『love conveyance』


 キスというものは、一体どんな感じがするのだろう。
 アスアドにはその経験がない。だが、父と母が口付け合うのを幼い頃に見た時に、
ああこれは大好きな人同士でする儀式のようなものなのだと思った。そしてその
思いは年を経ても変わらず、キスは愛し合う者同士が交わし合うとても神聖な誓い
のようなものだと、そう認識していた。
 遥か東の大国が怪しげな思想を持つ協会の手に落ち、その国から逃れて来た姫に
出会い、アスアドは淡い想いを抱いた。だが、アスアドには自分が彼女に口付ける
様も、まして口付けられる様も思い描いたことはなかった。出来なかった。それは
自分などがとても恐れ多いという気持ちも少なからず存在していたからかもしれ
ないが、それでも彼女のことを恋い慕う気持ちにも偽りはないというのに、彼には
口付け合う自分とその女性というものが、想像することすら出来なかった。

 なのに。
 今、自分の唇に触れるものは一体何なのだろうと、アスアドはどこか覚束ない
頭の中で考えを巡らす。キスをしている、されているのだということは分かるのに
これは本当にキスなんだろうかと、疑問にも似た思いが過る。
 だって、これは自分が認識していたキスとはまるで様子が違っていた。触れる、
などという生易しいものものではない。深く、深い奥まで。入ってくる。絡み合い、
交わる。生々しい熱と感触に、思考が揺らいでいく。
 それに。
 キスは、愛し合う者同士の間で行われるものではなかったか。アスアドに今、
唇を重ねているのは片恋の相手ではない。むしろ、そのライバルではないかと懸念
している男だ。
 そう、密かに想いを抱く女性-----クロデキルドの腹心の部下でもある、その男
の腕に抱き寄せられ、アスアドは口付けられていた。
 最初、唇はすぐに離れていった。覗き込んでくる瞳に、何故、と問うた。応えは
得られぬまま、きつく抱きしめられ、また口付けられた。
 自分はもしかしてこの男にからかわれているんだろうか、とも考えたが、それは
すぐに打ち消した。アスアドを真直ぐに見つめてきた男の、メルヴィスの瞳の中に
酷く真摯で恐ろしく熱を孕んだ何かがあって、それがアスアドから『抗う』という
選択肢を奪った。
 きっかけは、何だったのだろう。
 もうすぐクロデキルドや騎士団たちの祖国を取り戻せるかもしれない。その話を
たまたま涼みに湖畔に出ていたアスアドが、やはりそこを訪れたメルヴィスとして
いたような気がする。
 必ず作戦を成功させる、と強い決意を固めるメルヴィスに、ああ必ずとアスアド
も力強く頷いた。視線が絡み合った。メルヴィスの目に映る自分は、瞳に強い意思
を漲らせながらも、彼に微笑みかけていたように思う。
 そのすぐ後、だった。
 どうして、と再び問う暇も与えない程に口付けは執拗で、アスアドは呼吸さえ
まともに出来なかった。息苦しいのは、メルヴィスの袖を掴んだ指がみっともなく
震えてしまっていたのは、それだけの理由ではないのかもしれないけれど。
 自分を見つめた瞳に、抱きしめてくる腕に、ふと感じた。
 まるで、自分は彼に愛されているようだ、なんて。
 そんな馬鹿なことがあるものかと否定しながらも、その考えはアスアドの身体の
自由を奪ってしまった。
「・・・・・いいんだな?」
 ようやく解放された唇で大きく息を吸い込み、そろりと吐き出していれば、耳元
で低く問い掛けられた。
 何が。
 何を。
 分からないまま、アスアドが半ば無意識に広い背にしがみつくように腕を伸ばす
と、どこかホッとしたような、だけど切なげな吐息が耳朶をくすぐる。
