『stance』


 キィン、と刃のぶつかり合う高い音が響く。掛け合いの声も真剣味を
帯びていて、剣術鍛練の一環とは思えない程に緊迫した空気が、普段は
のどかな中庭の様子を張り詰めたものに変えていた。
「さすがだな・・・メルヴィス殿は」
 ゴクリと喉を鳴らしながら思わず感嘆の声を漏らしたロベルトを、すぐ
隣に並び立っていたアスアドが一瞥し、やや歯切れ悪く肯定の意を述べ
ながら、剣を交わし合うメルヴィスとそしてクロデキルドの2人に視線を
戻した。
 ほぼクロデキルドの華麗な剣さばきに釘付けになっていたアスアドは、
ロベルトに言われて初めてメルヴィスへと意識を向けた。
「・・・・・」
 確かに、クロデキルドのように動きに派手さはないものの、その攻撃を
受ける様に隙というものは全く見受けられない。むしろ、どこか余裕さえ
感じる所作は、だがクロデキルドの力量を侮ってのことでは決してない。
目を見れば分かる。手を抜いてなどいない。
 それでもクロデキルドの剣を軽くさばいているように見えてしまうのは、
やはりこの男がそれだけ剣技に長けているということなのだろう。
 長い鍔競り合いの後、互いにタイミングを見計らったかのように刃を
逸らし、1歩退いて2人は剣を収めた。
「やはり、まだまだそなたには適わんな・・・メルヴィス」
「それはこちらもです、姫様」
「・・・涼しい顔をしておいて」
 フッと口元を弛めながら、汗ばんだ額に張り付いた前髪をかきあげる
ようにしてクロデキルドが振り返る。ロベルトと、そしてアスアドを交互
に見つめ、やがてひたとアスアドに視線を定めると、やや乱れた息を抑え
ながら、スッと手を差し伸べた。
「アスアド殿にも、1度手合わせをお願いしたい」
「わ、・・・私ですか?!」
 クロデキルドの申し出に、アスアドは上擦った声をあげる。願っても
ない、というよりは思ってもみなかった。帝国にいた時にも、そのような
機会はなかったし、そもそもアスアドは剣士ではない。多少の心得はあれ
ど、剣の達人であるクロデキルドの相手などアスアド自身、到底勤まる
とは思えなかった。
「私などでは、とても・・・」
 謙遜ではなく本音だ。だからといって、こちらに合わせてクロデキルド
に手心を加えて貰うのでは手合わせの意味はないだろうし、とはいえ本気
で渡り合えば、やはり手合わせにもならないだろう。
 それに、クロデキルドに不様な姿を見せたくない、というささやかな
男心というものもある。
 なのに。
「いきなりそう言われても、アスアドとて困るでしょう」
 口を挟んできたメルヴィスに、ついムッとした顔を向けてしまえば、
涼しげな微笑みがそれを受け止める。
「少し、肩ならしを・・・俺が相手では不服だろうか、・・・アスアド」
「メルヴィス、と・・・?」
 まさか、そう振られるとは思わなかった。肩ならしなどとメルヴィスは
言ったが、例え先程までのクロデキルドとの手合わせで多少疲労している
だろうとはいえ、そのクロデキルドがおそらく騎士団の中で唯一適わぬで
あろう使い手がメルヴィスだ。クロデキルドとの手合わせでさえ躊躇する
というのに、メルヴィスが相手では。
 だが、その時のアスアドは少しばかり冷静さに欠けていた。
「・・・・・お相手願おう」
 クロデキルドとロベルトが驚いたように見つめてくるのさえ視界には
入ってこなかった。目の前の、この涼しげに微笑んでいる男に負けたく
ない、と。その気持ちだけが、先走っていた。
「では・・・これを」
 メルヴィスが、両手剣のうちの1振りをアスアドに差し出す。
「俺は左手のみで構わない」
「っ、・・・・・!」
 アスアドには両手剣は扱えない。片手で剣をふるうだけの技量はなく、
この差し出された片手剣も両手で扱うことになるだろう。それに対して
メルヴィスは、残りの剣を左手のみで扱ってみせるという。
 手加減されている。
 見くびられている。
「・・・・・くっ」
 憤りに拳を震わせながらもアスアドは大きく息を吐いてどうにか気持ち
を落ち着かせると、メルヴィスから剣を受け取り、すぐさま構える。
