『紅い月の沈黙』





 紅い月の下で。
 あの腕に、確かに抱かれていた。



 眠れない。
 胸の内で呟いて、龍斗はそっと布団を抜け出た。
 隣に敷かれた布団の中で、風祭が今夜も相変わらず何やら
うなされているのに、ちらりと視線を向ければ。
 その寝言の中に「海」やら「溺れる」やら、そういう言葉が
出て来るのに、もしやかなづちなのかと、そう思えば自然と
笑いが込み上げて来て。
 とうとう蹴り飛ばしてしまった布団を、起こしてしまわぬよう
そろりと胸元まで掛けてやると、龍斗は足音を忍ばせて部屋を
抜け出た。
 そのまま、縁側へと続く廊下に出れば、ふと足元に落ちる影が
濃くなる。
 怪訝に思い、顔を上げれば。
 紅い、月。
 満ちた、その煌々とした光に、龍斗は一瞬目を細め。やがて、
あァ…と納得したように呟いた。

 いっそ、禍々しい程に紅い、月。
 眠れなかったのは、きっと。


 誘われるように、裸足のまま龍斗は地に降り立った。踏み固め
られた冷たい土の感触も、小石の感触も。妙に昂揚した気分の中
不思議に気にならず。
 歩いて。
 辿り着いたのは、村の外れ。双羅山の入り口の雑木林で。
 其処まで来て、ようやく龍斗は歩くのを止めて、傍らの大木に
背を預け、大きく息を吐き出しながら、空を仰いだ。
 月が、何処までも付いて来る。
 何処まで行っても変わらぬ、紅い月が。

「・・・・・龍?」

 不意に。
 呼び掛けられて、視線を戻せば。
「・・・御屋形様・・・?」
 龍斗の住まうこととなった鬼哭村の長-------そして、江戸を
騒がす鬼の頭目、九角天戒その人が。少し離れたところから、
訝しげにこちらを見遣っていて。
 彼は、頭目故に他の鬼道衆らと共に町に偵察に出たりすること
はなかったが、時折-----むしろ、まめに村を中心とする結界内
を見回っているようであった。
 だが、さすがに夜も更けて。この時間に、それはないだろうし
何よりも着ているものは普段の羽織ではなく、白い寝着で。
 彼、も。
「・・・・・御屋形様も、寝つけなかったのですか・・・?」
 問えば。
 月明り、ゆっくりと微笑みながら歩み寄って。
「・・・そうだな・・・・・あの、月のせいか・・・」
 やがてすぐ傍らに立ち、先程龍斗がそうしていたように、空を
仰ぐ。
 紅い月の下。
 紅い髪に、目を奪われて。
「・・・・・どうした、龍」
 暫し、不躾な程まじまじと見つめてしまっていたようで。怪訝
そうに問い掛けられた穏やかな声に、ふと我に返り。どうにも
気恥ずかしくて、ゆるゆると首を振りながら、龍斗はその視線
から逃れるように、ゆるりと顔を逸らした。
「龍」
 それを、許さなかったのか。
 何処か固い声色で呼ばれ、振り返ろうとして。その顎を、男の
大きな手が捕らえる、のに。
「・・・御屋形、様・・・・・ッ」
 半ば、怯えたように見開かれた瞳に飛び込んで来た、紅。
 それが、天戒の髪だと認識する間もなく、唇に押し当てられた
熱い感触に、思わず目を閉じてしまったから。
 紅い、残像だけが瞳に焼き付いて。
「龍、・・・・・龍・・・」
 口付けの合間に、何度も名を呼ばれる。
 苦しげに。
 愛おしげに。
 その声色の切なさに、唇を震わせ溜め息を漏らせば。
 薄く開いたそこから、待ちかねたように忍び込んでくる舌に。
絡め取られ、ひとしきり酔わされて。
 やがて、顎を伝い首筋に下りて来る唇が、舌が。薄い皮膚に
喰らい付くように、幾つも紅い証を刻んでいく。震える身体を
支えるように腰を抱いた手も熱を帯びて。もう片方の手は、性急
な程に忙しなく、龍斗のしなやかな身体の線を辿り、滑らかな肌
を曝け出していって。
 常の天戒からは想像出来ぬ、その余裕のなさに。零れる吐息に
微かに安堵にも似た微笑いが混ざる。
「御屋形様・・・・・」
 囁いた自分の声に、確かに甘さと艶めいたものを感じ取って、
龍斗は目眩すら覚えたけれども。
「・・・『天戒』、と」
 そう呼ぶように、優しく命じられ。
「・・・・・て、んかい・・・・・・」
 戸惑いながらも、震える唇でようやく口にすれば。
 いつの間にか、龍斗の顔を覗き込むようにしていた天戒の貌が
嬉しげに微笑む、から。本当に幸せそうに微笑う、から。
「・・・・・お慕いして、おります・・・」
 自分も。
 嬉しくて。
 幸せで。
 縋るように、その広い背に腕を回し、かき抱いて。
 込み上げて来る想いを、告げれば。
「ふ、・・・そのように畏まった言葉遣いは、せずとも良い」
 喜びを隠そうともせず、笑みをたたえて。目元に、頬に。そして
唇に、何度も何度も口付けを落として。
「お前を、愛おしく思っている・・・・・龍」
「・・・・・俺、も・・・天戒が、・・・好き・・・」
 互いに、きつく。激しく抱き合い。やがて、確かな意志を持って
肌を探る熱い手の平に、翻弄されるままに。握り込まれたその手の
内に、精を漏らしてしまって。
「・・・・・ッ、・・・」
 羞恥に耳まで赤く染めながら、おそるおそる天戒を見上げれば。
覗き込む、その瞳の中。狂おしい程の情欲の色に、思わず身震い
して。
「・・・・・怖い、か?」
 尋ねられて、龍斗は慌てて首を振ってそれを否定する。
 怖い、のではない。
 どうしようもなく、身体が震えてしまうのは。
「あ、ッ・・・・・」
 龍斗が放ったものを絡み付かせた長い指が、そろりと後孔に宛て
がわれ。未だ固く閉ざされた入り口を解すように、ゆっくりと円を
描いて蠢く。
「龍・・・・・」
 指の動きに。欲に掠れた声に。真摯な瞳に。
 こんなにも、この男は。
 こんなにも、この男に自分は望まれているのだと、知れて。
 胸に込み上げて来るのは、紛れもなく歓喜と呼べるもので。
「天、戒・・・・・」
 慣らす行為を促すように、名を呼ぶ声は切なげで。
 体液の滑りも手伝って、ゆるゆると内へと侵入して来る指に、
そこは痛みと。そして生まれ始めた微かな快楽を訴えて、ヒクリと
震えては咀嚼するように、1本。また1本と、男の指を飲み込んで
いく。
「ん、・・・あ、ァ・・・・・ッ」
「ここ、か・・・・・龍」
 内壁を探る指先が、ふと掠めた一点を。確かめ、見逃さぬように
何度もつついてやれば、堪え切れずに上がる嬌声と、再び頭を擡げ
震える龍斗自身が零す白濁に、得心したように目を細め。
「・・・・・許せ」
 絡み付き始めたばかりの粘膜から名残惜しげに指を引き抜き、
白くしなやかな脚を抱え上げると、その間に腰を押し進め、指の
代わりに宛てがった既に充実した昂りを、まだ狭いそこに一瞬躊躇
しながらも、押さえ切れぬ衝動に突き動かされるまま、半ば強引に
先端を潜り込ませ。
「や、・・・ッ天戒・・・・・あ、ああァ・・・ッ」
 背を預けさせた木の幹に押し付けるようにして、その身体を強く
抱き締め、奥まで。
 根元まで深々と突き入れ飲み込ませれば、強烈な圧迫感とそれに
伴う目眩のするような快感に、熱い溜め息が漏れる。耳朶に掛かる
その吐息にさえ、龍斗は身を震わせ、更に天戒自身を締め付けた。
「ッ龍、・・・・・龍・・・ッ」
 余裕が、ない。
 初心の龍斗を気遣う素振りを見せながらも、止め処なく沸き上がり
溢れる激しい情動に、抗えぬまま。奥迄突き入れては、また退いて。
敏感な粘膜を擦り上げ、そして揺さぶられて龍斗は、感じるのは苦痛
だけではない証に、甘い吐息と嬌声を漏らし始める。