「・・・アスアド」
 聞いたこともない声で、名を呼ばれた。跳ねた鼓動、その源である心臓の上、
胸元にそっと手の平が置かれる。ゆっくりと肌を滑り、巧みに着衣を寛げていく
のを、アスアドはやはりまだ、何だろうという疑問符を残したままメルヴィスの
手の、指の感触を追う。大人の男の手だ、とぼんやりと思う。両手で剣をふるう
メルヴィスの手は、大きく力強い。手の平にはところどころ固くなった部分があり、
剣を極めんとしてきた鍛練の証のように思えた。アスアドとて軍人ではあるが、
魔道を中心とした鍛練が殆どであったから、そういった意味ではメルヴィスらに
比べると非力だ。それなりに剣を始めとする武器も使いこなしてはきたが、繊細
とまでは言えないまでも、手は、指はメルヴィスのそれとは全く違う。それを
再認識して、少しだけ悔しさを覚えた。
「っ、・・・」
 不意に一点に走った感覚にビクリと身を竦ませれば、メルヴィスが顔を埋めた
首筋の辺りで微かに笑ったような気配がした。
 これは何なのだと考える前に、また奇妙な感覚が走る。乳首を弄られているの
だということにようやく気付いて、そしてここでもまた何故という言葉が浮かぶ。
「そ、んな・・・とこ、ろ・・・」
 武骨な男の大きな手が胸元を這い、固い指先がまだ柔らかな突起を転がすように
撫で擦っては摘まみ上げる。むず痒いようなくすぐったいような、経験したことの
ない感覚に、鼓動がまるで耳鳴りのように頭の中に響く。
「どうして欲しい・・・どうしてやろうか」
 押し殺した声は、やや上擦ったように掠れていた。
「どう、って・・・あ、ああっ!」
 メルヴィスがやや身をずらし、また顔を伏せた気配がした次の瞬間、アスアドの
半ば悲鳴のような声が静寂に響いた。
「な、に・・・や、や・・・め、っ・・・あ、あ」
 熱い息が胸元に掛かる。濡れた舌が弄られて固く尖った突起を舐め上げているの
だと知って、一気に頭に血が駆け昇ったような気がした。
「メ、ルヴィ、ス・・・っ、何・・・何、で・・・っ」
「・・・・・何故、と聞くのか」
 吐息が触れた胸元から、痺れるような感覚が駆け昇ってくる。いや、駆け降りて
いくのだろうか。腰の辺りに付きまとうドロリとした熱の塊のような感覚が、思考
を不明瞭にしてしまう。
「お前は頷いてしまったのだから」
 知らず、モゾモゾと落ち着きなく捩ってしまう腰を、メルヴィスの大きな手が
掴む。そのまま装飾のベルトに手が掛かり、瞬く間に下肢を暴かれた。
「っ、メ・・・・・」
「だから、・・・俺に抱かれろ」
 メルヴィスは何を言っているのだろう。抱かれる。誰が。それは。
「ぅ、っあ、・・・あああっ、・・・ん・・・ん・・・っ」
 言葉の意味を飲み込めずにただ困惑するアスアドの心の内を知ってか知らずか、
メルヴィスの手は確かな意思をもって剥き出しの下腹部を撫で、そして微かに震え
ながら勃ち上がる性器に指を絡めた。アスアドも気付かぬうちに先端を濡らして
いた陰茎を包み、ゆるゆると上下に撫で擦る。ダイレクトな刺激に怯えた身体は
無意識に逃げようとするけれど、自身の身体で押さえ込むメルヴィスの下からは
逃れられず、絶え間なく襲ってくる今までに感じたこともない強烈な快感に恐怖
すら覚え、ただあられもない声を上げてしまうばかりだ。
「っあ、あ・・・あああああっ」
 性の快楽に耐性のないアスアドは、程なくメルヴィスの手の中に精を吐き出した。
息が整わない。ゼイゼイと荒い呼吸を繰り返す唇に、軽い口付けが落とされる。
 今のは何だったのだろう、と。ぼんやりと虚空を見ていたアスアドの潤んだ瞳が、
