『怪我の功名』



「弥勒、一緒にお風呂入ろ」
 戦い済んで、日が暮れて。ようやく村へと帰り着き、
天戒への報告をそれぞれに終えたばかりの、広間で。
 ふと思い付いたように、龍斗が隣に座す弥勒へとサラリ
と告げた、ひとことに。
 場は、一瞬にして凍り付いた。
「・・・・・龍、今なんと申した」
「ん?・・・弥勒と、一緒にお風呂入ろうって・・・」
「・・・・・師匠」
 そういう事は、何もこんな時に、こんな場所で言わなく
ても、と九桐が溜め息を付くのに。龍斗は、何やら小刻みに
震え、憤慨寸前といった天戒の様子に、きょとんとして。
「ね、良いよね・・・弥勒」
「・・・・・龍、さん・・・」
 当の弥勒はといえば、突然の龍斗の誘いに、半ば呆然と
して、傍らで無邪気に微笑む貌を見遣り。そして、上座のみ
ならず周囲からの射るような視線に、寒気と居心地の悪さを
感じつつも。
 否、などと。
 言える訳は、ないのだけれど。
「そ、そうさね・・・弥勒は、今左手が使えないし・・・」
 何とかこの場を穏便に済ませようと、桔梗が言い訳のよう
に言いつのる。
 そう、今日の戦闘において、弥勒は左手を負傷していた。
右手は、いわずもがなであるから、傷が癒えるまでの間は
どうしたって日常生活に、多少なりとも不便が生じる。
 飯時は、ここ九角屋敷で取ればという事にはなっていたの
だが。
 風呂までは、考えが及ばなかった。
「そ、だから俺が背中流してあげる」
 喜々として語る龍斗に、天戒とそして他の鬼道衆の面々も
恨めしげな視線を向ける。
「な、なんでたんたんが、そんなことするんだよ!!」
 ビシッ、と龍斗を指差して、微妙に頬を紅潮させながら、
風祭が言うのに。誰もが、うんうんと頷けば。
「弥勒は、あの時・・・俺を庇って・・・・・こんな」
 途端、表情を曇らせ。龍斗は、包帯が巻かれた弥勒の手に
そっと自分の手を添わせる。そして、優しく包み込むように
すれば、誰かがギリリと歯噛みする音が聞こえた。
「龍さんの、せいじゃない・・・そんなことを、気に病む事
はない・・・」
「そうだ、龍・・・・・お前が責任を感じることはない」
 弥勒が告げるのに便乗するように、霜葉が身を乗り出せば。
やはり他の面々も、深々と頷くのに。
「・・・・・責任、とか・・・そういうのじゃ、ない」
 ポツリと。
 やや、俯き加減で。
 心なしか、頬を微かに朱に染めながらの、龍斗の言葉に。
「た、たーさん・・・ッ分かったから、弥勒のことは頼んだ
からね!!」
 恐ろしく冷え冷えとした炎が立ち上ろうとするのを察した
桔梗が、ふたりを追い出すようにして広間から立ち去るよう
促すのに。
「桔梗、お前は・・・・・ッ」
「落ち着いて下さいまし、天戒様・・・皆も。たーさんは、
優しい人だから・・・怪我をして色々と不便になった弥勒を
放ってはおけないんですよ。怪我は、じきに治りますし・・・
そういうことで、納得しては貰えませんかねぇ」
 それだけではない、のは。
 桔梗だって、分かってしまってはいたのだけど。
「・・・・・やむをえまい・・・」
「天戒様・・・」
 すると。
 意外にもあっさりと、天戒は納得したように頷き。周りを
見渡せば、霜葉を始め皆も渋々ながらも手にしていた得物を
仕舞いつつ。
「・・・・・手に怪我をすれば、一緒に風呂に・・・・・」
 ブツブツと。
 低い呟きが、呪詛のように無気味に広間に響いて、桔梗を
蒼白にさせていたことを。
