『戀患い』




 その日、九角屋敷は朝からざわめき立っていた。
 いつものように風祭に大声で起こされた龍斗が、朝餉を
取りにと広間へと向かう、その途中で。
 不意に、パタリと倒れてしまったのである。
「ッた、・・・たんたん!?」
 すぐ後ろで響いた物音に、振り返った風祭がギョッとして
叫ぶ声に。少し遅れて自室から出て来た桔梗が、一体何事かと
慌てて走り寄って来るのに。
「ッたーさん!?・・・・・坊や、何が・・・」
「俺を坊やと呼、・・・・・ッそんなことより、たんたんが」
 何だかんだと言いながら、やはり龍斗の事が気に掛かって
しょうがないらしい風祭に、分かっているというように桔梗は
微笑いかけ、倒れ臥す龍斗の傍らに跪くと、龍斗の肩をそっと
抱き起こして。
「・・・・・熱が、あるね」
 触れた身体の熱さに、美しい眉を顰めて呟く。
「熱・・・」
「風邪でもひいたかねぇ・・・だけど、こんな急に倒れちまう
なんて・・・」
 半ば意識を失い、ぐったりと桔梗の膝に乗せられた龍斗の
額を、白い手が前髪を掻き上げるように押し当てられ。
 その手の感触が心地良かったのか、苦しげに伏せられた瞼が
微かに震え、うっすらと開く。
「だ・・・いじょう、ぶ・・・だよ」
「何言ってんだい、すぐに床に・・・」
「・・・・・何事だ」
 騒々しくしていたのが、広間に居た耳に届いたのだろう。
 風祭の背後から、ゆっくりと姿を現した館の主人---天戒は
慌てた様子の桔梗と、その傍らに倒れ臥す龍斗の姿を目にした
途端、立ち尽くす風祭を押し退けるようにして、その側へと
駆け寄る。
「・・・ッ如何した、龍 ! 」
「あ、天戒様・・・ッ」
 力無く横たわる龍斗を、強い力で抱き起こすのに、桔梗が
咎めるようにその腕に手を添えて。
「そんな乱暴にしちゃ、たーさんが・・・」
「ッす、済まぬ・・・」
 その言葉に、ハッとしたように肩を抱いた手の力を緩めれば。
 ゆっくりと、しなだれ掛かるように龍斗の身体は天戒の腕の
中へと収まって。
「た、つ・・・・・」
 熱を持った、頼り無げな身体。
 苦しげな呼吸に、天戒の表情が曇る。
「天戒様、申し訳有りませんが・・・たーさんを、床へ運んで
やって頂けますか・・・」
「うむ、・・・・・澳継、済まんが先に床を整えて来てやっては
くれぬか」
「は、はいッ」
 天戒が龍斗を軽々と抱き上げる様を、呆然と眺めていた風祭は
天戒の言葉に弾かれたように頷くと、チラリと心配げな視線を
龍斗に向け、言われるままに龍斗の部屋へと駆けていく。
「では、あたしは薬湯を用意して参ります」
「ああ、・・・・・宜しく頼む」
 足早に立ち去る桔梗を見送り、天戒は龍斗を抱いてゆっくりと
足を踏み出す。
 そろりと、揺らさぬよう。
 胸に埋められた龍斗の顔が、熱が高いのに反して蒼白なのを、
痛ましげに見遣りつつ。
「・・・・・龍」
 そっと、名を呼べば。
 微かに開かれた瞳が、ゆるりと天戒の方に向けられ。
 心配しないで。
 そう、唇が吐息で伝えて。
 フワリと微笑う。
 胸が、痛い。
 辛うじて、笑みを返して。
 やがて閉じられた瞼に、そろりと唇を落とした。



 龍斗を寝かし付け、薬湯を手に戻って来た桔梗に、先に朝餉を
召し上がっていて下さい、と促された天戒は。風祭とふたり、
互いに押し黙ったまま広間に戻って。
 膳を前にしても、やはりどうしても箸を持つ手は動かず。
 龍斗の部屋の方へと、幾度も視線を泳がせるのに。
「若、・・・師匠は、ああ見えて丈夫ですから・・・桔梗の煎じた
薬は良く効きますし、じきに元気になりますよ」
 風祭から事情を聞いたらしい九桐が、努めて明るく振る舞うのに。
 天戒も頷き、穏やかな笑顔で応えようとして。
 それは、何処か不安げな色を残したまま。
 やがて、苦笑へと摺り替えられて。
「分かっているのだが・・・・・済まんな、尚雲」
「お気持ちは分かりますよ・・・後で、様子を見に行って差しあげ
れば、師匠も」
 きっと喜びますよ、と。
 やや声を低くして告げられた言葉に、天戒は咄嗟にどう応えて
良いか分からず、曖昧な笑みを返した。



