その表情は穏やかで。
 微かに朱に染まった頬に、照れを感じながら。
 腹も心も、満たされてしまって。
「ごっそーさん。じゃ、探索再開するか」
「ん。親父さん、御勘定ここに置いとくね。ごちそうさま」
 また御贔屓に、の声を背に。
 馴染みの蕎麦屋を出れば。
 陽射しの強さに、思わず目を細めて。
「・・・・・明日、も・・・・」
「ん?」
「・・・・・いや、良い天気・・・かなって」
「暑いのは適わねぇけどな」
 そしてまた。
 微笑む、様に。

 こいつは、前から。
 こんな風に、笑っていたか?
 ふと、そんなことが頭を過ったけれども。
 柔らかい、笑みに。
 何も。
 言えなかった。



「おかえりなさい」
 日が完全に落ちる前に、龍泉寺に帰りついて。
 先に戻っていたらしい美里が、手拭いを持って出迎える。
「お風呂が沸いているわ」
 甲斐甲斐しく龍斗の世話を焼く様子を、横目で見遣りつつ。
 美里が、龍斗に惚れているのは明らかであったけれども。
 だが、龍斗は。
「有難う。京梧、行くぞ」
 それを、知ってか知らずか。
 他の女に対する態度と、何ら変わることなく接していて。
 何処か切なそうに見送る美里を、ちらりと返り見て、龍斗を
肘で小突きながら。
「・・・・・そっけない奴だな」
 揶揄するように言えば。
「別に・・・・ただ、妙に気を持たせるようなことはしたくない」
 なるほど。
 分かっていて、あの態度か。
 美里には気の毒だが、俺が見た限りでは龍斗が彼女の気持ちを
受け入れることは、まずなさそうで。
「・・・・・意外と、冷めてんな」
 何気なく呟いた。
 その、言葉に。
 ふと。龍斗が足を止めて。
「・・・ひーちゃん?」
「意外、ね」
 ふふ、と。
 また、笑って。
「お前は俺を、どう思っているんだ」
 そのまま。
 真直ぐに見上げてくる瞳に。
 囚われて。
「ど、どう・・・って、ッ・・・・」
 動揺を隠せないままに、口籠れば。
「・・・ああ、別にそういう意味じゃない」
 そう、告げられても。
 ゆるりと弧を描く、薄い紅をさしたような、唇に。
 目を、奪われて。
「つまらないことを聞いた・・・・済まない」
 その、台詞も。
 確かに、そっけないものではあったけれども。
 何故だか。
 少しだけ。
 胸が、苦しくなったのは。
 背を向けて歩き出す、直前。
 垣間見せた、あの。
 いつか見た、揺れるもの。
 壊れそうな、何か。



 あれは、何だったのだろう。
 龍斗が、おそらく無意識であろううちに見せた、翳り。
 微笑んでいるのに。
 否。
 本当にあれは、笑っていたのだろうか。
 いつから。
 あんなに。
 壊れてしまいそうなものを、抱えていたのだろう。
「・・・・ちッ」
 考えはじめると、どうにも寝つけなくて。
 掛け布団を蹴り、起き上がるとそのまま外に出た。
 皆はとっくに寝静まっている時刻ではあったし、足音を忍ばせ
縁側から庭に降り立って。
「・・・・・?」
 ふと。
 何処からともなく、漂うもの。
 微かな、陰の氣と。
 それに混じる、これは。
「ま、さか・・・・」
 咄嗟に、駆け出して。
 寺の、地下に続く扉。
 それに、手をかけようとして。
 目の前で。
 ゆっくりと開かれた、そこには。
「・・・・・ひーちゃん・・・?」
 血に。
 全身、自分のものとも倒した化け物のものともつかぬ、血に
染まった、龍斗が。
 呆然と、俺を見上げて。
 立って、いた。
「・・・・・京梧」
 見られてしまったことに、気まずいものを感じたのか。
 そのまま、俺を無視して立ち去ろうとするのを。
「・・・ッ」
 その腕を、掴んで。
 引き寄せ、強引にこちらを向かせて。
「・・・どういう、ことだよ・・・」
 知らず、低くなる声。
 その響きに、一瞬怯えたように身を震わせて、それでも気丈を
装うかのように、強い視線を向けて。
「見れば分かるだろう・・・・・鍛練だ」
「ひとりで潜って、こんな怪我して何が鍛練だ!!」
 淡々とした物言いに、頭に血が昇るままに肩を掴んで揺さぶれば。
「・・・痛い」
「・・・ッ済まねぇ」
 あからさまに、顔を顰めて。
 見れば、まだ何処からか血が滴り落ちていて。
 傷は、そう浅くはなさそうで。
「・・・見せろ」
「や、・・・ッ」
 胴着は何かの爪で裂かれたのか、既にポロポロで。
 辛うじて纏っているだけの、それを。
 胸元の辺りを、引き破れば。
 やはり、肉まで裂く爪痕が、幾筋も。
 鮮血を流していて。
「手当て、するから」
 取りあえず、消毒だけでもしなければと、腕を取るのに。
「いい」
 それは、あっさりと振り切られ、拒絶されて。
「何言ってんだ、そんな大怪我・・・」
「・・・・・もう、すぐ」
 こうなったら殴ってでも引きずって行こうと、固めた拳を。
 それを見透かしたように。
 両の手で、捕まえられて。
「見て、て・・・」
「何・・・・」
 血の気を失って、冷たくなった手。
 死人のような、それに。
「・・・・・ッ」
 じわりと。
 手が。
 否、全身が。
 ゆらりと立ち上る、氣に包まれ。
 熱を、帯びて。
「・・・・・ほら・・・・・」
 声に。
 導かれるように、視線を血に塗れた胸元に向ければ。
「・・・・・な・・・ッ」
 赤い、傷跡が。
 ゆっくりと、その形を。
 消して、いくのを。
 これは、夢なのかと疑う程に。
「・・・・・ね」
 すっかり、跡形もなく。
 消えてしまって。
 血痕を拭ってしまえば、もう誰にも分からないだろう。
 彼が。
 あんな傷を負っていたことなど。
 誰も。
 俺、以外には。
「・・・・・京梧」
 声に。思わず、肩を揺らしてしまって。
 顔を伺い見れば。
「・・・・・ッ」
 触れれば。
 壊れてしまいそうな。
 微笑みが。
「・・・・・あ、・・・回復技、持ってたよな・・・」
 それでも。
 何か、言わなければ。
 彼を。
 繋ぎ止めねばと。
「・・・・・今のが、それだと・・・・?」
 龍斗の、回復技は。
 あくまで、その場しのぎの応急措置的なもので。
 やはり、完全な治癒には到底。
「・・・・・ひー、ちゃん・・・」
「・・・・・子供の時から、そうだった・・・」
 遠い、目。
 昔を語る、遠くを見つめるそれを。
「俺を産んだのは・・・神に使える巫女だった・・・・。
社の奥で、神に身を捧げた彼女は・・・・・身籠るはずの
ない赤子を産み落とした」
 月明かりに。
 佇む姿は。
 手を伸ばせば届く距離にあるのに。
 どこか。
 遠くに感じて。
「・・・・・母、は・・・・何の子を産んだのだろう・・・」