 龍斗たちは、知るよしもない。



 鬼哭村のすぐ近くには、温泉の湧き出る洞がある。
 やや温度が高めの湯も、桶に汲み取って来て、少しばかりの
水でもって簡単に調整が利くから、いつでも思う時に良い湯加減
の風呂が使えるのが、日々戦闘や探索やらで塵にまみれる者たち
にとっては、有り難い事で。
 特に、かなりの風呂好きらしい龍斗には、汗を流し湯に浸かる、
そのひとときは至福であった。
「初めてだね、一緒に入るの」
 そして、弥勒の工房兼住居。ここにも、小さいながら造り付けの
風呂場があって。微かに硫黄の匂いのする湯けむりが立ち篭める、
それ程広くはない洗い場で。龍斗は糠袋を手に、楽しそうに弥勒の
背を擦っていた。
「気持ち良い?弥勒」
「・・・・・ああ」
 平静な声色こそ、常と変わらないものではあったものの、その内
はといえば、脱衣所で龍斗のなすがままに着ていたものを脱がされ
てしまった時から、揺れて乱れて。
 弥勒を脱がせてしまうと、龍斗は自分もいそいそと着衣を脱いで
いく。一緒に入ろう、と言った限りは裸になってしまうのは、当然
のことではあるのだろうけれども。
 初めて目の当たりにする、無防備な白い肌。しなやかな肢体。
いっそ芸術的なまでに、それは見事に整っているから、面打ち師と
いう作り手、としての弥勒の心も、ひどく揺さぶるものではあるの
だけれど。
 それ以上に。
 この身体は、本能のようなものを煽る。
このまま眺めていようものなら、言い訳の出来ない事態になる
のは、安易に予測出来てしまって。
 弥勒は、不自然にはならぬよう視線を外しながら、何やら楽しげ
な龍斗に促されるまま、浴室の腰掛けに座って。
 そして今、されるがままに身体を洗って貰っている。
「弥勒ー、背中終わったから、前向いて」
「・・・・・ッか、構わん・・・自分で出来・・・」
「何言ってんだよ、全部洗ってあげるからって」
 全部、洗ってあげる。
 恐ろしく甘美な誘惑に目眩すら起こしつつも、そんなことをすれ
ば、ここまで堪えて来た何もかもが、おそらく。
「た、龍さんも・・・自分の身体を洗えばいい」
「・・・・・もしかして、照れてるの」
 クスリと笑った吐息が、項をくすぐる。
 照れ、だとか。それ以前の、それ以上の。
「恥ずかしがらなくても、男同士なのに」
 そんな理屈は、通用しないのだと。
 龍斗は、分かっているのか、いないのか。
「な、ッ・・・・・」
 スルリと。
 背後から、しなやかな腕が弥勒の胸元に回される。
 背中に、覆い被さるように触れる、素肌。その行為が、密着する
肌の滑らかに吸い付くような、感触が。
 弥勒の鼓動を、一気に跳ね上げる。
「こういう体勢って、洗いにくいなー」
 やや不満げに呟きながら、手は胸板をゴシゴシと擦り、それから
ゆっくりと腹の上を彷徨うと、そのまま下の方へと。
「龍さん、ッ・・・・・」
 それ以上は、勘弁して欲しいと。
 思わず身体を反転させようとすれば、その勢いでもって。
「あ、ッ・・・」
 手、は。
 滑るように、手拭いで覆われていた下肢へと。
 触れて。
 その熱に、ハッとしたように弥勒を仰ぎ見れば。
 いかにもバツが悪そうな顔が。ゆっくりと、逸らされるのに。
「・・・・・ご、ごめ・・・」
「君が、気にする事はない・・・」
 咄嗟に、龍斗が謝罪の言葉を口にしようとすれば。それはすぐに、
静かな声でもって、やんわりと押しとどめられて。