 ああ、そうだ。
 あの時も、紅い月のもとで。
 あいつは、余裕なんてないくらいに。

「・・・・・・・ッ!?」
 あの、時。
 あいつ。
 それは、何時。
 それは、誰。
「あ、ッ・・・ん、ッ・・・・・あァ・・・」
 体奥に感じる、灼熱の楔。
 荒い、吐息。
 抱き締める、力強い腕。

 それ、は。

「天戒、・・・・・天、戒・・・ィ・・・ッ」
 確かめるように。
 己を抱く男の逞しい背を掻き抱き、何度も何度も名を呼ぶ。
 此処に、いるのは。
 今、自分を抱いているのは。
 今、自分の中にいるのは。
「く、・・・ッ」
「・・・ッひゃ、・・・ああァ・・・・・ん・・・ッ」
 最奥で弾け、ドクドクと熱い迸りを注ぎ込んでいる、のは。
「・・・・・龍・・・」
 優しく、名を呼んで。
 唇を重ねて来る、のは。
「・・・・・てんか、い・・・・・」
 泣き出してしまいそうなくらいに充たされて、怖いくらいの幸福な
気持ちに包まれながら、なのに。
 これは。
 胸の奥底に、ポッカリと空いた空洞は。
 これは、何。
「・・・・・天戒・・・・・」
 今、目の前にいる男が。
 自分を抱き締めて離さない、この男が。
 好きで。
 愛おしくて。
 だから。
 なのに、何故。

 初めて抱かれる、のに。
 懐かしいと感じてしまう、のは。

「・・・・・もっと・・・」
 どうか。
 この、空虚を埋めて。
 胸の隙間を駆け抜ける、風を止めて。
「もっと、・・・・・俺を・・・・・・・」
 埋めて。
 心も。
 身体も。
 天戒で、いっぱいにして。
 強請れば、きっと彼は叶えてくれる。

「俺を・・・・・・・」

 抱いていた、のは。
 あの、紅い月のもとで。
 好きだ、と激しい情熱を注ぎ込んで。
 抱き締めてくれた、のは。

「・・・・・どう、か・・・・・」

 再び与えられる快楽に、熱い吐息を逃がそうと空を仰げば。
 そこには、やはり。
 あの、紅い月。

 お前は、何を見ていたの。
 お前は、何を知っているの。

 何も、応えない。
 月だけが。
 変わらずに、ふたりを。
 見て、いた。





天戒×龍斗・・・・・なんだけど、ね(目線逸らし)。
微妙に、違う誰かさんを匂わせつつ(笑)v
話の流れ的には、陽→陰になります。そうなんです(何)。
陰での龍斗が好きなのは、天戒なのですが。
・・・・・邪に進んだ時には、一体・・・(怯)。
私も月になって覗き隊なのは、秘密です(待てや)v