 あの日。
 人の子か、と。
 問われて。
 あの、笑みは。
 あの翳りは。

「ひーちゃん・・・・ッ」
 堪らずに、叫ぶ俺を。
 ゆっくりと、振り返って。
「京梧・・・・・俺、は・・・・・ッ」
 壊れるかもしれない。
 だけど。
 考えるより先に、伸ばした腕は龍斗を捕らえ。
 それでも、微笑みを形作る、その。
 唇を。
 己のそれで、塞いで。
 もう。
 これ以上。
 何も言わなくても。
「人間が産み落とすのが、人の子ってんじゃねぇだろ」
「・・・・ッ」
 繰り返す、口付けの合間に。
「人、として・・・・生きている。お前は・・・・生きている
・・・・そうだろう・・・・?」
「・・・・・ッで、も・・・・」
 震える、身体。
 怖いのだと。
 幼子のように、身を震わせて。
「・・・・・ちょこっと、他の奴等より傷の治りが早いだけだろ」
 ちょこっとどころではないのは、百も承知だ。
 けれども。
「そんなの、俺が他の奴等より蕎麦食うの早いのと、同じじゃ
ねぇか」
 いや。
 ちょっと、違うと。
 そんなことは、分かっていたけれども。
「・・・・・」
 まだ、小刻みに震える身体。
 どうしたものかと。腕の中を、そっと覗き込めば。
「・・・・・ん?」
「・・・・ふ、・・・ッふふ・・・あははははは・・ッ」
 プルプルと肩を震わせながら、とうとう堪え切れずに笑い出す、
龍斗が。
「ッひーちゃん、おい人が真面目に・・・・」
「も、・・・・何言ってんだか・・・・くくッ・・・」
 本当に。
 可笑しくて堪らないと。
 大声で、笑って。
「あー・・・ったく・・・」
 それは。
 あの、壊れそうな笑顔ではなく。
 触れても。
 こうして、抱き締めても。
「・・・・京梧」
「んー?」
 ようやく、笑いが収まったのか。
 でもまだ、その余韻を残した瞳で。
 腕の中に包まれたまま。
 俺を、見上げて。
「お前で・・・・良かった」
 何が、とは
 聞いてみたいと思ったけれど。
「ん」
 覗き込んだ瞳の中にはもう。
 翳りは、ないから。

 確かなものは。
 ここに。
 この腕の中に、あるから。

「京梧」

 もう一度。
 名を呼ばれて。

 誘われるままに。
 また、唇を重ねて。

 触れて。
 ここに。
 確かに存在するものを。




京梧×龍斗です。プラトニックでもイイかもと
思いつつも・・・(笑)。ふふ。
第11話の金剛さんの言葉に、妙に胸が苦しくて
こういう話を。
要は、己の心構えといいますか。
それでもやはり、包み込んでくれる存在という
ものは、嬉しいのです。