『熱病』



 狂おしい。
 熱。



 じっとりとかいた、嫌な汗の感触に重い瞼を開いた。
「・・・・・ふ、・・・」
 ゆっくりと覚醒した思考は、それでもまだ見たばかりの
夢の余韻を未練がましく引き摺っている。
 思考ばかりでは、ない。
 それ以上に、若い身体は正直なものだ。辛うじて腰の辺り
に纏わりついているだけの薄手のタオルケット越しにさえ、
それはあからさまに存在を主張して。
 生理的現象として、朝こういう状態になることは、年頃の
健康な男子としては極自然なことであるのだけれど。
 でも、それだけではない。
 つい今し方まで感じていた、リアルな感覚。夢の中だと
いうのに、あんなにも鮮明で。
 その香りや体温さえ、この手に触れていたような。
 目を閉じれば、すぐに浮かぶ貌。
 誰よりも綺麗で無垢な彼を、自分はその手を伸ばして。
「・・・・・龍麻」
 名を、呼んで。乱暴な程に、きつく抱き締め肌を弄る。
 いつも。
 いつも、夢の中でしている、ように。
 今また、頭の中で。
「く、・・・ッ」
 自分の下で喘ぐ龍麻の痴態を思い描きながら、既に張り詰め
ていた自身に手を添え、何度か強く擦り上げれば。それは、
あっけない程すぐに弾けた。
 それほどに、昂らせていた。
「龍麻・・・・・」
 自慰で欲を吐き出してしまっても、内にこもった熱が一向に
引かない。まだ足りないのだろうかと自分を浅ましくも思った
が、どうやらそうではなく。
 全身にかいた、不快な汗。荒い息は、自慰行為によるもの
だけでは、なく。
「・・・・・あァ」
 掠れた、声。ヒリヒリと、痛みを訴える喉は、おそらく。

 枕元の携帯電話。
 手に取り、押し慣れた短縮番号に指を添えかけて、止めた。
 そのすぐ隣の数字を押して、暫くの後。出た相手に、京一は
簡潔に告げる。
 熱があるみてぇだから休む、と。
 それだけ言ってしまうと、相手の返事も聞かずに切った。
 電話をかけるという、ただそれだけの動作でさえ恐ろしく疲れ
を覚えて。携帯を投げ出すと、京一はベッドに深く沈み込んだ。
 自分が休む理由は、今かけた相手---醍醐の口からきっと龍麻
にも伝わっているだろう。心配、してくれるだろうとは思う。
 本当は、直接電話するつもりだった。
 労りの言葉なんかなくても良い。声を、聞きたかった。
 でも今は。
 夢現に彼を辱めた直後に、そうすることは躊躇われた。
 声を聞けば、きっと。
 また、我慢が出来なくなる。
 今更だと自嘲気味に笑いながら、京一は重い瞼を閉じた。




「京一君が、心配なのね」
 そう言って微かに笑う美里に曖昧な笑みを返し、龍麻は教室を
抜け出した。
 気分が優れないので早退する、というのが表向きの理由。
 本当の理由は、美里の言葉のままで。
 龍麻は京一に甘過ぎる、という醍醐の溜め息も。
 ひーちゃんは優しすぎるんだよ、という小蒔の苦笑も、全部
擦り抜けて。
 京一が熱を出して寝込んでいるのだと、醍醐の告げたその事実
だけが、龍麻を動かしていた。
 息を切らし走り続けて、京一の家の前に辿り着いてから。見舞い
の品も何も用意して来なかった事に気がついたが、それよりも早く
京一の顔が見たいと龍麻は思った。
 ただ、それだけだった。

