『positioning』



「いい湯だったな〜っと」
 鼻唄混じりに脱衣所のドアを開け、Tシャツに短パンに素足といった
寛ぎスタイルで、勝手知ったる人んちの廊下をペタペタとリビングに
向かう。
 冷蔵庫に冷えた麦茶が入ってるって言ってたよな、と。良い具合に
ホカホカの身体、そこに冷たい麦茶を飲み干す爽快感を想像しつつ、
シズイは肩に掛けたタオルで生乾きの髪をガシガシと拭った。

 ここ、は。カイトの家は、居心地が良い。家庭内事情が色々と微妙な
だけに、休日ともなれば決まってここに上がり込み、そのまま泊まって
いくことも珍しくない。洗面所にはシズイ用の歯ブラシやコップまで
常備されていることに、幸せを噛み締めたりもする。
 明日も休みが貰えたから、今夜もしっかりちゃっかり泊まらせて貰う
つもりでカイト宅を訪れ、一緒に夕食を作って食べて、風呂も2人一緒
に入ったりなんかして。意外と長風呂のカイトを残して先に上がり、
上機嫌のシズイがリビングに足を踏み入れると。
「あら、また来てたのシズイくん」
 掛けられた声に。
 一瞬、間を置きながらもシズイは笑顔で応えてみせる。
「ええ、またお邪魔してま〜す。お疲れ様です、・・・タツキさん」
「カイトは、・・・・・まだ当分出て来ないわね」
 帰ってすぐに最愛の弟の出迎えが欲しかっただろうことは、これまで
の経験や目の前のあからさまに落胆した表情からも容易に知れる。以前
カイトの顔が早く見たくて我慢出来なかったタツキが風呂場に駆け込ん
で、ちょっとした騒動になったとは、カイト談。
 さすがに今日はそこまでするつもりはないのか、リビングのソファに
ゆったりと腰掛けているタツキの横をさっさと擦り抜け、続きになって
いるダイニングに向かおうとした時。
「ねえ、ちょっとそこに座って?」
 ちらりと様子を伺った視線が、タツキのそれとかち合うとほぼ同時に
そう告げられて。小さく肩を竦めながら、シズイは言われるままタツキ
の向かいに腰を下ろす。
 芯まで暖まっていたはずの身体は、とっくにクールダウンしていた。

