『独占』




 『特別』を作ってはいけない。
 唯ひとりに、向けられる想いがあってはならない。
 誰かが、そう囁く。
 否、それは。

 己が自分自身に、向けた言葉。
 己で決めた、こと。
 なのに。

 もう既に、俺は。



「御苦労であった。暫し身体を休めるが良い」
 町での情報収集を終え、夕刻に村に戻った鬼道衆の者たちを
広間で迎え、各々の報告を聞く。
 それらの中に、特にこれといって大きな情報はなく。龍閃組と
やらも、目立った動きはない。
 前に控えた者たちの労をねぎらい、それぞれが下がろうとする
のを。
「龍」
 ひとり。
「・・・何?」
「お前は、残れ」
 呼び止め。
 ここ、に。
 引き留めて。
「・・・分かった」
 他の者たちに背を向け、こちらに歩み寄るのを眺めつつ。
 ふと。
 広間を出ていく中に。
 物言いた気な、視線を残す影を。
 視線を向けずとも、それが誰であったのか。
 おそらく、識っている。
 ふたりとも。

「ここへ」
 怪訝そうに小首を傾げる、彼を手招きして。
 他の者の気配が、完全に消えたのを確認したのか、小走りに
駆け寄って来ると、そのままの勢いで。
「ッ龍・・・」
「・・・ふふッ」
 腕の中に飛び込んで来るから。
 受け止めたものの、すっかり姿勢を崩してしまって。
「ここは、私室ではないのだから・・・」
「なら、夜まで待てば良かったんだ」
 組み直した胡座の上に、向かい合う形で跨がって。
 極自然な仕種で、首に回した腕。
 そのまま。
 近付いてくる唇に。
 触れて、応えたいのを。堪えて、寸で押し止めて。
「・・・天戒・・・?」
「ここでは、だめだ」
「・・・・・公私は弁えろってこと?」
 そう言って、自分で納得したのか。そろりと身体を離し、
前に膝を揃えきっちりと座って。
「でも・・・・・俺を呼び止めたのは、私用でしょ?」
 全てを、見透かしたように。
 その笑みは、いっそ蠱惑的なほど。
 真直ぐに、俺を捕らえて。
「・・・・・昨夜」
「・・・・・・・」
「風邪気味だというから、抱かずに帰した」
 俺が、言おうとしていることも、おそらくは。
「・・・・・そうだったね」
「ぐっすりと寝て、回復したのだと思っていた」
 彼は。
「・・・うん、治ったよ」
 全て。
「・・・・・伝染(うつ)したか・・・澳継に」
 知って。
「・・・・・ああ、だって」

   天戒に、伝染(うつ)すわけには、いかない

 例えそれが。
 理由、になったとしても。

「あ、・・・・・ッ」
 それはあくまで、表向きで。
 彼は。
 俺では、なく。
「て、んか・・・いッ」
 咄嗟に腰を浮かし、逃れようとした身体を。
 捕まえて。
 引き寄せて、そのまま床に。
 骨が軋む程に、腕を掴んで。縫い付けて。
「あの子供を・・・どうやって誘った・・・龍」
 掴んだ腕も。そして、心も。
 彼が、どんな痛みを感じるのか。
 分からないことではない、それでも。
「この、瞳でか・・・・それとも、唇か・・・・・そして
あいつの前で、こうして脚を開いて・・・・」
「・・・・・ッ人、を呼ぶぞ ! 」
 悲鳴のような、声も。
「呼びたくば、呼ぶが良い・・・・その痴態を皆に見せようと
いうのならばな。助けを求めたところで・・・この屋敷に俺を
咎める者等、おらぬ」
 己の言葉にすら。
 刃のように。
 胸を深々と貫いて。
 紅い涙を、流しているのに。
「・・・・・天戒」
 ふと。
 俺を見据えていた強い瞳の光が揺らぎ。
 次の、瞬間。
「・・・・・・ッく・・・」
 反射的に『それ』を止めようと、その口に差し込んだ指を。
 恐ろしい力で、噛み締められて。
「・・・・・な・・・ッ」
 咄嗟に力を緩めたのか、噛み切られこそしなかったものの、
肉は深く裂け、真っ赤な鮮血が滴り。
 茫然と見上げてくる、彼の白い肌を染め上げていく。
「・・・・・済まん・・・」
 何故。
 俺の行為も。そして、今呟いた謝罪の言葉も。
 どうしてだと。ゆるゆると首を振り、その瞳が。
 言葉よりも雄弁に、問いかけていて。
「・・・・・鬼道衆、も・・・この村も、俺が統治するもの
であっても、俺だけのものでは、ない・・・」
 溢れる血は、まだ止まる様子はなかったけれども。
 それよりも。
 この美しいものを汚してしまったことが。
 それを、その許しを請うように。
 頬に落ちた血の跡を、そろりと舌で拭えば。
 一瞬、怯えたように肩を震わせて。それでも、抗う様子もなく
ただ、黙って。
 俺を、受け入れようとしてくれているようで。
 胸が。熱くなる。
「俺が、命令を下すことがあっても、それは俺の意のままに
動かそうというものでは、ない」
 耳元にまで伝う血を、舐めとりながら。
 言葉を。その、ひとつひとつを。
 注ぎ込むように。
「・・・・・俺が、俺の思うがままにして良いものなど・・・
ないのだ、と・・・・・分かっている。俺ひとりのものにしては
ならぬと、そう・・・・・分かっているはず、なのに」
 ああ、何故。
 いつも、彼の前では。
 自分は、こんなにも。
「・・・・・痛い・・・・・?」
 まだドクドクと鮮血を流す、指を。
 手を。いつしか解放していた腕を伸ばして、そっと。
 触れて。
 ゆっくりと、口元に導くと。
「・・・・ッ」
 再び汚れてしまうのも意に止めぬように、口に。
 含んで。
 濡れた舌が傷口に触れる度、痺れるような痛みと。
 そして。
 目眩のような。
「・・・・・龍・・・」
 やがて。
 そろりと放された指は。
 あれほどの出血が、ピタリと止まって。
「・・・・・あいつも、泣いていたから・・・・・」
 それが。
 誰のことを言っているのかは、容易に知れて。
「・・・・・そう、だね・・・まだ、子供・・・だったんだ」
 軽く伏せていた、目を。
 開いて、見つめられれば。
 それだけで。
「本当に・・・・・抱きしめたかったのは、あいつじゃ・・・
なかった、んだ・・・」
 それは。
 自身にも、言い聞かせるような。
 柔らかな、しかし確かめるような、声で。
「身体も、心も・・・・・抱きしめたいと、そう思ったのは
・・・・・たった、ひとりなのにね」
 しなやかな、腕が。
 包み込むように、頭を抱き寄せて。
 重なりあう、身体。
 ああ、やはり。
 ここ、が。
「ね、・・・・・俺、だけは・・・・・」
 心地よさに、目を閉じれば。
「天戒だけのものにして、良いから・・・・・せめて、ね・・・
こうして二人だけの時は・・・・・そう、思ってて、欲しいよ」
 本当は、全て。
 彼の時間すらも、独占してしまいたいと。
 だが、今はまだ。
 その刻ではないから。

 だから、せめて。
 こうして触れている間は。
 
 赦される、なら。

 彼を。
 俺だけのものに。

 そして、俺を。
 彼だけのものに。
 



誰かにとって、『唯一無二』の存在であると
いうのは、怖いくらいの幸せなのです。
そういう存在がいることも、同じく。
だからといって、周りを見失うことは出来ないのです。