「で、も・・・」
「見苦しい姿を見せた、・・・謝るのは俺の方だ・・・済まん」
「どうし、て・・・」
 顔を逸らし。背を向けたまま、弥勒は龍斗を見ようとはしない。
 羞恥や、済まないと言った、その気持ちもあるのだろうが、ただ
背を向けられたままでいるのが、龍斗にはどうしようもなく。
「・・・・・俺、どうしたら良い?」
「何も・・・・・、俺の邪な心に君が惑わされる事は、ない」
「・・・・・弥勒、は・・・」
 龍斗に。
 触れられて。
 弥勒、は。
「俺の、こと・・・・・」
「・・・君に、・・・・・欲情、した」
 はっきりと。
 そう、告げる。
「好き、などという美しい言葉で、誤魔化せるものではない・・・
君が、欲しいと・・・きっとずっと、思っていた・・・こういう男
なのだ、俺は」
 軽蔑してもいい、と。
 淡々と、語るのに。
 あからさまな言葉、それは。
 好き、だと。
 いっそ告白しているような、ものなのに。
「・・・・・弥、勒・・・」
 震える、声に。
 肩越し、ゆるりと視線を巡らせば。
「た、つ・・・さん」
 大きな瞳に、いっぱいに溜まった涙が。
 ポロポロと。
 真珠のように、溢れ零れ落ちていくのを。
 弥勒は、呆然と見つめて。
 泣かせてしまったのだ、と。
 激しく、自責の念に駆られれば。
「・・・・・どうしよう」
「済まない、龍さん・・・泣かないでくれ」
「どうしよう・・・俺、・・・・・嬉しい・・・」
「・・・・・ッ」
 泣きながら、その貌は。
 フワリと、微笑んで。
「弥勒が、俺に・・・・・そういう欲を感じてくれてる、のが
・・・・・嬉しい、俺・・・・・こんな、俺は・・・」
 弥勒は、嫌い?
 困ったように、傾げられた首。
 まだ、瞳から零れ落ちる、涙の滴が。
 綺麗で。
 どうしようもなく。
「龍、さん・・・・・」
 震える、手で。
 包帯越しに、頬に触れれば。
 布越しの体温が、もどかしい。
「・・・・・弥勒」
 抱き締めたい、と。
 沸き上がる衝動を、抑えようとする前に。
 暖かい腕に。
 包まれる。
 素肌が。
 愛おしさを、掻き立てて。
「好きだ・・・・・好き、なんだ」
 溢れる言葉は、偽りない気持ちで。
 飾りもなく、取り繕うものもなく。
「君が、・・・・・欲しい」
 我侭に、まっすぐに。
 曝け出す、想い。
「俺も・・・・・欲しい」
 耳元に、こっそりと。
 溜め息のように、告げられた言葉に。
 肩口に、そっと口付けを落として。
「・・・・・ここでは、のぼせてしまうから」
 もっと、ずっと。
 熱くなる、から。
「・・・・・布団、もう敷いてある・・・」
 泊まらせて貰うつもりで、ふたつ並べてと。
 ボソボソと告げる龍斗の頬が、ほんのりと色付いているのは。
 湯気のせい、だけではなくて。
「・・・・・手間が省けたな」
 薄紅に染まった、そこにも唇を寄せて。
 弥勒が、微笑えば。
 この日、おそらく初めて見せた、笑顔に。
 龍斗も、嬉しそうに。
「やっと、笑ってくれた」
 はにかむように。
 笑みの形にゆるりと弧を描いた唇が、弥勒のそれをそっと掠めて。
「行こ・・・弥勒」
 誘われる、ままに。
 一度、掛け湯で身を浄め、手を引かれるようにして濡れた素肌に
浴衣を軽く羽織って。どうせすぐ脱ぐんだけどね、と悪戯っぽく笑う
唇に、何度も口付けを落としながら。
 辿り着いた、寝間。
 敷かれた布団の上、倒れ込むようにして。
「あ、・・・・・包帯・・・」
