『ある雨の日』



 しとしとと霧のような雨が降り注いでいる。肌にまとわり付くような細かな雨は、まるで帳のように周囲を覆い尽くしている。
 未だ、昼、というのに、室内は電灯をともしていなければ弱々しく雲を抜けてくる光だけが頼りで、ひどく薄暗い。
 僅かに開かれた障子の隙間から忍び込む光が、広くも無い室内で動く二つの影を、まるで影絵のように仄かに浮かび上がらせる。
 白い、何処までも白く、新雪のような穢れの無い肌が、鮮やかに浮かび上がっている。ときおり白魚のように跳ね、大きく胸を上下させて、しなやかな指先が畳をかく。
 度ごとに、被さるような姿勢の男が、喉の奥で含み笑いを立てた。
「綺麗だね、龍麻」
 艶めかしい声色で、うっとりと囁きながら、着物を肩から引っ掛けただけといった風情の如月が、髪を揺らして口付ける。たちまち、肌に鬱血の痕が浮かび上がり、暗闇の中でも眩しく存在を主張する。
「ん………や、もうっ」
 喘ぐ龍麻の眦から、一滴の涙が零れ落ちる。互いに絡みつく熱気が肌を焦がしていて、汗がまた一つ、また一つと龍麻の肌に水晶のように煌いては流れていく。
「いい、加減、にっ」
 潤んだ眼差しが如月を射抜いた瞬間、乾いた電子音が無粋にも響き渡る。気を削がれたのか、如月は舌打ちすると身を起こす。乱暴な動きに龍麻が呻いた。
「ああ、ちょっと待っていて、龍麻」
 未だ余裕を残した如月が、猛るわが身をすっとこともなげに引く。喪失感に龍麻が身体を震わせるのを横目で見ながら、手を伸ばし、如月は投げ出していた携帯を取り上げる。
「やあ、村雨」
 今まで熱に浮かされていたなど微塵も感じさせない声色で、彼は電話口に出た。そんな如月の視線の先では、上腕を緩やかに帯で締められた龍麻が、立てた膝を擦り合わせている。
 身体の中でくすぶっている熱を何とか放出したいという無意識の所作だろう。気付いた如月は緩く口の端だけを持ち上げた。
「君に頼まれたものは、入荷しているよ、村雨。いつでも取りに来てくれたらいい」
 龍麻が全身を大きく震えさせている。開放できない快楽を和らげたいのだろう。
「三十分後に来たいのか。構わないよ、僕は」
 平然とした如月の言葉に、龍麻が目を見開いた。咎めるように口をぱくぱくと開閉させるのを流しながら、「では待っている」と淡々と告げ、如月はうっすらと笑って振り返った。
「てめえ……」
 気丈に睨みつけてくる龍麻の瞳は涙に濡れている。それが自分の所為だと思えば、自然、口元は綻ぶ。
「止めてもいいけど。君はまだ満足していないだろう?」
 骨董を扱う長い指が、熟れた林檎のような唇をなぞる。覗いた舌に誘われて、口内に辿らせると、きりりと歯を立てられた。
 ぞくりと悪寒にも似た痺れが背筋を這い登る。如月が小さく身体を震えさせ、眉をひそめたのを見て取った龍麻が、にやりと挑発的な笑顔を見せた。
「指は、人間の一番の性感帯って話、知ってるか?」
 鬼の首でもとったかのような龍麻の言葉に、如月は目を細める。躍動感溢れた引き締まった肢体、なのに、滑らかな薄皮に包まれた肉体は、細く、美しい曲線を描いている。
 女性の柔らかさには到底及びもつかないが、若いが故に、一瞬にして消え去るときの中でだけ浮かぶ、少年と青年の中間期独特の色っぽさが彼にはある。
「そう、それはいいことを聞いたよ」
 再び龍麻に覆い被さる如月が、拘束されたままの龍麻の手を取った。そしてすぐに指を口に含む。途端に龍麻が全身を強張らせた。逃れられない甘い責め苦から、何とか逃れようと身をよじる。
 そんなささやかな抵抗を如月はあっさりと封じる。開いている掌と全身で龍麻の身体を布団に縫い付け、その間にも手首の辺りまで丁寧に龍麻を舐め上げる。
 ゼイゼイと息が荒くなった龍麻の眦の涙をすくい上げながら、悪戯っぽく如月は人差し指を龍麻の唇に押し当てる。
「なるほど、本当だね」
 人の身体で、実験するなと言いかけた龍麻の言葉を吸い上げ、如月は再び龍麻の首筋に唇を落とした。
