『不可避』



 見たくないものに限って。
 目についてしまって。
 見ていられなくて。
 逃げ出した。


「・・・・・どうしたの?」
 いつものように。
 面を彫る弥勒の、その傍らには。
 龍斗が。
 言われるでもなく、おとなしく座って。
 面が出来上がっていく過程を。
 そして。
 弥勒自身は、気付いているのか定かではないけれども。
 真剣な面持ちで、鑿を使う。
 その横顔を。
 柔らかい表情で眺めている。
「・・・何が、だ」
 作業中は、声をかけることは稀で。
 かけられたところで、すぐには気付かないことも多い
弥勒であったけれども。
 ポツリと。
 困惑を滲ませた声色に。
 すぐに、顔を上げたのは。
 おそらく。
 面に、集中出来ていなかった。
 それに気付けば。
 聞き返す声は。
 何処か、投げやりにも思えて。
「苦しそうだよ・・・・・」
 面が、と。
 呟くのに。
 手元を見れば。
 傍目には、穏やかな表情を浮かべる女の面差しが。
 それが。
 偽りの。
 笑み、で。
「・・・・・」
「何か・・・・・悩み事でも、あるの?」
 身を乗り出して。
 本当に、心配しているのだと。
 表情から。
 氣からも。
 それは、伝わって来るけれども。
「・・・・・気が、散る」
 ボソリと。
 それでも、その言葉は龍斗にも真直ぐに伝わって。
 一瞬、息を飲むような気配に。
 胸の。
 奥が、チリチリと。
 焦げ付くような。
 痛みと。
 これ、は。
「・・・・・俺、邪魔・・・?」
 喉の奥から、辛うじて絞り出したような、声の震えに。
 彼が、どんな顔でこちらを見ているのか。
 知るのが。
 怖くて。
 目を、逸らせば。
 肯定と、とったのか。
 そろりと立ち上がって。
 何処か頼り無げな足取りで、戸口へと向かっていくのに。
「・・・・・ごめんなさい」
 背を向けたまま。
 呟いて。
 微かに軋む音と共に、閉じられた戸。
 閉ざされた。
 心。

