『徒花』
不思議な男だと、思った。
「俺は、鬼ぞ」
そう告げれば。
ほんの僅か、唇の端を吊り上げて。
笑った、ようでもあり。
「・・・・・恐ろしいとは、思わぬのか」
ぐ、と。
身を寄せれば。
頭1つ分、身の丈のある俺を、自然見上げるような形で。
まっすぐに。
見つめてくる、その瞳に。
怯えなど。
微塵も。
「・・・・・怖い、のは」
感じさせぬ、その彩が。
一瞬、微かに揺れて。
薄く紅をさしたような、唇が。
囁くように。
漏らした、のは。
人、が。
一番、怖い。
そのまま。
立ち尽くす俺を、そっと押し退けて。
するりと。
背を向けて、去れば。
そよいだ風に。
鼻腔を掠めたのは。
彼の。
氣。
何処か。
甘くて。
思わず、ゴクリと喉を鳴らせば。
「・・・・・面白い事を、言う御人だこと」
柱の影から。
艶めいた笑いを浮かべて現れた、桔梗に。
「覗き見とは、な」
少しばかり。
非難めいた口調で、声をかければ。
「・・・・・随分と、御気に召された御様子ですねぇ」
それには、応えずに。
何処か、含みのある。
微笑を、たたえる貌を見遣り。
「・・・・・見かけに寄らず、腕っぷしも強ければ、肝も
座っているようだ・・・」
「ふふふ・・・それだけ、じゃあ・・・・ないのでしょう?」
やはり。
見透かされているようで。
ク、と喉の奥で笑えば。
手に持った三味線を、キンと。
軽く、爪弾いて。
「・・・・・少々、耳障りかもしれませんけど」
その音に。
『力』を込めた。
美しい旋律。
「明け方まで、指1本動かせやしませんから」
目、で。
促すように、婉然と。
「ごゆるりと・・・御愉しみ下さいな」
それに。
軽く、頷いて。
見送られるままに。
新参の者に、与えた部屋に。
床を踏み締めるようにして。
足を、向けた。
ス、と。
障子を開け放てば。
闇夜。微かな月明かりに。
褥に横たわる、姿が映って。
背で閉ざせば、翳りに表情ははっきりとは伺い知ることは
出来なかったが。
寝ていようと、いるまいと。
身じろぎ、ひとつ。
今の、彼には。
そろりと、傍らに歩み寄り。
身を屈め。
その上に、覆い被さるようにして、貌を。
眠っている、その。
「・・・・・ッ」
瞳が。
ゆっくりと、見開かれて。
覚醒の気配すら、感じさせなかった。
そのことよりも。
現れた、瞳に。
その、深い彩に。
見据えられて。
そのまま。
動けずに。
「・・・・・鬼、の・・・頭目は」
そして。
桜の花弁を思わせる、唇が。
紡ぎ出す声は、何処か掠れていて。
恐ろしく。
煽情的な。
「やはり・・・人を喰らうのか?」
その、問いに。
眉を、顰めれば。
「こんな・・・・・小賢しい真似までして」
白い腕が。
ゆるりと持ち上げられて。
「・・・・・な、・・・」
「あァ・・・まだ、少し痺れている、な」
緩慢な動作で。
のしかかる、男の。
肩にかけられて。
それでも。
押し返すでもなく。
置かれた、ままに。
「・・・・・どう、する・・・?」
まさに。
鬼に喰われようとしている、この状況で。
それを、確信していながら。
この、落ち着き払った貌は。
いったい。
「・・・・・本当に・・・喰らうぞ」
「そのつもりで、来たんだろう・・・?」
あくまで。
たたえた微笑は。
崩さずに。
「そう、だ・・・お前が動けようと動けまいと・・・そのような
ことは、最早どうでも良い」
だから。
更に、体重をかけて。
逃れる事など、出来ぬよう。
その白磁の頬を。
両の手で、捕らえ。
「俺には・・・むしろ、都合が良い」
人形のように横たわるだけの身体などより。
「活きの良いまま・・・喰ろうてやろうぞ」
その、言葉を。
証明するがごとく。
噛み付くように、唇を奪い。
歯列を割って、強引に舌を探れば。
意外な程容易く、それは絡め取られて。
纏う、氣と。
同じく、甘く。
とろけるような、肉を。
存分に、味わって。
「・・・ん」
鼻に抜けるような、その声に。
また、煽られて。
僅かに仰け反らせた、その白い喉元に。
食らい付くように。
歯をたて。
薄い皮膚に、滲ませた血を。
啜るようにすれば。
「・・・・・ッあ・・・」
溢れる、溜息も。
口腔に広がる、血の味さえ。
身震いがする程に。
甘美で。
夢中で舐めとりながら。
ふと。
小刻みに身を震わせる様に。
やはり怯えているのかと、顔を上げれば。
「・・・・・どう、した・・・?」
悲壮。困惑。そして、微かな愉悦と。
入り混じって。
ゆるゆると。
何か、を否定するように首を振るのに。
「・・・・・も、・・・止め・・・て」
その言葉に。
今更、と口の端を歪め。
「お前の氣も・・・肌も。甘く薫って・・・華のように雄を
誘っておるぞ・・・」
耳朶を甘噛みしながら、囁くようにすれば。
途端、抵抗が強くなって。
「・・・ッだ、めだ・・・これ以上、触れるな・・・ッ」
「後には退けぬ」
「・・・・・ッ死にたくなければ、もう・・・・ッ」
半ば。
悲鳴のように。
肩口に爪をたて、叫ぶのに。