 それから間もなく、荒い息遣いと耐え切れなかった嬌声が再び室内を覆った。


 手を伸ばした龍麻は、拘束がなくなっていることに気付く。
 同時にさきほどまで自分を翻弄していた主の姿もまた、失われていることを知った。
「ちぇ、人の気も知らないで」
 毒づきながら、ゆるゆると身体を引き寄せる。身体の奥深くで未だ冷め遣らぬ熱がくすぶっていた。
 手加減したのだろうか。いつも気を失うまで続けられる行為は、今日はひどく穏やかだった。
「誰か、居る?」
 話し声を耳に捕えた瞬間、急速に意識がはっきりとしてくる。半分ほど夢の中に放り出されていたかのような情事の最中、一本の電話が入ったこと。確か、その相手は……。
「村雨」
「よぉ、先生」
 名を呟いた瞬間、まるで計ったかのように、村雨がぬっと顔を出した。龍麻は慌てて脇に放り出されていたタオルケットを引き寄せる。
 顎鬚を撫でながら面白そうに自分を見る村雨の顔をひっぱたいてやろうか、と思ったものの、龍麻はぐっと堪え、身を起こした。
「オマエ、また、使っただろ」
 睨みつけながら言っても、村雨はとぼけた顔で笑っている。だが肯定も否定もしない彼に、龍麻は深く溜息をついた。
 龍麻は枕の下に手を差し入れた。そして一枚の札を取り出して彼の前に突き出す。
「覗き見は、趣味が悪いぜ。それにこんなことに式鬼<しき>を使うなよな」
 咎めるような龍麻の言葉にも村雨は全く悪びれもしないで受け取った札を懐に戻す。それから胡座をかいたまま、龍麻を覗き込んだ。
「あの若旦那がご執心な緋勇龍麻ってのがどんな声で鳴くのか、興味があるだろ?」
 遊び人といった面の村雨に見据えられ、龍麻は軽く肩をすくめた。如月が手加減をしていたのはこいつの所為かと確信した。
「は、悪趣味」
 項に張り付いた髪を払い、龍麻が毒づいてみせる。だが目の前の男は相変わらず見透かせない笑みを浮かべたままだ。
「で、どうなんだよ」
 情事を覗かれていた龍麻の方も、全く恥じらいも見せず問い掛ける。村雨は一瞬だけ鳩が豆鉄砲を食らったように目と口を開いた。
「アンタ、なんとも思わねェのか?」
「コレで何度目と思ってんだ」
 呆れ返って問う村雨を睨み付ける。答えない村雨に代わって、龍麻が片手を開き、親指だけを折った。
「四度目だ」
「成功したのは今日だけだぜ」
 いけしゃあしゃあと言ってのける村雨に軽く拳を突き出す。本気ではなかったため、たやすく眼前で受け止められてしまう。
「阿呆、成功したんじゃねえ。わざと見逃されてたに決まってんだろ」
 如月の肩越し、揺れておぼつかない視界の隅でうずくまる小さな鳥、鳩でも雀でも、そういった“普通”の鳥ではないものが家具の上に居れば、おかしいと思わない方が妙である。
 如月もわざと見せつけるつもりで放っておいたのだろう。だが微妙に龍麻を自らの身体で隠してはいたが。
 雨脚は和らぐ気配を見せない。そして如月も戻ってこない。
 肌が冷えていくのを感じる。とはいえ、身体の奥で燻る熱は、いまだに冷めてはくれなかった。
「そんで、感想は」
「そそるな。アンタは。イイ声だ」
「そりゃあ、どうも」
 特段感慨もなく、龍麻は村雨の言葉を受け流す。村雨もさすがにバツが悪くなったのか、口を閉ざした。
 顔を外へと向ける。僅かに開かれた障子からの光は弱々しい。電灯を灯さなければ、互いの顔さえあまり見えない。
「長いな、アイツ」
 思わず心の声が言葉になったらしい。帽子を手の中でもてあそんでいた村雨が顔を上げる。
「なんか、お得意様とやらが俺と同時に入ってきたぜ。お陰で俺は後回しだ」
「急ぎじゃねえのか」
「今日中に戻れば、なんてこたぁねェよ」
 ふうんと言ってから、龍麻は村雨をちらりと横目で見やった。
 村雨は割と体格がいい。全体的に男としての印象が薄く、清潔感がある如月とはまるっきり対照的であり、どちらかといえば漢らしい逞しさの匂いがまとわりついている。別に不潔という訳ではないが、何処となく頽廃的な印象を、村雨という男は与える。