「・・・・・ッ今、何と言った」
 龍斗の部屋の前。
 障子の前に立ち塞がるようにして桔梗が告げた言葉に、天戒は
知らず声を荒げる。
「ですから、暫くこの部屋には立ち入らないで下さいまし、と」
「な、ッ・・・・・」
 やや固い表情で、それでも平然と言ってのける桔梗に、どうしても
表情は険しくなり、憤りを抑え切れず。
「何故だ、・・・・・理由を申せッ!」
「天戒様に、伝染す訳にはいきませんから」
「ふ、・・・たかが風邪ごとき、伝染されたところで、さして・・・」
「たかが風邪ではない、と言ったら?」
 桔梗を押し退け、障子に手を掛けた天戒の動きが、ひたと止まる。
 静かな声に、ゆっくりと振り返れば、そこには。
「奈涸、か」
「俺の見立てでは、あれは他人に感染する病だ・・・妹も、幼い頃
同じような咳をして、長く寝込んだ事が有る」
「・・・・・龍、は・・・」
「天戒様、大丈夫ですよ・・・奈涸の持って来た薬を飲んでしばらく
養生していれば、ちゃんと治りますとも」
 奈涸の言葉に、顔色を失った天戒を宥めるように、何度も頷きながら
桔梗が言いつのるのを。
 その様子を、何やら興味深げに眺めつつ、組んでいた腕をそろりと
解いて、奈涸は天戒の肩を軽く叩く。
「案ずることはない・・・2,3日もすれば、熱も下がり楽になる。
まあ・・・その後も数日は、面会は控えて貰わねばならんがな」
「・・・・・そうか」
「たーさんは、あたしが責任を持ってしっかり看病しますから・・・
ですから・・・」
「・・・・・分かっている・・・お前に、任せる」
 ス、と目を伏せ。
 微かに溜め息を漏らしながら、そう告げると。
 何かを思いきるように、くるりと背を向け歩き出す。
「龍を、・・・・・宜しく頼む」
「・・・承知しております」
 そのまま振り返らず立ち去る背を見送り。
 天戒の気配が遠ざかると、桔梗は奈涸と目を見合わせ、ホッとした
ように息をついて、障子を引く。
「あれは、・・・かなり重症だな」
「・・・・・そうさね」
 あんたもね、とは。
 口に出しては言わず。
 龍斗の為に、朝から走り詰めで薬を調達して来た男だ。
 何よりも、龍斗を見つめる瞳が、雄弁にその想いを物語っている。
「・・・・・愛されてるねぇ、たーさんは」
 時折身体を丸めるようにして激しく咳き込む龍斗の背を擦りつつ、
桔梗は誰にともなく呟いた。



「桔梗、龍は・・・・・」
「ええ、熱もだいぶ下がって来ましたよ、天戒様」
「そうか、済まんな」
「いいえ、ではこれで」
 今日は、これで3度目。
 水を替えたりと、ちょっとした用で龍斗の部屋から出て来る桔梗は
どうやら廊下の角を曲がった辺りでうろうろとしていたらしい天戒に
呼び止められ、龍斗の容態を聞かれる度に。
 笑顔で応えながらも、桔梗は日増しに憔悴していく様子の天戒が
不安に思えてしょうがなかった。
 それに気付いているのは、桔梗や九桐、風祭といった鬼道衆の面々
で、幸いにも村人達の知る所では無かったのだが。
 傍目には、鬼道衆頭目としていつもと変わらずに振る舞っている。
 だが、その胸の内は。
 御心配為さらず、と言ったところで天戒にはどうしたって龍斗が
気に掛かるのだから、こればかりは誰が何と言おうが、どうしようも
ないことで。
「若、ちゃんと食事を取りませんと・・・」
「・・・・・そうだな」
 天戒とて、承知してはいるのだ。
 それでも。
 臥せっている龍斗を思うと、何も喉を通らない。
 茶漬けにして、半ば無理矢理流し込んでいるという状況に、九桐も
風祭も溜め息をつくばかりで。

「奈涸、せめて師匠の顔だけでも、若に・・・」
「・・・・・そうだな、そろそろ」
 困り果てて、九桐が桔梗と共に龍斗の看病に付いている奈涸に----
昔、妹に感染されて免役なるものが出来ているらしい----に、打診し
奈涸が考え込みつつ、頷こうとしたところへ。
「く、九桐・・・・・ッ」
 転びそうな勢いで、駆けて来る風祭が。
「どうした、少し落ち着かんか、風祭」
「お、落ち着いていられるか・・・ッお、御屋形様が・・・ッ」
「ッ若が !?」
 風祭が告げた言葉に、九桐は顔色を変え。
 奈涸は、眉を顰める。
「御屋形様が、倒れた・・・・・ッ!!」