 帝国にいた頃は、実践では魔道兵団としての戦闘しかしてこなかった。
それでも、シャイラに「杖だけを持たせておくには惜しいねえ」と言わ
せた程には、剣を使った模擬戦ではかなりの腕を披露していた。
「参るっ!」
 メルヴィスが左手で剣を構えたと同時、アスアドの足が地を蹴る。その
瞬発力とスピードをもって放った一撃は、だがメルヴィスの掲げた剣で
易々と受け止められた。
「まだまだァッ!」
 魔道兵団において、猛将と呼ばれたアスアドである。その間髪入れずに
繰り出される攻撃の激しさたるや、幾度となく共に戦ってきたロベルトで
さえ息を飲むほどで、クロデキルドも興味深げにそれを眺めていた。
 何度も何度も何度も。アスアドの剣は、だがメルヴィスの剣によって
受け止められ、流される。メルヴィスから仕掛けてくることはなく、ただ
防戦一方に見える。
 本気で相手をしているわけではないのだと思えば。
 それが。
 余計に、腹立たしい。
「・・・っ」
 一旦剣を下げ、構え直したアスアドの瞳の色が、一段と濃くなった気が
した。ハッとしたように刮目したメルヴィスが左手に力を込めようとした
瞬間、アスアドの身体が真直ぐにぶつかる勢いでメルヴィスに向かって
飛び込んで来た。
「くっ」
 咄嗟のことだった。アスアドの動きは確かに機敏で勢いもあった。だが
メルヴィスはそれを目で確実に捕えていた。ただ、ほんの万分の1秒ほど
合わせるのが遅れてしまった。それを悟るより、身についた半ば本能にも
似た身のこなしが、それを上回った。
 メルヴィスの左手が、大きく空を薙ぐ。刀身はアスアドの身を傷つける
ことはなかったものの、やはり反射的に身を逸らしたアスアドの、その
体勢では足は地面を捕え切れなかった。
「っ、・・・ぅ・・・・・」
 まともに受け身をとることも出来ず、アスアドの身体は背中から地面に
叩き付けられる。背中に衝撃を感じる直前、剣をふるったメルヴィスの
表情が、ひきつったように歪むのが見えたような気がした。
「アスアド殿!」
 倒れたアスアドの元に真っ先に駆け付けたのはクロデキルドであった。
慌てて助け起こそうとするものの、肩に触れた途端アスアドの顔に苦痛の
色が走ったのを見て、それ以上を躊躇わせてしまう。
「姫様」
 戸惑うクロデキルドの後ろから声がした刹那、力強い腕がアスアドを
抱き起こした。
「く、ぅっ・・・」
 痛みを訴えるのを無視するように、メルヴィスはアスアドの身体を引き
寄せると、そのまま軽々と横抱きにして立ち上がった。
「医務室に連れて行きます」
「あ、ああ・・・」
 クロデキルドが頷くよりも先に、メルヴィスは踵を返すと足早に城の中
へと向かう。アスアドを抱えたメルヴィスの様子に、擦れ違う面々が一体
何事かと怪訝な顔をしていたが、真直ぐに医務室へ駆け込んだのを見て、
おおよその事情を察してそれぞれ顔を見合わせた。
「おう何だ、とうとう劣情を抑え切れなかったのかな、この色男め」
「無駄口はいい。早く診て頂こう」
「・・・・・怖い怖い」
 肩を竦めるザフラーの前を擦り抜け、奥のベッドにアスアドをゆっくり
と下ろす。やはり背中を強くうったのか、仰向けに横たわらせると辛そう
なので、横臥するように身体をずらしてやる。
 一瞬。
 痛み故が、やや潤んだ緑色の瞳と交錯する。
「では負傷した箇所を見せて下さい」
 何か物言いたげにアスアドの唇が震え、それを聞き取ろうと身を乗り
出したメルヴィスだったが、医療道具を抱えてきたユーニスの言葉に、
治療の邪魔にならないようにと後ろに下がる。
「さあて、どれどれ・・・」
 続いてザフラーがベッドを覗き込み、ユーニスが手早く寛げたアスアド
の背中を見、そして軽く触診しながら薬箱を指差す。
「これとこれと、・・・ああ痛み止めも打っておくかな」
「はい」
 ザフラーの指示にユーニスは頷き、背中を濡れたタオルで拭い、軟膏を
塗り付けると、注射器を取り出す。
「少しチクッとしますけど」
 一応そう断って、袖を捲りあげて消毒したアスアドの腕に針を刺し、
ゆっくりと痛み止めを注入していく。
「塗らせて貰ったお薬は良く効きますから、明日には普通に動けるように