その青ざめた貌を。
顔を上げ、見下ろせば。
涙こそ流れてはいないものの。
目は既に赤く。
突き放す言葉を吐きながらも、何処か。
縋るような。
瞳で。
「俺、を・・・・・抱こうとした男は、皆・・・・・死んだ」
射抜かれて。
その、彩に。
まさに。
魂まで、奪われてしまいそうな。
それは。
絞り出すような、告白の内容よりも。
鮮烈に。
「・・・・・お前が、殺したのか」
「違・・・・・いや、そう・・・なのだろうな」
自嘲気味な笑みを、うっすらと浮かべる。
その、紅い唇に。
いっそ、むしゃぶりつきたいのを、堪えて。
「俺が・・・・・俺の氣が、・・・・・あいつらを殺した」
あいつら、という言葉に。
侮蔑が、滲むのを見て取って。
「・・・・・手込めにしようとした、のか」
半ば呆然と呟けば。
微かに、頷いてみせて。
「同意の上なんて、・・・・・なかった・・・いつも」
遠い目で。
その、過去を。
辿っているのか。
「十の頃から・・・・・今まで。沢山の男が・・・・この躯に
群がってきた・・・・・だが、この強すぎる氣に・・・・・口を
吸っただけで、皆倒れ・・・・・そのまま絶命した」
文字どおり。
その、甘美な毒に。
美しい、妖華に。
魂を、奪われて。
「・・・・・お前、は・・・・お前も鬼と名乗ってはいても、
所詮は、人の子・・・・・このまま俺を喰らわば、その命
失う事となるやもしれんぞ」
忠告、というよりも。
警告。
この禁忌の華に。
触れては、ならぬと。
「・・・・・何故だ」
「・・・え・・・」
ふと。
沸いた、疑問。
「俺のしていることは、かつてお前を陵辱しようとした男共と違わぬ
のではないか?さぞ忌み嫌っているであろうに・・・・・それなのに、
何故わざわざそのような忠告をする?」
そろりと、僅かに乱れた髪に触れれば。
一瞬、身を強張らせて。
構わず、その柔らかい黒髪に指を滑らせ。
梳いて。
頭を撫でるような、その所作に。
フ、と。
溜息ともつかぬ吐息を漏らして。
「・・・・・何故、か・・・・・俺にも、分からぬ・・・が、そう
ただ・・・・・彼ら、が」
「彼ら?」
ゆるりと描く弧は。
先程の嘲笑、ではなく。
柔らかな。
「お前が死ねば・・・・・この村は、・・・お前を慕う民は・・・」
何処か。
哀しげな貌で。
「この村の・・・民の、行く末を案じての・・・ことか」
「・・・・・」
「・・・・・そうか」
その表情が。
もたらす、これは。
この、息苦しさは。
何だ。
「・・・・・分かったら、もう・・・」
そのまま。
逸らそうとした顔を。
顎を捕らえ、引き戻して。
驚愕に見開かれる瞳に。
そこに映る、自分が。
微笑んでいる、のを。
見て、感じた。
それは。
「俺は、・・・・・死なぬ」
「・・・・・ッ」
言の葉を。
言霊として。
その唇に。
落とせば。
ビクリと肩が震えて。
抵抗こそなかったものの、何か必死で堪えているような。
震えは、止まらずに。
「死なぬ、・・・俺は」
それでも。
何度も、繰り返し。
言い聞かせる、ように。
「でも、・・・・・でもッ」
「死なぬ」
「・・・・・ッ怖、い・・・」
初めて。
泣き言、のような。
弱々しい。
叫びを。
「・・・・・緋勇」
「怖い、・・・・怖い・・・・・」
縋り付く着物を。
指が白くなる程に、握りしめて。
「・・・・・死なない、で」
大きな瞳が、揺れて。
ポロリと。
頬を伝う。
涙。
「・・・・・龍斗」
名を、呼べば。
更に、ポロポロと。
零れ落ちる、それを。
舌で拭って。
「死なぬ、から・・・・・だから」
吐息が触れあう、距離。
頬を捕らえ、目を。
合わせて。
「俺のものになれ」
まっすぐに。
告げれば。
コクリと、喉が鳴って。
「・・・・・そんな、こと・・・」
尚も溢れる涙を、溢れる寸前。
唇で、押しとどめて。
「お前は、頷くだけで良い」
舌に触れるのは、やはり人のそれと変わらぬ微かな苦味で。
それでも。
胸に。
広がる、甘く狂おしい。
これ、は。
「恐れなど、抱く暇は与えぬ・・・」
「・・・・・に、・・・・」
まだ、戸惑いを隠せないままに。
それでも。
もう、瞳は。
逸らす事、なく。
「本当に・・・・・?」
「偽りは申さぬ」
「・・・・・・・・なら、ば」
やがて。
ゆっくりと。
開く。
華。
「俺を、・・・お前のものにして」
天戒、と。
初めて、名を。
その唇に乗せて。
微笑む様は。
本当に。
魂を奪われる程に。
美しく。
まさしく、今咲いたばかりの。
「・・・・・龍」
華を。
抱いて。
この腕の中で、もっと美しく咲けと。
誰にも手折られぬよう。
俺の、もとで。
艶やかに。
咲き誇る。
俺だけの。
華。
ちょっと初心に還ってみました(笑)。
出逢った頃の、ふたり。ラブ、芽生え編(何)。
ナニやらフェロモン全開な、ひーたんですが(目線逸らし)
ちゃんと(??)初物です。美味しく召し上がって頂くのです。
そして後は、『愛の永久運動』(by某サイトオーナー様・悦)。