「・・・・・」
 龍斗が去れば。
 驚く程、部屋が広く感じられて。
 取り巻く外気の温度さえ、一気に下がったようで。
 思わず、ブルリと身震いをして。
「見苦しいな」
 不意に。
 かけられた声に、顔を上げれば。
 常のことであるのか。
 気配と言うものを、全く感じさせずに。
 戸口に凭れ、腕組みをしたまま。
 こちらを見遣る、涼しげな面差しの。
「・・・・・奈涸さん、か」
 あからさまな動揺を落ち着かせるように、大きく
息を吐いて。気配もなく突然現れ声を掛ける不躾さを
非難するように眉を寄せるのに。
「今の君の顔を、鏡で見たまえ」
 相手は、といえば。
 全く、意に介した様子もなく。
「俺の、顔・・・・・」
「その面にも、出ている・・・・・苦々しげな、思いがな」
 告げられた言葉は。
 弥勒には。
 否定、など。
 出来ないもので。
 それでも。
 この、男には。
 この男に、だけは。
「・・・・・あんたに、言われたくはない」
 低い、声で。
 呻くように、呟けば。
 湖面のような静かな表情が、僅かに揺らいで。
「やはり、・・・・・見ていたのか」
 顎に手を当て。
 探るような、瞳で。
「君の氣を、感じたと思ったら、すぐに」
 逃げるように。
 去ってしまった、から。
「・・・・・」
 そう。
 逃げた、のだ。
 先日。
 穏やかな、昼下がり。
 木陰で、微睡む龍斗を。
 通りかがったらしい奈涸、が。
 極自然な所作で。
 そっと抱き上げて。
 眠る龍斗の。
 額に。
 口付ける、のを。
 偶然、に。
「ただの・・・・・親愛の、印だろう?」
「・・・・・白々しい台詞だ」
「・・・・・そうだな」
 クスリと笑った貌は。
 それでも、嫌味なものではなく。
「鑿の1つでも、飛んでくるかと思ったんだが」
「・・・・・」
「あァ、面だったかな・・・君の攻撃手段は」
 それでも。
 含みの有る物言いに。
 自然、表情が剣呑なものになるのに。
「避ける心づもりは出来ていたんだがね・・・だが、君は」
 逃げた。
 その、光景を。
 見たくは。
 見ていることは、出来なくて。
「・・・・・あんたは、何が言いたい」
 見透かしたような、奈涸の態度に。
 ゆるりと立ち上がって。
 視線を、高いものにすれば。
「傷心の彼を、落とすのは・・・・・容易いよ」
 対峙する、奈涸は。
 挑むような。
 目、で。
「・・・・・な、ッ」
「言葉と・・・・・身体で、ね。どんな手段を使ってでも
慰めてあげられる・・・あァ、先日手に入れた南蛮渡来の
媚薬で、悦い気分にさせてから・・・・・」
「外道が・・・・・ッ!!」
 ガツンと。
 鈍い音を立てて。
 奈涸が凭れていた、木戸に。
 深く、突き刺さる。
 鑿。
「・・・・・面じゃないのは、手加減したということかな」
「・・・・・」
 避けていなければ。
 その、眉間を。
 貫いていたはずの。
 だが、髪ひとすじ損なうことなく。
 躱した男は、やはり涼しげな表情で。
「あの時に、・・・・・そうしていれば良かったのだ」
 感情を。
 真直ぐに。
 そうすれば。
 彼、は。
「・・・・・今の俺が、全てだと・・・・・言ってくれた」
「・・・・・龍君、らしいね」
「何も、・・・・・欠けているものなんて、ないと」
 その言葉通りに。
 今。
 在る、自分の全てで。
 彼を。
 そう、思っていた。
「・・・・・つまらない、嫉妬だ」
 眠る龍斗を。
 その。
 両の手で。
 抱き上げる、様を。
 抱かれて。
 安心して身を任せる、その姿を。
 見て、しまって。
 ズキリと。
 痛んだ。
 ないはずの。
 腕、が。
「・・・・・贅沢な男だな、君は」
「・・・・・」
「その気持ちが、分からんでもないがな・・・」
「分かって貰う必要はない・・・・・だが、龍さんは、
あんたには渡さない」
「・・・・・そういう心構えで、いることだな」
 フ、と。
 浮かべた笑みは。
 柔らかさの中に。
 何処か。
「・・・・・あァ、忘れるところだったよ」
 滲ませた、ものを。
 掻き消す、ように。
 帰り際。
 ふと思い出した、とでもいうように。
 ポンと、手を打って。
「龍君が、死にそうな顔で飛び出して来たものだからね。
万が一の事があっては困るから、咄嗟に薬を嗅がせて
意識を・・・・・」
「・・・・ッ貴様・・・・・!!」
 サラリと。
 恐ろしいことを、告げる男に。
 今度こそ外さずに、鑿を打ち込んでやろうと思った
弥勒であったけれども。
 戸口に立つ奈涸を押し退けて。
 外に、飛び出せば。
「・・・・・ッ」
 出た、すぐ脇に。
 壁に凭れ掛かるようにして座り込んで。
 奈涸が告げた通り、意識を失っているらしい。
 龍斗、が。
「・・・ッ龍さん・・・!」
 すぐに跪いて。
 顔を、覗き込めば。
「・・・・・」
 安らかな。
 寝息。
 どうやら、嗅がせた薬と言うのは。
「軽い催眠作用があるものだ・・・害はないよ」
 偽りでは、ないだろう。
 龍斗に、害を与えるようなものなど。
 使うことが。
 あるはずは、ないのだ。 
 この男が。
「さァ、君はどうするかな」
 開かれた戸に背を預け、立ったままで。
 弥勒がとる、行動を。
 薄笑いを浮かべながら。
 見下ろしている、のに。
「あんたの手は借りん」
 きっぱりと、言い放って。
「ほぅ、どうやって龍君を抱き上げるんだい」
「あんたと、俺は違う」
 そう。
 同じであることなど、ない。
 その必要は、ない。
 奈涸と、弥勒とは。
 別の、人間なのだから。
「・・・・・」
 眠り続ける龍斗の上体を、抱き起こして。
「・・・・・ッ」
 やや、乱暴な所作ではあったけれども。
 凭れ掛かって来る身体の下に、片腕を差し入れるようにして。
「・・・・・これ、は」
 そのまま。
 肩に。
 担ぎ上げれば。
 本当に驚いた、という貌で。
 奈涸が、喉を鳴らすのに。
「用が済んだのなら、帰ってくれ」
「・・・・・まァ、今日のところはね」
 龍斗を担ぎ上げたまま。
 背を、向けて。
 戸を、閉める真際。
「・・・・・済まん」
「・・・・・それは、龍君に言うんだね」
 そう。
 言葉を交わして。
 戸が閉ざされると同時に、奈涸も背を向け。
 暮れかけた空を仰ぎながら。
 ゆっくりと、その場を立ち去った。