 解けかけた白い布が、ふと目の前を横切るのに。龍斗が慌てた様子
で、起き上がろうとすれば。
「・・・・・構わん」
 覆い被さる熱い身体が、それの重みでもって押しとどめて。
「どうせすぐ、・・・・・・濡れる」
「・・・・・ッ」
 耳元で、低く囁かれれば。
 吐息に。
 その、意味に。
 身体中を支配しようとする、昂りを。
 止められない、から。
「・・・・・うん」
 腕を伸ばし、引き寄せれば。
 首筋に、胸元に。
 落ちて来る、口付け。
 怪我をした手の不自由さを、補って有り余る程。
 唇が、舌が。
 とろけるような快楽を、与える。
「あ、・・・・・ッん」
 欲の中心も、その梺ひそやかに息づき震える、蕾にも。
 ねっとりと、絡み付く愛撫に。
 濡れた音に、もう。
「も・・・ぉ、・・・・・ッ」
 早く、と。
 強請れば、すぐに。
「龍、さん・・・」
 愛おしそうに、名を呼ばれ。
 ゆっくりと、上体を重ねるようにして。
「あ、ァ・・・・・ッああああ、ッ」
 差し込まれる。
 熱い、熱い欲の塊が。
 思わず縋り付いた、弥勒の。
 その、首筋から伝わる早い鼓動と、同じ。
 激しく脈打つ、確かな存在に。
 ひどく、安心して。
「・・・・・大きい」
 溜め息のように、呟けば。
 微かに耳を、朱に染めて。
 極至近距離、弥勒の困ったような貌が見下ろしていて。
「あまり、・・・煽るな」
「そんなつもり、じゃ・・・ッあ・・・ァん、ッ」
 薄い唇が、龍斗のそれと重ねられた、途端。
 強く、深く。
 揺さぶられ、掻き乱されて。
「ッ弥勒、弥勒・・・」
 遠のいては、近付く。
 意識が、途切れるまで。
 名を呼び、しがみついて。
 何度も。
 肌を、合わせた。




「・・・・・きちんと、包帯して寝なかったね?」
 翌朝。
 こっそり、弥勒の手の怪我の治り具合を見に訪れた、桔梗は。
 少しは治癒するどころか、微妙に悪化している傷口に、深々と
溜め息をついた。
「・・・・・済まん」
「・・・・・たーさんは?」
「・・・・・・・・済まん」
「・・・・・・・・・・程々に、しといとくれよ」
 皆に知れたら、また一騒動だからねぇ、と。
 薬を塗り、新しい包帯をきっちりと巻きながら、しみじみと
告げれば。
「・・・・・善処する」
 神妙な顔つきで、それでも何処か含みのある物言いに。
「ま、あたしは・・・たーさんが、それを望むのなら・・・別に
構いやしないよ」
「済まん・・・世話になった」
「あァ・・・手は明日までは、なるべく使わないようにしとくれ
・・・・・せいぜい、たーさんに世話焼いて貰うんだね」
 帰り際、そう言って振り返れば。
 表情こそ殆ど変わらぬものの、心なしか僅かに赤くなった貌に、
やれやれとまた溜め息をついて。
「さて、と・・・・・御屋形様に、どう説明したものかねぇ・・・」
 首を捻りながら、ブツブツと呟きながらも。
 その口元には、何処か安堵したような柔らかい笑みが浮かんでいた。




・・・・・微妙に、裏(うぬう)。表に置いても、あんまし
差し障りはないような気もしつつ・・・まあでも、一応
ヤってるし(笑)。
御奉仕ひーたん、とか妄想は膨らみつつも、サラリと
イかせて頂きました(待て)vま、まだ手は完治していない
ようなので、きっと・・・くくく(含笑)。
ちょこりと長くなってしまいましたが、いつもお世話に
なっている、Wたぽん(笑)宅の一周年のお祝いにvvv