再び下肢に触れてきた指の動きに大きく見開く。アスアドの放った体液に濡れた指
が、滑るように会陰を辿ってその先の窄まりを押すように触れてきた。
「っ、・・・・・ぅん、・・・っ・・・」
 そんなところに触れるなと。言いたいのに、まともに意味をなす言葉が紡げない。
鼓動がせわしなくて、息苦しくて。
「メ、・・・ヴィ、・・・」
 呼ばれたのに気付いたのか、メルヴィスがそっと視線を合わせてくる。いつもの
涼しげな表情は、そこにはない。僅かに寄せられた眉はどこか焦りのようなものを
滲ませ、真摯な瞳の奥にはアスアドが見たこともない雄の情慾が揺らめいていた。
 そんなメルヴィスは知らない。厳しい戦いにおいても彼は昂りを露にすることも
なく、殆ど表情を変えず淡々と相手を斬り倒していく。
 その男が。
 欲情、しているのか。
 今更のように気付いたその事実に、アスアドは目眩さえ感じた。
「ふ、・・・っ・・・ぅ・・・く、ぁ・・・」
 メルヴィスの太い指が、侵入を阻む襞を拡げるように撫でては、少しずつその内
へと潜り込んでいく。急くことなく、ゆっくりと内壁を押し広げる。じわじわと
侵食されていく。
「ひ、・・・っ・・・!?」
 グリッと指で押された箇所から、またアスアドの知らない感覚が走る。それは
性器に触れられた時に感じたものに似ていたけれど、身体の奥からビリッと稲妻が
走るように駆け巡ったそれは、アスアドの不安な気持ちを募らせた。
「い、やだ・・・こんな・・・、あ・・・っ何・・・知らな、・・・俺は・・・」
「・・・大丈夫だ」
 そんな言葉は気休めだ。ちっとも大丈夫なんかじゃない。あんなところに指を、
もう2本も挿れられて、おかしな感覚のする場所を執拗に押されて。さっき達した
ばかりの性器が、また張り詰めているのが分かる。
「俺は、・・・どう・・・なってしま、う・・・?」
 呟いた声は酷く頼りなげで、メルヴィスは困ったように微笑むと慈しむように
アスアドの薄らと汗ばんだ額に唇を寄せた。
「大丈夫だと言った」
 言葉と、そして額に落とされた口付けに気を取られていたから、メルヴィスの
胴を挟む形になっていた脚が更に割り開かれ、腰をやや高く持ち上げられたのだと
気付いた時には指が引き抜かれ、その摩擦に呻きそうになった唇からは、悲鳴にも
似た声が迸った。
「っひ、あ、あああああっ!」
 熱い。最初に感じたのはそれで、後から襲ってきた痛みが狭い肉を掻き分ける熱
と区別がつかなかったのは、むしろ幸いだったのかもしれない。熱いのか痛いのか
分からない。ただ、先程埋め込まれていた指とは比べ物にならないくらい圧倒的な
質量が、アスアドの体内を侵してくる。
「・・・アスアド」
 名を呼ぶ声は低く掠れ、押し殺したような吐息が触れる。ジンジンと痺れている
そこから、また覚えのある衝撃がすぐに訪れた。
「ん、っ・・・あ、あ」
 穿たれた固いものが指で探り当てた箇所を擦り、だがそれはそこで留まることも
退くこともなく、更に奥へ奥へと入り込んでくる。
「・・・っ」
 グ、と。押し当たった肌は、メルヴィスのものだ。ああ、とアスアドはようやく
身を刺し貫いたものの正体を悟った。
「・・・・・メルヴィス、が・・・中・・・に」
「っ、・・・そうだ」
「そう、か」
 もっと取り乱すかと思ったのに。アスアドの反応は奇妙な程に落ち着いていて、
メルヴィスはきつい締め付けに耐えながら、アスアドの顔を覗き込む。
「罵倒される覚悟は・・・あったのに」
「・・・罵倒される、ような・・・ことを・・・している、のか・・・お前は」
「それは・・・・・」