 チャイムを押して、暫く待ってみたが応答はなく。
 もしかすると家の人は出かけていて、京一独りなのかもしれない。
そして、その京一は熱を出して。
「・・・・・ッ」
 逸る気持ちでドアノブに手をかければ、それは拍子抜けする程
あっさりと開く。以前一度だけ訪れた事があるとはいえ、他人の家
に勝手に上がり込むのはどうかとは思ったが、それは後で謝らせて
貰うとして、と龍麻は靴を脱ぐのももどかしく、それでも脱ぎ散ら
かす事無く綺麗に玄関の角に揃えて置くと、真直ぐに京一の部屋へと
階段を昇る。
 辿り着いた突き当たりの部屋。ドアの前で躊躇いがちにノック
してみたが、やはり返事はなく。
「・・・・・京一、俺・・・龍麻だけど」
 声をかけても、反応はないから。
 思いきって、龍麻はノブに手をかけ扉を開いた。
「京一・・・・・?」
 相変わらず雑誌や衣類が乱雑に散らばる、部屋。それらを踏ま
ないよう、そろりと中に身を滑らせて。
 顔を上げた、その先には果たして。
 ベッドの上、眠る京一がいた。
「・・・・・」
 驚かせないようにと、足音も気配も忍ばせてゆっくりとベッド
へと歩み寄る。すぐ傍らに立ち、見下ろせば、汗をかいて前髪が
張り付いた額と、薄く開いた唇から漏れるせわしない浅い呼吸が、
本当に熱が高いのだということを、伺わせて。
 思わず伸ばしかけた手を、額に触れる直前で戸惑ったように宙を
彷徨わせれば。微かに揺れる、空気に気配を悟ったのか。苦しげに
閉じられていた瞼が、ピクリと震え。
 そして、ゆっくりと熱に潤んだ瞳が迷いもなく、龍麻を真直ぐに
映す。
「・・・・・ひーちゃん」
 緩慢な動作で、どうにか差し出そうとする手を、龍麻はそっと
包み込むように、両手で掴む。そうすると、京一は微かに笑った
ように見えた。
「・・・・・大丈夫?」
 そう聞いてしまって、龍麻は軽く自嘲した。
 この京一の様子を見れば、ちっとも大丈夫なはずはないのに。
触れた手だって、本当に熱くて。伝わる鼓動の早さに、どうしよう
もなく胸が痛むのに。
 そんな龍麻の胸の内に、気付いたのかは分からなかったが、京一
は困ったように微笑うと、力の入り切らない手に、それでもグッと
掴む力を強くした。
「大丈夫、・・・じゃ・・・ねぇ、な・・・・・でも、くたばりは
しねぇ、よ・・・」
「・・・・・そうだね」
 聞き慣れぬ掠れた声色に、一瞬ドキリとしながら。龍麻も手に
力を込めて握り返す。
「お家の人、いないの?」
「親父の・・・会社の、慰安旅行に・・・お袋も・・・・・」
「じゃあ京一、独りなんだ・・・」
 ならば、やはり来て良かったと思う。おとなしく寝ていれば、幾ら
かは良くなるものではあっても、やはりそれなりの処置をしなければ、
下手をすれば悪化させて取り返しのつかないことにだって、なりかね
ない。
「何か、食べられそう・・・? 欲しいもの、ある?」
 食欲はないだろうという気はしたが、とりあえず聞いてみれば。
京一は、やはりゆるゆると首を左右に振る仕種を見せたが、その暫く
の後、乾いた唇が微かな声を漏らした。
「・・・・・ひーちゃん」
「ん、・・・何?」
「ひー・・・・・、龍麻」
「京一・・・?」
 名を繰り返す京一に、龍麻は怪訝そうに首を傾げ、よく聞き取ろう
と、その口元に耳を近付ければ。
「ここに、・・・いてくれよ」
 熱い、吐息。耳朶をくすぐるそれに、掠れた低い声にトクリと鼓動
が高鳴るけれども。一瞬の動揺を悟られないよう、龍麻は笑顔を返し
その手を強く握りしめて告げた。
「ここに、いるよ・・・・・京一」
 静かに、それでもはっきりと。その言葉に安堵したのか、京一は
苦しげな表情を、それでも柔らかい笑みに変えて。
「ずっと、・・・・・いてくれよ」
 そして、目を閉じる。
 手は、しっかりと握りしめたままで、眠りへと落ちていく。
「・・・・・いるよ」
 病気の時は、やはり京一でも心細かったりするのだろうか。熱い手、
その力の強さに驚きながらも龍麻は、寝入ってしまったらしい京一の
顔を、愛おしげに眺めていた。


 半時間程、そうしていただろうか。相変わらず、苦しげな呼吸と
手から伝わるその熱に、龍麻は小さく溜め息をついた。
 かなり汗をかいてしまっているから、それを拭き浄めてあげたいし、
出来れば氷枕なりで冷やしてあげたいとも思う。解熱剤を飲ませれば
少しは楽になるかも知れない。
 だが、さすがにこの家の何処に薬の類いがあるかは知らなかったし、
勝手にあちこち探るのも躊躇われた。
「・・・・・そういえば」
 ここに来る途中で、ドラッグストアの前を通った。そこなら解熱剤
も買えるし、よくCMで宣伝している額に貼る冷却シートも、きっと
置いている。
 思い立ったら、どうにも気が急いて。早く、この熱を下げて楽にして
あげたくて。
 掴まれたままの手を、縋りつくような指を1本ずつ慎重に外して。
すぐ戻るから、と心の中で囁いて、龍麻はそっと部屋を出た。
 そして玄関を出ると、通って来た道を駆け足で。
 来た時と同じ、京一のことを、ただ。
 それだけを考えながら。


