『抱擁』



 抱き締めると
 抱き締められると
 ねぇ、とても
 安心、するね



 夜空を仰ぐと、満ちた月が綺麗で。
 暫し眺めていると、縁側に出た時に止んだ虫の音が、また。
 涼やかに、鳴り響いて。
「・・・ふふ」
 姿の見えぬ小さな虫達に、ふと思いを馳せ。
 柔らかな笑みを浮かべて、ソロリと。
 踵を返し、足音も気配すら断って。
 抜け出たばかりの、自室とは逆の方向へと、歩を進めれば。
「こんな夜更けに、何処へお行きだい?」
 横切ろうとした部屋の襖が、スルリと開いて。
 夜着を纏った、妖艶な女---桔梗が、縁に凭れ掛かるように
して立っていて。
 月明かりだけが頼りの闇の中。
 互いに。
 夜目は、恐ろしく効くから。
 暫し無言で。
 あくまで表情は穏やかなままで、伺うような視線を向ける
女を、顧みれば。
「・・・・・あァ、そうだね・・・知ってるさ」
 ゆるりと目を伏せて。
「あの方に、呼ばれているんだろう?」
 その言葉に。
 微かに、首を傾げてみせれば。
 時を同じくして、上げた顔。
 艶やかな笑みを敷いた、それは。
「・・・・・やっぱり、桔梗なんだね」
「何の、ことだい」
「天戒に・・・・・」
 続けるのを。
 躊躇えば。
「・・・・・あの方が15の時だった」
 年長者故の、勘であったのか。
 言わんとするところを、すぐに理解して。
 ふ、と笑みが柔らかくなるのに。
「誰でも良いという訳ではないからね・・・・・嵐王たちとも
話し合って、あたしが務めさせて頂いた」
 遠い、目。
 そこにあるのは、激しい熱情ではなく。
 慈愛さえ感じさせる、貌。
「本当に、数える程しか肌を合わせたことはないよ。遠慮のような
ものがあったのか、そういう方面に関しては、淡泊なのかとも思った
・・・思って、いたんだけどね」
「・・・・・」
 スッと、伸ばされた手。
 白い繊細な指が、龍斗の胸元を伝って。
 着物の合わせを、そっと広げれば。
 普段であれば、見られることなどないであろう、場所に。
 密やかに印された、紅い。
「昨晩も、その前も・・・・・夜毎、通い詰めだろう?」
 その痕を、指先でくすぐるのに、軽く身を捩れば。
 クスリと笑って、おもむろに近付いてくる、顔。
「・・・・・天戒様は、優しくしてくれるかい?」
 何処か。
 悪戯っぽい笑みに。
 龍斗は、知らず強張っていた身体を弛緩させて。
「優しいよ・・・・・・とても」
「そうかい」
 その言葉に。
 浮かんだのは、ホッとしたような色で。
「たーさんが見かけによらず頑丈だからって、夜毎のお召しじゃあ
さすがに身体が壊れちまうんじゃないかってね・・・」
 それ、は。
「・・・・・心配、してくれたのか・・・・」
「おや、意外そうな顔だねぇ」
 思わず、黙り込む。
 天戒に全てを捧げる、女だ。
 だから、もしかして、と。
 過ったものを、否定出来なくて。
「・・・嫉妬していないと言えば、そりゃ嘘だけどね」
 見透かしたように。
 微笑を称えて。
「そんなのは、ちっぽけな感傷さ・・・・それよりも、あたしは
大きな望みを持っている」
 天戒の。
 悲願、を。
 そして。
 幸せを。
 心から。
「だから・・・・・あんたが、あの方の側にいてくれるのは、
あたしにとっては喜ぶべきことなんだよ」
「・・・・・桔梗」
「それに、あたしはあんたが、とても好きだよ・・・たーさん」
 胸元に遊ばせていた手を、そろりと上げて。
 両手で。
 龍斗の頬を、挟み込むようにして。
「あの方が望んで・・・そして、あんたもそれを望んでいると
いうのなら・・・・・あたしは」
「・・・・・俺の、意志だよ・・・ちゃんと」
 まっすぐな視線を受け止めて。
 まっすぐに、返して。
「此処にいるのも、天戒の側にいるのも・・・俺が、そう望んだ
からだよ・・・桔梗」
 偽らざる、言葉で。
 告げれば。
「疑っていた訳じゃないけど・・・それを聞いて安心したよ」
 本当に。
 嬉しそうに。
 とても綺麗に笑うから。
 それに暫し、見とれてしまって。
「・・・・・ふふッ」
「ッ・・・」
 だから、少し。
 油断したなと、はたと気付いたのは。
 掠めるように、桔梗が。
 唇を奪った、後。
「これを天戒様が独り占めしているかと思うと、何やら口惜しい
ような気もするねぇ・・・」
 口元を押さえて、絶句するのに。
 不敵に微笑う犯人は、ヒラヒラと手を振って。
「内緒、だよ」
 肩ごし、片目を軽く瞑ってみせて。
 クスクスと楽しげな笑いを残し、襖の中へと消えるのを。
 呆然と、見送って。
「・・・・・姐さんには、適わないな」
 溜息と。
 そして。
 おやすみ、と呟きを残して。
 少し急ぎ足で。
 奥の間へと、向かった。