 言い淀むメルヴィスに、アスアドは小さく笑った。
「俺は・・・頷いた、んだろう・・・?」
「そうだ、だが・・・」
「ああ・・・でも、分からないことが・・・」
 何だ、と問えば、どこか幼げな眼差しがメルヴィスを見つめる。
「お前、・・・何故、こんなことを・・・する」
 絶句、するしかなかった。
 分からないというのか。いや、アスアドならばあるいは、しかし。この行為の
意味を理解しないまま、身体を許したのか。
「お前が、・・・欲しかった」
 観念して告げれば、だがまだ理解したとは思えない表情がそこにある。
 ストレートに伝えたつもりが、アスアドには遠回しな表現であったらしい。
「俺は、・・・お前が好き、だ」
 もしかしなくても、これは先に告げておくべきだったのかもしれない。いきなり
身体を繋げられて、それで分かれと言われても勝手が過ぎるだろう。
「好き・・・」
 反芻するアスアドに頷く。
「愛している、と言う方が理解しやすいだろうか」
「あ、い・・・・・」
 噛み締めるように呟いて、アスアドの瞳が驚いたように丸くなる。
「愛、している・・・だと? お前が? 俺を?」
 そんなに意外だったのだろうか。それは確かに、態度にも言葉にも出したことは
なかっただろうけれど。
「愛、・・・・・」
 何度も繰り返されると、さすがに少し気恥ずかしくなる。いい加減理解しては
くれたのかもしれないが、理解するのと受け入れるのとはまた別問題だろう。
 やはり性急過ぎたのだろうか、という思いがメルヴィスの脳裏に浮かんだ時。
「愛されて、いるのか・・・俺は」
 そうか、と。納得したように、アスアドは柔らかな笑みを浮かべた。
 だから。
 期待、してしまいそうになる。
「・・・・・お前は」
 もしかしたら、と。
「アスアド、お前は・・・俺のことを」
「ずっと、気に食わない奴だと思っていた」
 だが、告げられた言葉は甘さの欠片もなく、メルヴィスの胸にチクリと痛みを
もたらす。
 そうそう都合良く話が進むものではないだろう。今までのアスアドのメルヴィス
に対する態度でも、それくらい分からないわけではなかったというのに。
「・・・・・キスも」
「・・・?」
「キスというものは、愛し合う者同士でするものだと思っていた」
「・・・・・それは、・・・ある意味正しい認識だが」
「だが、それだけではなかったらしい」
 アスアドの手が、やや強張っていたメルヴィスの頬に触れる。
「愛していると・・・伝えられた」
「アス・・・アド」
 指先が、何かを確かめるように唇を撫でる。
「頷いたのは・・・嫌ではなかったからだ、と思う」
 メルヴィスに愛していると告げられた。愛されているのだと知った。
「俺から、お前に・・・同じ言葉は、返せない・・・今は」
「・・・・・ああ」
 同じものを返せとは言わない。見返りを、それだけを求めて告げたのではない。
「なのに、・・・お前に愛されていたいと思うのは、やはり・・・身勝手だろうか」
「・・・・・それで、良い・・・お前が、そう望むのならば」
 望まれなくても。愛することを、止められはしないのだ。
「・・・懐の大きな男だな、お前は」
「誉められているのならば、嬉しい」
「悔しいんだよ、・・・でも」
 コク、と。アスアドの喉が、飢えたように鳴る。
「俺を、・・・愛して欲しい・・・・・メルヴィス」
「・・・誘っているのだと、受け取って良いのだろうか」
 確認するように伺えば、曖昧な表情を返される。
 ならば。
「・・・・・ん」
 キスを。
 そして。

「続きを、・・・アスアド」

 囁いて、首筋に顔を埋めた。