 ドラッグストアのすぐ隣に、スーパーのチェーン店があった。その
自動ドアから、足早に飛び出して来たのは、龍麻で。手には、薬の類い
が入った袋と、そしてもう1つのビニール袋。中には、桃の缶詰め。
風邪で熱を出した時の定番だと、ふとそんなことを思い出して。丁度
隣にスーパーがあったから、駆け込むようにして2缶買い求めた。
「ちょっと、予定外・・・」
 思ったよりレジが混んでいて、会計に時間が掛かってしまったことを
気にしながら、また来た道を走る。10数分の間に、容態が悪化したりは
しないだろうけれど、それでも。
 そばに、ずっと。
 そう約束、したから。

 ようやく帰りついた、京一の家。ただいま、と言ってしまいそうに
なる口を、慌てて閉ざして。寝ている病人がいるんだから、と気を遣い
つつ、ドアを開ければ。
「ッ、・・・・・」
 入って、すぐ。
 上がり口のところに、倒れ臥すのは。
「京一、ッ・・・・・どうして」
 重い玄関ドアが音を立てて閉まるのを背で聞きながら、買って来た
ものを投げ出すようにして駆け寄って。
 抱き起こそうと、伸ばした手は。
「京、・・・」
 熱い。じっとりと汗ばんだ熱い手に、捕らえられる。
「・・・・・る、って・・・」
 意識はあるが、さっきより熱が高くなっているのかもしれない。
「京一、と・・・にかく、ベッドへ・・・」
「ここにいるって、言ったじゃねぇかよ・・・ッ ! 」
 その、内にあるものを曝け吐き出すような声に。響きに。龍麻の身体
が、怯えたように震え、竦む。
「ご、ごめん・・・・・薬、買いに・・・」
 それでも、どうにか抱き起こした身体をせめて1階のリビングまで
でも連れていって、ソファに寝かして薬を、と。
「ずっと、いるって・・・龍麻、龍麻・・・・・ッ」
 そう思い、浮かせかけた腰に絡んだ京一の腕が。次の瞬間、信じられ
ない力で、龍麻の身体を引き寄せ。
「な、ッ・・・・・」
 途端、バランスを崩して床に倒れ込む、その上にのしかかるように。
熱を孕んだ京一の身体が覆い被さる。
「京一、何・・・・・、ッ」
「龍麻、・・・龍麻・・・ッ」
 仰向けの龍麻の上に跨がるようにして、胸元に伸ばされた手が、夏の
制服のシャツを裂く勢いではだけさせ、その肌をあらわにしていく。
その勢いに幾つかのボタンが飛び、床を跳ねて転がる音に、龍麻は我に
返り、京一の身体を押し退けようと、もがいた。
「離し、て・・・・・京一、待っ・・・」
 やっとのことで、その身体の下から這い出し、乱れたシャツの前を
掻き合わせながら、龍麻はジリジリと後ずさる。そのまま、玄関から
飛び出してしまわなかったのは、京一の容態を気遣っていたからか、
それとも。
 だが、ここで逃げ出してしまわなかった事が。
 全てを。