なります。それまではここで安静にして貰いたいので、寝辛いでしょう
から鎮痛剤を使いました」
「というわけだ」
「・・・・・了解した」
 ニヤリと意味ありげな笑みを浮かべて肩を叩いてくる医師を一瞥して、
メルヴィスはユーニスに小さく頭を下げる。
「ここにいても?」
 伺えば、ユーニスはにこりと笑って頷いた。
「もう少ししたら、鎮痛剤の効果で眠ってしまうと思いますが」
「分かった」
 了承の意を伝え、アスアドの横たわるベッドへと近付く。辛そうに伏せ
られていた瞼が、気配を感じてゆっくりと持ち上げられた。覚束ない瞳が
傍らに立つメルヴィスを捕え、睨み付けるように細められる。
「済まなかった」
 先に言葉を発したのはメルヴィスだった。神妙に頭を下げるその様に
アスアドは、だがその言葉を素直には受け取らなかった。
「お、前・・・など・・・っ・・・・・」
 食って掛かろうと身を起こそうとしたのだろう、だが安静を言い渡され
ている身体は、その痛みにすぐにベッドへと沈む。力なく横たわりながら
それでもきつい眼差しは真直ぐにメルヴィスを射抜いていた。
「言いたいことがあるなら、明日聞く・・・今はゆっくり休」
「そうやって!」
 身を屈めるようにして言い含めるメルヴィスの腕を、アスアドの指が
強く掴んだ。
「俺を・・・侮って・・・いつも・・・・・」
「俺はお前を侮ったことなど1度もない」
 何を言うのかと眉を顰めるメルヴィスに、尚もアスアドの憤りは収まら
ない。
「俺など利き腕でない片手1本で充分なのだろう・・・ああ、分かって
いる、それ以上に剣技での力量差はあることは! 分かっているのだ!
分かって、・・・いる・・・のに・・・・・」
「アスアド」
 メルヴィスの指が、静かに紅潮したアスアドの頬に触れる。その指先が
酷く冷たいと感じたのは、アスアドが昂揚しているからなのか、それとも。
「そんなつもりではなかった」
 発した声は、いつもの彼らしからぬ沈んだ響きで。
「ただ、・・・俺もお前と手合わせしてみたいと思っていた」
 なかなかそんな機会は得られなかったから、今ならばと思ったのだ。
「左手で相手をしようと思ったのも、・・・ああそうだな。互いの力量を
判断してのことだった・・・だからといって、俺はお前を見くびったりは
していない」
 メルヴィスの言葉を聞いているのか、それを理解しているのかいない
のか、アスアドはただ黙って視線だけは外さずに、頬に触れる手を嫌がる
こともなく、じっとしていた。
「そんなことが、・・・出来るはずはないというのに」
 指先が頬を滑り、こめかみから髪を梳くように動く。やや汗ばんだ髪は
冷たい指先に絡まって、するりと外れた。
「だが、・・・お前に嫌な思いをさせてしまったのだとしたら、それは
俺が」
「・・・った・・・」
 アスアドの唇が、掠れた音をこぼす。
「悔し・・・かった」
「・・・アスアド」
「だって俺は・・・メルヴィス、と・・・・・」
 それは最後までは言葉にならず、アスアドの瞳が、ゆらゆらと不安定に
揺れる。
「目が覚めたら・・・全部聞かせてくれ」
 アスアドの瞼が落ちたと同時、メルヴィスの影がゆっくりと重なって
離れていく。夢うつつに額に触れたものは何だったのか、そのまま眠って
しまったアスアドは気付かなかったかもしれない。



「覗き見とは感心しないな」
「神聖なる医務室で不埒な行為に及んでおいて何を言うか」
 おでこにキスしただけじゃないですか、と、しっかり目撃してしまって
いたユーニスが小声で呟く。
 アスアドを宜しく頼む、と言いおいてメルヴィスは医務室を後にした。
お任せ下さいとそれを見送り、ユーニスはベッドの様子を伺い見る。
 横たわるアスアドの寝顔は穏やかで、鎮痛剤がよく効いているのだと
安堵しつつ、その表情のどこか幼い様子に自然と口元が綻ぶ。
「この可愛い寝顔をしっかりと拝まずに行ってしまうとは、・・・いや
見たら見たでムラッときてそのまま」
「セクハラ発言禁止です」
 背後から顔を覗かせたザフラーの後頭部を、ユーニスの手にしたカルテ
が良い音を立てて叩いた。