『確信犯』



 それは、いつの頃からだっただろうか。

 『任務』の時以外は、いつでも好きな時に面を彫れば
良いと。
 ここ、鬼哭村に、工房を与えられて。
 村はずれのそこは、住居として使っても十分に広く。
 そして、何よりも静かな。
 夜中、面を彫る手を休め、耳を済ませば。
 微かな、虫の音と遠くの獣の遠ぼえ。
 昼間でも、ここに人が訪れることは、まずない。
 せいぜい、召集をかける誰かが上がり口に顔を覗かせる、
その程度で。
 作業に集中するには、都合が良かったし、それに人が訪れ
たとて、面彫りに没頭してしまえば、余程のことがない限り
それにさえ、気付くことは稀で。
 それでも。
 彼、は。
 彼だけは、どうしても。


 今日も。
 彼は、ここにいる。
 この村に住まうようになって、暫く経った頃から。
 弥勒が面を彫っていると、そろりと。
 足音を忍ばせて。おそらく、邪魔にならないようにとの
彼なりの配慮なのだろうか。
 そうして、少し離れたところから。
 じっと。
 見ていることが、もう幾日も。
 そう、それは。
 毎日のことと、なっていて。
 初めて、ここを訪れた彼に。
 面白いもの等ないだろうと、問うてみれば。
 そんなこと、ないよ。
 そう、微笑って。
 だから。
 何も、言わずに。
 彼の好きに、させていた。
「・・・・・・・」
 どんなに足音を忍ばせても。
 気配を、断っても。
 その、氣は。
 近付けば、その存在を意識させて。
 顔を上げずとも、そこにいることは判る。
 きっと。
 まっすぐに、あの柔らかい笑みを浮かべて。
 見て、いるのだと。
 それが、判っていて。
 でも、弥勒には。
 声をかけることも。
 顔を上げ、振り返ることも。
 出来ない、のは。

 そう、それは。
 幼い頃、縁側に遊びに来た雀の子を。
 もっと、間近で見ていたいと思いながらも、それは。
 そうすれば、驚いて逃げてしまうのが、分かっていて。
 飛び去る雀を見送った、あの微かな胸の痛みが。
 そんなことが、今になって。
 記憶に蘇るとは。

 彼、は。
 雀の子ではないのだから。
 そんなことで、逃げたりはしないのに。
 なのに。
 まっすぐに自分を見つめているのであろう、その瞳を。
 自分も、果たしてまっすぐに見つめかえせるのだろうか、と。
 そんな、ことを考えてしまうのは。

「・・・・・弥勒」
 不意に。
 名を呼ばれて。
 手が、止まる。
「・・・・・君、か」
 確認するまでもなく。
 それでも。
 今、初めて気付いたかのように、振る舞う。
 理由等、考えてみたところで、出ないもので。
 ゆっくりと、頭を巡らせば、やはりそこには。
 美しい、と。
 密やかに、弥勒が評した龍斗の微笑む貌があって。
「・・・・・お腹、すいたね」
 クスリと笑って、言うから。
 突然何を、と問いかけようとして。
 途端。
 自分の、腹が。
 その音で、空腹を訴えるから。
「・・・・・」
「さっきから、鳴ってたよ」
 クスクスと。
 可笑しそうに。
 それで、ようやく昨夜から何も口にしていなかったことに
気付いて。
 面掘りに集中し過ぎると、たまにこうして食事も睡眠すら
とらずに、倒れることがあるのだと。
 告げれば、大きな目を文字どおり丸くして。
「じゃ、俺が声かけて助かったね」
「・・・そうだな」
 楽しそうに、笑うのに。
 目を奪われて。
 このまま、それこそ寝食を忘れて眺めていたいと。
 そんなことまで、考えてしまって。
 莫迦なことを、と。
 それを、誤魔化すように。
「・・・・・飯の支度をする、から・・・」
 告げて。
 夕餉に、誘えば。
「・・・良いの?」
 そして、また。
 嬉しそうな顔で。
 その度に、あからさまに鼓動が跳ね上がるのを。
 気付かれていないか、懸念しながら。
「・・・ああ」
 頷いて。
 立ち上がろうと、すれば。
「・・・・ッ」
「え、・・・・ッ弥勒 ! 」
 足の、感覚が。
 掴めずに、そのままグラリと傾きかけるのを。
「だ、大丈夫・・・・?」
 咄嗟に、彼に抱きかかえられるように、支えられて。
 初めて、こんな間近で見る、その貌に。
 その肌の透き通るような色に。
 息を飲んで。
「御飯食べてないから、貧血とか・・・・」
 おろおろして問いかける、その様が。
 何処か、幼く映って。
「・・・・・いや」
 今日だけで、色んな表情を拝めたなと、密かに笑んで。
 心配そうに覗き込んでくる、彼に。
「足が、痺れただけだ」
 そう、告げれば。
 一瞬、呆然として。
 やがて、その顔が歪んで。
 泣き顔の、一歩手前で。
「・・・・ッも、・・・・びっくりした・・・・・」
 それでも、すぐに安堵の色に。
 塗り替えられて。
「・・・済まなかった」
「や、具合悪くなったんじゃないなら、良いし」
 極、至近距離。
 吐息さえ、触れる。
 そんな、近くで。
 そんな風に、微笑ったりすれば。
 どうしても。
「・・・・・」
 困って、しまって。
 それでも、まだ痺れ切ってしまっている足は。
 動かせそうもないから。
 だから。
「・・・・・済まんが、暫くは」
 このままで。
 せめて、今だけは。
「・・・・・うん」
 くすぐったそうな、笑みを浮かべて。
 こっそりと。
 彼が呟いたのは。

