『experience』


「く、・・・っ」
 低い呻き声とほぼ同時、下肢を抉っていた熱がじわりと腹の中に
広がっていくのを感じる。自分の熱はそれより少し前に解き放たれて
いて、吐精の余韻がまだひくひくと震えていた粘膜が、新たな刺激に
促されるように蠕動を繰り返す。それは注ぎ込まれた情慾をあます
ことなく飲み込み、更にまだ己の中で萎え切ることなく脈打つ楔を
もっととねだる動きにも似て、アスアドは我が身の浅ましさに乾いた
唇を噛み締めながら、けだるい感覚に任せて目を閉じた。
 どさり、と熱い身体が覆い被さってくる。無防備なままそれを受け
とめつつ、ぽつりと漏らした掠れ声はどこか批難めいた響きをもって
メルヴィスの耳に届いた。
「・・・重い」
「慣れろ」
 即座に返せば、ほんのり朱を帯びた褐色の耳が一層濃い色に染まる。
それをやんわりと噛み、メルヴィスは続けた。
「慣れてしまえ」
 小さく息を飲む気配がした。だがすぐに大きく息を吐き出しながら、
波打つシーツに投げ出されたアスアドの腕がやおら持ち上がり、その
まま緩慢な動きでメルヴィスの背を軽く叩いた。
「もう、・・・遅い」
 半ば溜息のように。遅いのだとアスアドは呟く。背を叩いていた手
がそこに流れる長い髪を手繰り寄せるように掴んで引くのにつられて
メルヴィスがアスアドの肩口に埋めていた顔を上げようとすると、髪
を弄んでいた手は慌てたように離れ、起こしかけた上体は背を抱く
ように回されたしなかやな腕に留められ、また汗ばんだ胸が重なる。
「・・・・・重いと言っておきながら」
 お前は一体何をしたいんだとやや呆れながら問えば、しばしの沈黙
の後、アスアドは躊躇いがちにゆっくりと口を開いた。
「もう、・・・た、から」
「・・・・・何だと?」
 聞き取れない。促すようにまた耳を、今度はさっきより強く噛んで
やれば、ひくりと肩が震え、下肢にまた熱が帯びたのが知れた。
「そ、こは・・・止めろ。も、・・・噛む、な・・・っ」
「『もう』の後に何と言った」
「だ、から・・・噛むな、と」
「その前だ」
 散々甘噛みした耳を仕上げとばかりにペロリと舐め上げ、頬を滑る
ようにして視線を合わせてきたメルヴィスから逃れることは叶わず、
アスアドはやや腫れぼったい目で睨み付けながら、途切れ途切れで
伝わらなかったそれを再び口にした。
「もう、慣れたから・・・と言った」
 つっけんどんな口調は照れ隠しだったのだろうか。だがその言葉を
今度こそしっかりと受けとめたメルヴィスは、どこか怪訝そうに目を
見張った。
「重いのではなかったのか」
「重いのは事実だろう」
 問えば、すぐに応えが返ってくる。確かに、重いというのなら、
それは事実なのだろう。だがそれを咎めるようにアスアドが口にする
から、メルヴィスは慣れろと応えた。慣れてしまえ、と。
「だから、事実を言ったまでだ」
 平然と言い放つこの憎らしくもいじらしい唇も噛んでやろうか。
そんなことを考えながら、メルヴィスはふとアスアドの言葉を反芻
した。
「慣れた、のか」
 アスアドはそう告げた。もう慣れたのだと。
 それは。
「・・・・・慣れて、しまったんだ」
 改めて口に出してメルヴィスが確認すれば、睨み付けるようだった
アスアドの強い視線が僅かに緩む。
「もう、とっくに・・・俺は・・・・・」
 肌を重ねた。何度も、何度も。帝国にいた時、皆が集ったあの城。
数にしてみれば、それほど多くはないのかもしれない。どのくらいの
頻度が普通なのかだとか、そういうことにアスアドは酷く疎かったし、
人それぞれだと深く考えないようにしていた。両手では数え切れない
のは確かで、それでも記憶が曖昧であっても鮮明であっても、その
全てをアスアドは忘れられずにいた。覚えている、なんてもんじゃ
ない。もう、馴染んでしまっているのだ。熱も、感触も、香りも。
吐息も、声も。ありとあらゆる感覚で。
 あの戦いが終わり平穏な日々が訪れ、クロデキルドの誘いがあった
からというのが多くの仲間達の認識でそれだけが理由ではなかったに
せよ、アストラシアに来てクロデキルドに仕えると決めて、そして
ファラモンで過ごしてきたこの数カ月の間に、アスアドは気付いて
しまった。
 このアストラシアという国より風土よりも先に、メルヴィスという
人間に慣れてしまった。とっくに、もう。
 馴染み切れぬ異国で過ごす日々の中、ふと過る既視感がある。それ
らが皆、メルヴィスを通じてもたらされたものだと知ってしまった。
「・・・・・そうか」
 微かに笑った吐息が触れた。そのまま重ねられた唇は、本当に軽く
触れただけで離れていったことに、少しだけ物足りなさにも似たもの
を感じてしまう。そういう感情にさえ、慣れようとしている。
「ならば俺も、・・・慣れたということなのだろうか」
 こつりと額が付き合う。流れ落ちたメルヴィスの髪が、ベールの
ように周りの視界を覆ってしまう。
「当たり前になっている、・・・こうしていることが。お前の存在が」
 囁くように告げながら再び降りて来た唇は、今度は深く、官能を
煽るように厚い粘膜に触れてきた。ひとしきり貪り、貪られて離れた
唇が首筋へと滑り降りていく。
 ああ、と濡れた唇から熱っぽい溜息がこぼれる。
「・・・・・お前の際限なさに、慣れるつもりなどなかったのに」
 肌を辿る手に確実に紡ぎ出されていく快楽を追いながら広い背に腕
を回したアスアドは、顔を寄せた肩にさっきの仕返しとばかりに歯を
立てた。