「龍麻・・・・・ッ」
 怖い、と思った。
 それと同時に、酷く胸が痛んだ。
 ついぞ見たことのない、猛々しい雄の匂いのする京一の姿に、龍麻は
恐怖だけではない何かに、身を震わせた。
「あ、ッ・・・・・」
 後ずさる龍麻を追おうとして、どうにか立ち上がった京一の身体が
不意にバランスを崩して揺れる。そのまま倒れてしまいそうになるのを
龍麻は咄嗟に抱きとめようと駆け寄っていた。
 腕に掛かる、京一の体重。
 それが重い、と感じる前に龍麻の視界が反転し、腕に掛かっていた
はずの重みは、いつの間にか再び身体全体を床に縫いとめるように。
 状況は、振り出しに戻る。
「や、ァ・・・・・ッ」
 もう一度、逃げ出す事も可能なはずだった。
 どんな手段を使ってでも、逃げようと思えば逃げられた。
 けれど、京一の熱い手が肌を探り、はだけられた胸元に降りて来る
唇に。そこから、京一の熱が流れ込んで来る、感覚と。
「好きだ、・・・・・好きだ、龍麻・・・ッ」
 いつもの、戯れのような明るい響きとは、異なる熱を帯びた言葉。
 震えが走るような、それに。
 のしかかる京一を押し退けようと肩を掴んでいた龍麻の手が、力を
失って、コトリと床に落ちた。
「ッ好きだ・・・・・」
 幾度となく繰り返し紡ぎ出される告白を、何処か遠いもののように
感じる。乱暴な愛撫ともつかぬ手の、唇の肌を這い回る動きに、それ
でも確実に龍麻自身の熱も煽られて。
 ぐったりとして抵抗の無くなった龍麻の下肢から、下着ごとズボン
を引き抜いてしまえば、外気に晒される感覚に、一瞬怯えを滲ませた
瞳が京一を映した。
「龍麻・・・・・」
 目が、合う。
 そこにあるのは、どうしようもなく熱を孕んだ、強い瞳。
 後戻りは出来ないと、龍麻は瞬時に悟った。
「好き、なんだ・・・・・」
 投げ出された脚の間に、京一が腰を押し進める。
「あ、・・・・・ッや、ァ・・・・・ッ」
 慣らしもしないままに、無防備なそこに圧し当てられた、固く熱い
ものが、躊躇もなくそのまま一気に龍麻の身体を貫く。
 その衝撃に掠れた悲鳴を上げて、龍麻は縋り付くように京一の背を
掻き抱き、爪を立てた。
 鼻腔を刺激する血臭は、京一の背の皮膚を破った傷からにしては、
生々しく。下肢から聞こえる濡れたような音に、強引に拓かれたそこが
傷付いたのだと、知れて。
 痛みには、慣れていたから。ただ、内壁から直に伝わる肉塊の熱さが
痺れるような感覚をもたらしていた。
「中・・・すげー、・・・・・熱い」
 溜め息のように漏らされた言葉を、龍麻はゆっくりと突き上げられる
振動に揺れる意識の中、半ば他人事のように感じていた。
 熱いのは、むしろ京一の。
 龍麻の身の内を侵食し、ドクドクと脈打つ灼熱の楔。
 打ち込まれた部分から、とろりと溶けていってしまいそうな、感覚。
 まるでそこに、大きな心臓があるように。
 互いの早い鼓動が、追い縋りそしてまた躱し。
 次第に。
 ひとつに、なる。
「京、一・・・・・」
 無理に抉じ開けられる、痛みと。内臓を侵す圧迫感に、龍麻はただ
呆然と涙を流すけれども。
 それは。
 哀しさとか悔しさとか。そういう感情を伴うものでは、なく。
「・・・あァ、・・・ッ京一・・・・・」
 また、涙が零れる。
 揺さぶられ喘ぎながら、どうにかして名を呼べば。
 胸に溢れる、何かに。
 どうしようもなく、泣きたくなる。
「あ、ッああァ・・・んッ・・・ふ、・・・・・」
 身体の奥の深いところに感じる、他人の熱。突き込まれ、また退いて
いくそれに、追い縋るように絡み付く自分の肉を、浅ましくも思うのに
無意識に締め付ければ、京一が喉の奥でくぐもった声を上げる。
 自分の身体で確実に快楽を得ているその姿に、身震いがする程の興奮
と愉悦を、龍麻は感じていた。
 それは、紛れもない事実だった。
「京一、・・・・・ッ京一」
 開かれた脚を、京一の腰に絡めて。啜り泣きながら何度も名を呼べば。
それに応えるように唇を重ねられ、深く。そして深く、最奥を抉られる。
「好きだ、・・・・・ッ龍麻」
「ひゃ、ッ・・・ああァ・・・・・ッ」
 京一がビクリと震え、身体の奥に熱い迸りを打ちつけられる。身の内
を次第に浸食する熱が、奇妙なくらいに心地よかった。

「・・・・・ずっと、・・・・・」

   ずっと、こうしたかった

 そう呟いたのは、どちらだったのだろう。

 互いに抱き締め、繋がって。
 熱に溶けて、ひとつになったまま。

「好き、なんだ・・・・・」

 唇を合わせ、また。
 同じ夢を、見る。

 夢は、現になる。




勢いのようで、でも流されているワケではないのです。
京一も、龍麻も。
でもって、やはり強●にならないのは、どうしたって
龍麻は赦してしまっているから。
手を伸ばしていたのは、自分だけではないことに
気付くでしょう、事後に(あ)。