  捕まえた

 それ、は。
「今、何と・・・・」
「・・・ふふッ」
 聞き違いをしたのかと、問うてみても。
 微笑って。
 誤魔化してしまうから。
「・・・・・」
 それっきり、何も言えずに。
 端から見れば、男ふたり何を抱き合っているのかと。
 奇妙な光景に映るのだろうけれども。
 そう。
 抱き合って、いるのだ。経緯はともかく。
 その事実に、気付いてしまえば。
 どうにも、困惑してしまう弥勒で。
 不快などでは、決してなく。
 むしろ。
「・・・・龍斗」
「ん・・・?」
 それを。
 自覚してしまえば。
 もう。
「治った、・・・・から」
 こんな風に密着しているのは。
 何かと都合が。
「・・・・そ?」
 だがしかし、そんな弥勒の動揺を知ってか知らずか。
 背に回された腕は、そのままで。
 自分から身を離すのも。
 何となく。
「・・・・・」
 出来ずに。
 それならば。
「・・・・・ッ」
 ほんの少しの。
 悪戯心で。
 背に回した、片方の腕で。
 腰を、引き寄せるようにすれば。
 一瞬、驚いたように息を飲む気配がして。
 さすがに、逃げるのだろうなと。
 自嘲気味に、歪めた唇に。
 不意に。
 掠めた、もの。
「・・・・・・・ッ!?」
 今度は弥勒の方が、驚いて。
 龍斗を伺い見れば。
 ペロリと舌を出して。
「御返し」
 そんな。
 ひとことを。
「・・・・・煽ってくれるな・・・」
 跳ね上がった鼓動を、宥めるように大きく息を吐いて。
 その肩口に顔を埋めるようにして。
 こちらも。
「ひ、ゃ・・・・ッ」
 白い首筋を。
 軽く、嚼めば。
 くすぐったそうに身を捩りつつも。
 彼は。
 逃げようと、しないから。
「・・・・・雀の子では、なかったな・・・」
「・・・何、それ・・・」
 怪訝そうに問いかけてくる、その。
 唇を。
 こちらから、塞いで。
 きっと。
 逃げたりしないと。
 期待にも似た、それは。
「・・・・・ん」
 確信へと、変わる。
 吐息が、混ざりあう瞬間。
 そのまま、床の上に倒れ込むようにして。
「・・・み、ろく・・・」
 体重をかけて、縫いとめれば。
 少し、困ったような顔で。
「・・・・・えと、・・・御飯は・・・・」
 そんなことを、聞いて来るから。
 フ、と。
 笑いと共に、耳朶に唇を寄せて。
「まずは、君だ」
 囁けば。
「・・・・ま、・・・・ねぇ御飯食べてから・・・」
 それは。
 拒んではいないのは明白で。
 つまり彼も、そのつもりだったのだと。
「君が先だ」
 分かるから。
「・・・・・空腹の俺を煽った・・・君が悪い」
 駆け引きなんて、器用な真似は出来ないから。
 その、ままに。
 彼を。
「・・・・・後で、ちゃんと・・・御飯・・・」
「ああ」
 満たす。
 満たされる。
 それでもきっと、飽くことなく求めてしまうのだろうと。
 それさえも、自覚しながら。
「だから今は、君に集中する」
「・・・・・大丈夫かなぁ・・・・」
 困ったように、笑いながら。
 それはきっと、ひとつのことに没頭してしまえば、他のことを
忘れてしまう、弥勒のことを懸念しての呟きで。
 でも、溜息は。
 すぐに、甘い吐息へと変わる。
 覆い被さる身体を抱き寄せながら。
 龍斗の意識もまた。
 この、一途な男へと。
 彼が与えるものだけに。

 ここ、を。
 満たして。



ケダモノーーーーーッ(待て)!!!!
飢えてます、喰う気満々です・・・あああああ(怯)。
や、でも据え膳を喰うと言うのは男として正しい姿です(爽笑)。
でも、やっぱり栄養補給しておかねばです。
最中に、倒れられるとナニかと困るのです(しみじみ)。