「・・・・・情けない姿を、見られてしまったな」
「そうお思いなら、養生為さって下さいよ、若」
 駆け付けた九桐と、奈涸の肩を借り。
 寝所へと、有無を言わさず引きずり込まれるようにして。
 布団に横たわり、傍らに控える九桐に、苦笑と共に告げれば。
 口元には微笑を浮かべながらも、真剣な眼差しでもって。
 きっぱりと。
「師匠が・・・・・龍斗が心配なのは、分かりますが・・・・・若が
倒れられては・・・龍斗だって、気に病むでしょう」
「・・・・・そう、だな」
 全くだ、と頷いて。
 ゆっくりと、目を閉じる。
 倒れる、といっても僅かに目眩を感じて、膝をついてしまった程度
ではあったのだが。
 それでも、体調を崩していたことは、事実であって。
 鬼道衆を統べる、頭目としての。様々な事に対しての、自覚が足らぬ
のだと言われてしまえば、その通りで。
「今回の事は、極側近の者しか知りません・・・暫し、ゆったりとして
過ごして下さい」
 後で奈涸が薬を持って参りますから、と。
 九桐が、部屋を後にして。
「・・・・・龍」
 静かになった、部屋。
 そういえば、もう7日程も顔を見ていない。
 声すら、聞くことも叶わなかった。
 彼の、名を。
 噛み締めるように、呟けば。
「失礼する・・・・・薬を、持って来た」
 襖の向こうから掛けられる、声の方に頭を巡らし。
「奈涸か、・・・入れ」
 看て貰う程のことはないから、薬だけ受け取って引き取らせようと。
 そんなことを考えながら、向けた視線の先。
 ス、と引かれた襖。
 着流しの奈涸の。
 その、後ろから。
「ッ天戒・・・・・」
 飛び出した。
 白い、寝着のままの。
「た、つ・・・・・?」
 病み上がり故か、以前よりややほっそりとした印象の。
 それでも、しっかりとした足取りで。
 驚いて上体を起こした天戒の傍らへと、駆け寄って。
「龍君 ! 」
 奈涸が止めるのも聞かずに、そのまま。
 天戒の胸へと、身を投げ出してしまうから。
「ッ龍・・・・・龍」
 つい、今し方まで。
 まともに力の入らなかった、身体。
 それでも。
 龍斗を受け止める腕は、しっかりと。
 その身を、かき抱いて。
「・・・・・龍・・・ッ」
 ようやく触れる事の叶った、肢体を。
 力のあらん限りに抱き締めて。
「逢いたくて・・・天戒に、早く逢いたくて・・・・・奈涸にお願い
したら、天戒が倒れたって・・・だから、すごく・・・・・」
 心配したんだ、と。
 告げようとした、言葉ごと。
 押し当てられた唇が。
 奪って。
「ッん・・・・・て、んか・・・い」
 その性急さに。
 激しさに。
 戸惑ったように身じろぎながらも、久方ぶりの口付けの。
 熱さに。甘さに。
 ゆっくりと、龍斗もその背に腕を回せば。
「・・・・・その辺で、抑えておいて貰おうか」
「・・・・・ッ」
 あくまでも、穏やかな口調で。
 掛けられた声に、慌てて身を離し振り返れば。
「俺の存在を、見事に無視してくれたね・・・・・龍君」
 口元には柔らかい笑みをたたえながらも。
 見つめる瞳は。
 何処か、恨めしげに。
「ご、ごめん・・・奈涸」
「まあ、君は病み上がりだし・・・九角君も、体調が優れないのは
承知しているだろうから、ね」
 それ以上のコトに及ぶのは許さない、と。
 言外に、滲ませつつ。
「では、俺はこれで」
 部屋には足を踏み入れることのないまま、去ろうとするのに。
「待て、薬は・・・・・」
「用量を守って、服用してくれたまえ」
 慌てて引き留め、問いかける天戒に。
 ニヤリと、口の端を吊り上げて。
「な、・・・・・」
「では、・・・・・御大事に」
 きっちりと閉じられた襖を、半ば呆然と見つめ。
 やがて、ハッとしたように腕の中の温もりを見遣れば。
「・・・・・早く元気に、なってね」
 囁いた唇が。
 天戒のそれを、掠めるように。
「ああ、・・・・・良い薬を届けて貰ったしな」
 確実に。
 元気になれる、薬。
 何よりも、一番効くものだから。
「共に、・・・・・眠ろうか」
「うん・・・」
 龍斗を腕に抱いたまま、ゆっくりと身を横たえ。
 額に、そっと口付けを落とす。
 早く、元気になろう。
 ふたり。
 そうしたら。

「抑えなど、効かぬだろうがな」
「ん、・・・・・な、に・・・」
 人肌の暖かさに、微睡みながら問いかけて来るのには。
 敢えて、答えず。
 代わりに、抱く腕の力を。
 少しだけ、強くした。





御屋形様、惰弱です(ぐは)。
こんなことで良いのでしょうか、鬼道衆(遠い目)。
まあでも、早々に元気になると思われます、ええ
全開バリバリなカンジで!!アレもコレも元気(何)v
そして、相変わらず暗躍する忍者・・・(怯)。