「村雨」
 興味を惹かれ、名を呼べば、物憂げに村雨が顔を向けてくる。年以上に親父臭い動きに胸のうちで失笑した。
「オマエ、俺に興味あんの?」
 ストレートな問いかけに、村雨が訝しげな顔をする。龍麻の真意を探ろうとしているように見えた。
「あんのかないのか、答えろよ」
「まあ、無いこともない、かな」
「ウソつけ」
 警戒しているらしい。龍麻が何を考えているのか読めない所為だろう。意外と鈍いのかとは口内で噛み殺し、龍麻は軽く片目を瞑って見せた。
「俺がどんな顔で鳴くのか、興味アンだろ」
「まあ、な」
「じゃ、抱かせてやるよ」
 挑発的に笑い、龍麻は村雨の肩に手を回した。村雨が苦笑する。
「随分と、優等生らしくない発言だな」
「俺をどんな風に思ってたのかは知らないけどな」
 唇を寄せながら、龍麻は囁く。誘惑の糸を投げかけて、下から村雨の瞳を見上げた。
 うっとりと焦がれるような瞳が拒絶を解き払い、媚びを男に売る。
「中途半端でさ。責任、取れよ、オマエ」
 村雨の手を首筋に招き、龍麻は甘く囁く。ようやく龍麻の挑発に乗ることを決めたらしい村雨が背に手を回してくる。大きく無骨な手に似合わぬ繊細さで背をなぞられ、龍麻は華奢な身体を仰け反らせた。
「全く、とんだ淫蕩な悪魔だな、アンタは」
「楽しいだろ。
 ま、身体洗ってないから、アイツと間接キスってことになるがな」
 口付けの直前に言い放つと、村雨が至近距離で笑う。気にするタマでもないかと頭の片隅で思いながら、濃密なキスを受けた。

 的確に弱いところを指で、唇でたどる村雨に、隠しきれない歓喜の声が零れそうになり、龍麻はさすがに不味いと思い、噛み締める。
 うかつに声を上げれば、雨が降っているとはいえ、静かな家の中に響き、店先の誰かに聞かれてしまうかもしれない。
 龍麻の努力に気付いたのか、村雨が放り出してあった上着から取り出したハンカチを口元に差し出してきた。無我夢中で噛み付き、引き裂かんばかりに歯を立てる。
「アンタの声が聞こえないのが残念だが……」
 熱に浮かされたような声で、村雨が熱い吐息と共に、舌でねっとりと耳をなぶる。さすがに喜ばせる術を知っているらしい。男も女も気持ちよく思う部位にそれほどの差異はない。
「それはそれとして、良い顔をするな」
 指と舌とで攻め立てられれば、たやすく理性は絡め取られる。全身は快楽に支配され、熱に浮かされた脳は状況判断すらおぼつかない。
 すでにたちあがっていた自身は解放寸前まで来ていたというのに、せき止められて腰が浮き上がる。無意識の所作だが、恥辱も躊躇いも何処にも存在しては居なかった。
 霞がかかったかのような視界の先では、品定めをするかのように熱っぽく自分を見下ろす村雨が居る。焼きつきそうな熱いまなざしに、さらに熱が身体の中で逆巻くのを感じた。
 拓かれた身体は欲望に素直だ。自分を狂わせるほどの熱を求めて、龍麻は村雨を強く引き寄せた。
 早くと噛み締めたハンカチの下から求めても、自分を翻弄する男は喉の奥で笑っただけだ。龍麻の状態を知っているだろうに、はぐらかすように肌に触れるか触れないかの寸前で撫でるだけで、直接的に触れてはこない。
 せき止められた欲望が今にも爆発しそうで頭がふらつく。天も地も分からず、視界がぐらぐらとおぼつかなく揺らぐ。
 突然、最も奥深くに指が触れた。途端に湿った音が荒い息遣いに混じって耳に届いた。
 身体の中で冷めかけていた熱がとろりと零れて村雨の指にまとわりつく。さすがに他の男の残滓が別の男を汚していくという状況に頭が冷静さを取り戻し、身体を閉ざそうとしたが、それよりも早く、別の膨れ上がった楔が打ち込まれ、喉も露に仰け反り、全身をひきつらせた。
「うっ……ぐ……」
 喉の奥で絶叫が掻き消える。さすがに拓かれてはいたとはいえ、いきなり受け入れさせられれば、引き裂かれるような苦痛が脳天までを貫く。知らず涙が零れ落ち、拭う唇が思わぬ優しさを龍麻に与えた。