「・・・・・ん」
 取りあえず、布団に寝かし付けようと。
 奥の部屋へと続く襖を開け、薄暗いそこに足を踏み入れれば。
 元々、不安定な体勢で抱えられている上に、歩けばどうしても
身体が揺れるから。
「・・・・え、ッ何・・・・ッ」
 その振動で。
 ふわりと、覚醒した龍斗は。
 目を開けた途端、畳を上から見下ろす、その視界に驚いて。
「た、つさ・・・」
「ッう、わ・・・・ッ」
 上体を、起こそうとしたものだから。
 そのまま。
 ふたりして。
「・・・・い、たー・・・・」
 思いっきり。
 倒れ込んだ、そこは。
 敷きっぱなしの布団があったから。
 衝撃は、半減されたけれども。
 背中を強か打ったらしく、顔を顰める龍斗と。
 同じく、咄嗟に付いた膝を打ち付けたらしい、弥勒が。
 呻きながら。
 上げた顔を。
 見合わせて。
「・・・・・あ、・・・」
「・・・・・龍、さん・・・・・」
 布団の上。
 向かい合ったまま。
 互いに。
 言葉を探して。
「・・・・・ッ済まん」
「え、ッちょ・・・・・」
 探し倦ねて。
 弥勒が。
 困惑したままの、龍斗の。
 腕を引いて。
 困惑した貌が、驚きに変わるのを。
 瞬きもせずに見つめながら。
「・・・・・ん」
 唇を。
 半ば、強引に。
 重ねれば。
 見開かれたままだった瞳は、やがてそろりと閉じられて。
 首に、腕が回される。
 次第に。
 互いに。
 深くなる、口付けに。
 ひとしきり、酔いしれて。
「・・・・・ッど、・・・した・・・の?」
 名残惜しげに、唇を解放すれば。
 息付く間も与えぬ程の、激しさに。
 瞳を、潤ませて。
 見つめてくる、から。
「ずっと、・・・・・いて欲しい」
 俺の。
 傍らに。
 ずっと、側で。
「・・・・・いて、良いの?」
「此処に、いて欲しい・・・・・龍さん」
 片方だけの、腕で。
 抱き締める。
 これ、が。
 自分の全てで。
 自然な、形で。
 ここに。
 自分の傍らに龍斗が、いることも。
 既に。
 当たり前のことと。
 なりつつあって。
 でなければ。
 もう。
「・・・・・うん」
 胸に押し当てられた唇から。
 くぐもった、声で。
 それでも、嬉しげな響きに。
 抱く腕の力を、強くして。
「・・・・・あ」
 ふと。
 気付いたように、声をあげるのに。
「どうかしたのか」
「や、確か奈涸が・・・・・」
「その名を今、口にするな」
 思わず。
 憮然として、呟けば。
 大きな瞳を、きょとんと見開いて見上げてくるのに。
「・・・・・ねぇ、もしかして・・・」
 焼きもち、と。
 笑いを含めつつ、開きかけた唇を。
 己のそれで、性急に塞いでしまうから。
 いっそ、肯定したようなもので。
 龍斗が立ち去る原因となった、弥勒の先刻の言動も。
 成る程、理解出来たような気がするから。
 触れた唇から。
 腕から。
 身体から。
 与えられる熱に、意識を委ねて。
 敷きっぱなしの布団だって、お誂え向きだとばかりに。
 倒れ込んで。
 そのまま。
「弥勒、大好き」
 濡れた唇で、囁けば。
 今更、なのに。
 まだ憮然とした表情のまま。
 それでも、頬を微かに朱に染めるから。
「大好き・・・だから、ずっとここにいさせて」
 頭を抱いて。
 引き寄せて。
 額に。
 頬に。
 唇に、掠めるように。
 そして、首筋に。
 強く押し当てられる唇が。
 愛しくて。
 愛しくて。
「大好き・・・・・弥勒」
 甘く。
 吐息と共に、囁いて。
「・・・・・俺、も」
 好きだ、と。
 はっきりとは、言わないけれど。
 分かるから。
 ちゃんと。
 伝わってる、から。
 嬉しくて。
 震える、身体。
 触れて。
 感じて。
 もっと。
 もっと。
「み、ろく・・・・・」
 掠れた声で。
 何度も。
 愛しい人の名を。
 呼べば。
 肌をくすぐる吐息が。
 微笑って。
「好きだ・・・・・龍斗」
 低い声で。
 囁く。
 全部。
 愛しくて、堪らない。

「・・・・・好き」

 伝えながら。
 自分でも、確認して。

 こんなにも。
 魅かれている。

 だから。
 もう。

 逃げたりしない。




弥勒、ジェラシー編(何)。
っつーか、暗躍しまくりです、抜け忍め(笑)。
愛し方なんて、人それぞれ。弥勒は弥勒のやり方で。
比べる必要なんて、ないのです。
でもまあ、愛の再確認てコトで、一件落着(御白州??)。