「・・・・・遅くなって、ごめん」
 そろりと、襖を開けて。
 天戒の、寝所。
 もう、何度も通い慣れている、その部屋に。
 身を滑り込ませ、背で閉ざして。
 約束の刻限に、少しばかり遅れたことを詫びれば。
「この俺を焦らすとは、いい度胸だな・・・龍」
 褥の上、傍らの僅かな灯りの元で、書を読んでいたらしく。
 ゆるりと顔を上げ、意味ありげな笑みで迎えるのに。
「そういうつもりは、なかったんだけど・・・」
 肩を竦め、手招きされるままに傍らに歩み寄れば。
 すぐに、手を引かれ。
 そのまま、布団に縫い止められて。
「・・・・・まあ、良い・・・」
 覆い被さる、龍斗より幾回りか大きな身体。
 首筋に掛かる、吐息に。
 微かに身を震わせれば。
「今宵は、・・・・・このままで」
「え、・・・・」
「何だ、不満か・・・?」
 性急に。
 求められるのを覚悟していたから。
 驚きを隠せずに、声を上げてしまえば。
 何やら含み笑いを浮かべた顔が、目の前に近付いて来て。
「・・・・・して、欲しいと強請るのであれば・・・・」
「そ、うじゃないけど・・・」
 唇が触れる、寸前で。
 悪戯っぽく笑うのに。
 こちらも笑顔で返して。
「・・・・・こういうのも、好きだな・・・・・」
 ただ。
 抱き合って。
 眠るだけの。
 ただ、それだけのことでも。
 本当に。
「・・・気持ちいい・・・」
 背に腕を回して。
 うっとりと、呟けば。
 極至近距離、その貌が。
 途端、複雑そうな笑顔に変わるのに。
「・・・・・天戒・・・・・あ、ッ・・・」
「・・・・・済まん」
 何もせずに。
 眠る、つもりだったのに。
 やはり。
 鬼の頭目も、ただの男で。
「・・・結局、そうなるんだよな・・・」
 笑いを堪え切れずに。
 憮然とする、目の前の顔を引き寄せれば。
「・・・・・しかし」
 躊躇いがちに。
 身を離そうとするのを。
 引き止めるように、腕に力を込めて。
「・・・龍、・・・」
「俺が、欲しいの」
 告げれば。
 驚いたように、目を見開いて。
 それでもまだ、戸惑いに揺れる瞳を。
 見上げて。
「・・・・して、天戒」
 そう。
 強請れば。
 泣き出しそうな。
 そんな、貌で。
 微笑うから。
 それが。
 とても、愛しくて。
「・・・・・俺を、甘やかし過ぎだ・・・龍」
「・・・ふふッ」
 愛おしくて。
 しょうがないから。
「天戒に抱かれている時が、一番・・・・幸せだよ」
 それは、本当のことで。
 隠したって、しょうがないから。
「だから、・・・・・ッ」
 それを、請う。
 言葉は、降りてきた唇に吐息ごと奪われて。
 口付けも。
 愛撫も。
 全部。
 天戒が、与えてくれるものは。
 感情も、全てが。
 愛おしくて。
 大切な、もの。

 だから。
 これは、自分のため。
 護りたいと思うのは。
 自己満足にすぎないのかも、しれないけれど。

 でも。
 きっと、同じ想いを抱えてる。
 そこにあるものは、互いに。
 ねぇ、だから。

 離れない、から。
 離さない、から。

 離れないで。
 離さないで。

 呟きは。
 熱い吐息に変わって。

 闇に。
 溶ける。




天戒様・筆下ろしの過去発覚(ヲイ)。
まあでも、多分そうなんじゃないかねー、と
友人と話してたんですが(下世話)。
桔梗は天戒にとって、家族のように大切な存在。
桔梗にとっても、そう。今は、そんなカンジで。
龍斗も、ある意味天戒にとっては家族です。
嫁です(悦)。奥方様(待て)。