 とはいえ、如月の体液が潤滑油になったのも確かだった。衝撃はあったが、傷ついた様子は無い。
 さすがに落ち着くまではと思ったのか、村雨は動こうとはしない。いつもとは別の場所に刺激が与えられ、やがて龍麻は自分の身体が熱を再び帯びてくるのを感じた。
「くっ、あう……」
 ぎりぎりとハンカチに歯を立てても、苦しさを紛らわすことは出来ない。畳を這っていた指がもっと確実なものを求め、村雨の背に爪を立てた。
 汗を吸ったシャツに爪が食い込む。村雨がのしかかってきた。肌同士がふれあい、奥の存在をなおいっそう強く感じさせると共に、ようやく解放された分身が互いの身体の下で痛みを訴えている。
「むら……」
 さめと続けようとした声は易々と吸い取られる。緩やかな律動にあわせて唇も触れ合い、しのびやかに声が室内に響いていく。
 雨はさらに激しさを増していた。室内は外界から切り離され、異空間へと変化を遂げる。
 突き上げられ、揺さぶられ、いつしか龍麻は声を押さえることを忘れて与えられる快楽に溺れていった。


「覗きとは、随分と趣味が悪いんじゃねぇか」
 不機嫌そうな村雨の声に、どこかに飛んでいた意識が引き戻される。
「人の居ない間に手を出すよりは、マシだと思うがな」
 何処か呆れたような声色が応じ返すのを耳で捕らえた龍麻は、そこでようやく重たい瞼をこじ開けた。
「如月」
 外の光を背にしている如月の表情は伺えない。
 だが呼びかければ、彼は音もなく傍まで近づき、龍麻の顔を抱き上げて、膝の上に載せた。
 罵倒されるかと思ったが、意に反し、優しく彼は龍麻の髪へと指を通した。
「すまない、随分と時間がかかってしまって」
「いや、別に」
 返事に薄く微笑み返した如月が、今度は村雨を鋭くにらみつけた。
「まったく、何を考えているんだ、お前は」
「言っておくがな」
 濡れ衣を着せられそうになっている村雨が嫌そうに眉を寄せた。相変わらずシャツははだけたままだったが、下半身は整えてある。龍麻にも毛布がかけられていた。
「先生から挑発してきたんだぜ」
 その言葉に如月の指が一瞬だけ神経質そうに引きつった。だがやはり変わらず龍麻の髪を撫でている。
「そうなのかい?龍麻」
「一回くらい、相手してやれば、満足するかと思ってさ」
 情けないくらい、声が掠れていた。さすがにだるくて指一本さえ持ち上げるのに苦労しそうだった。
「ふうん、で、どうだった」
 後半の問いかけは村雨に向けられたものだ。村雨は軽く手を振った。
「さてな」
 話す気は無いと言う事なのだろう。だが如月は村雨と龍麻を交互にしげしげと眺めやると、唐突に口の端を歪めた。
「一度くらいで満足するお前では無いだろう、村雨。龍麻もまだ足りないようだし。もう少し付き合っていくか?」
 突然の申し出に、龍麻が目を見開く。訴えるような眼差しを見ながらも、如月は静かに唇を落とし、舌を絡めて龍麻の反論を封じる。
 濃厚な口付けにあっけに取られた村雨に、底光りする瞳を如月は向けた。
「僕しか知らない龍麻を見たいだろう?」
 問いかけに村雨は肩を無言で竦めただけだ。だが別段、拒絶する風も無い。
 一度に二人を相手にする羽目になった龍麻の背を冷たい汗が一筋滑り落ちる。
「如月ぃ」
「天国に、いかせてあげるよ、龍麻」
 唇を指でたどりながら、低くそして何処までも優しく甘やかな声色で如月は囁く。
 上気して薄紅に染まった肌の上に指を滑らせた後、抗議しかけた龍麻の唇は、再度、深く如月によってふさがれてしまった。




<終>


ああああン、イサミ様ーーーッ!!!!
素晴らしいモノを有難うございますなのですーーーッ(愛)!!!!
カ・・カッコイイ・・如月・・(恍惚)。やはりイサミ様の
書かれる如月、ツボ直撃なのです(悦)・・幸せ・・。
「3Pがイイな」という囁きを8割がた具現化して下さいましたのね(笑)。
こ、これだけでもうっとりなのですが、思わず短冊に
「続きも見たいわ」とか書きそうです、私(1日遅れ)。
や、でも本当に有難うございました(激愛)!!!!