「カイトと仲良くしてくれていることには、とても感謝してるわ」
 前置きとしては、まずそうくるかなと。
 ほぼ予想範囲内のタツキの言葉に、シズイは浮かべた笑みを少しだけ
濃くする。秘められた意味にも、取り敢えずは気付かない振りをして。
「ははは、タツキさんに改まってそんな御礼言われるようなことでも
ないですよー」
 というか、感謝されているのだとして、だからといってこうして
わざわざ礼を言われるようなことじゃない。そこを、敢えて言ってくる
意図なんて。
「シズイくん、貴方はカイトの『親友』なのよね」
「ええ、そのつもりですよ」
 自称、ではなく。確固たるその位置を、シズイはそれなりの年月を
かけて築き上げてきたつもりだ。周囲の目にも、2人は『親友』として
映っているのはほぼ間違いなく、事実『親友』と呼ばれるに相応な関係
なのだと確信はしていた。
 けれど。
「なら、・・・ずっとその位置に甘んじていてちょうだいね」
 口元には柔らかな笑みを浮かべながらも、その目は笑んではいない。
自分の言葉に対してのシズイの反応を僅かでも見逃さない、そういう
瞳だ。
「それ、・・・・・どういう意味ですか?タツキさん」
 そして、シズイも。
 あくまで低姿勢気味に。
 あくまで笑顔で向き合いながらも、やはりその目はタツキの真意を
探るように、真直ぐに。誤魔化しは効かないのだと、そう思えば視線を
外すわけにはいかない。
 ふ、と。
 こぼれたタツキの微笑いにも、どこか張り詰めたこの部屋の空気は
決して弛むことなく。笑顔で会話している2人は、一見和やかに見えて
実際は腹の探り合いなのだから、時折混ざる互いの吐息のような笑い声
が、かえって恐ろしい。
「私のカイトとのスキンシップを、お友達だからと大目にみてあげて
いるんだから、・・・それ以上はダメよ」
 釘を刺された、のか。
 だが、それだけだろうか。
「へえ、・・・相変わらず過保護・・・いや、愛されてるなあカイト。
って、それ以上って何なんですか?タツキさん」
 無駄だろうなと思いつつ、取り敢えずとぼけてみせれば、だがやはり
そんなもの通じるはずもなく。
「あら、私が気付かないとでも思ってたのかしら?シズイくん、貴方は
私のカイトをいやらしい目で見ているわね?」
「・・・・・はい?」
 己に向けられる恋愛感情に関しては、とてつもなく鈍いくせに、溺愛
している弟に向けられたその手の感情に関して、タツキは恐ろしく鋭い。
相手が男だろうと女だろうと、敏感に察知し、そして何食わぬ顔で害虫
退治を行ってみせる。
 確かにシズイの目から見ても恋愛に疎い分、カイトは無防備で、悪い
輩に勾引されないようにと神経を尖らせるタツキの気持ちも分からなく
はない。むしろ、良く分かるものだから、心境としては複雑な部分も
あるのだけれど。
 しかし、いやらしい目とくるとは。
「あの子と一緒にお風呂に入ってきたんでしょう?その時、貴方何を
考えていた?」
 何を考えていたか、なんて。
 洗いざらいぶちまけたら、どんな反応をするのか興味はあったけれど
ここで流血沙汰は御免被りたい。相手が女とはいえ、現役エリートな
ヴァリアントと普通の武器すら持たない調査員とでは、いくらなんでも
ガチンコ勝負では分が悪過ぎる。
「警戒心の欠片もないし、あの無防備さは罪だなあと思いましたよ」
 一応、単語としては当たり障りなく。
 だけど、しっかり本音を洩らしてみせる。
「・・・・・触ったのね」
 ビクリ、と。
 綺麗に組まれたタツキの指が、微かに震える。
「いやだなあ、タツキさん・・・身体の洗いっこなんて『親友』として
は、極自然なスキンシップの1つでしょ?」
 そう、だから。
 カイトだって、拒んだりしない。
 まして、警戒なんて。
 させやしない。
「・・・だから、それ以上は許さないと言ってるの」
「・・・・・カイトが、それ以上を許してくれても?」
 許す許さない、なんて。
 そんな許可、そもそもタツキに求めたりしてない。
「あの子の人の良さにつけ込んで、それ以上のことに及んだりしたら
・・・貴方も、そう馬鹿じゃないわよね・・・シズイくん?」
 ゆったりと。
 足を組み換える仕草は、だけど色気とかそういう女らしさを感じさせ
るものではなく、余裕を相手に見せつけているのだと。
 そう、思える。
「私としても、カイトの大切な『お友達』が遺跡調査中に突然消息を
断つだなんて、そんな悲しい結末にはしたくないわ」
 これ、は。
 脅迫以外の何ものでもない。
 まさかそんなことをタツキが実行するはずない、という楽観的な考え
と。
 でもタツキならばそれくらいのこと簡単に、という深刻な考えとが
同時にシズイの内に浮かぶ。
「・・・・・怖いなあ、タツキさん」
「あら、ちっとも怖がってる風にはみえないわ」
 それなりの覚悟はあるのだと。
 はっきり告げれば、さてどうなるのだろう。
 しばし思案していると、パタパタと廊下を小走りで近付いてくる
スリッパの音と。
「あ、姉さん帰ってたんだ!」
 カイトの弾んだ声。
 途端、タツキの貌が輝かんばかりの笑顔に満たされる。
「ただいま、カイト!うふふ、良い香り〜!」
「ちょ、姉さん濡れちゃうよ、俺まだ髪・・・・っ」
 先程までの緊迫した空気は一気に払拭され、甘ったるい声からハート
マークが零れ落ちて乱舞しているようにさえ見える。
「私が乾かしてあげるわね、カイト!ドライヤー持ってくるから、そこ
に座って待ってなさい」
 ここぞとばかりに甘やかす気満々で、タツキが足取りも軽くリビング
を出て行く。
 もはや、シズイのことなど眼中にあるはずもなく。
 御機嫌な背中を溜息混じりに見送り、苦笑しながらこちらを見ている
カイトに、シズイはふと思い出したように、ぽつり呟く。
「なあカイト・・・俺たち親友だよな?」
「・・・へ?何をいきなり・・・そんな当たり前のこと聞くんだ?」
 当たり前、と言ってくれる。
 それはとても嬉しいことではあるのだけれど。
「うん、まあ・・・現状確認というか」
「・・・・・?」
 タツキの脅しに屈したわけではないけれど、取り敢えずは現状維持で。
「・・・ゆっくりじっくり確実に攻めますか」
 『親友』という位置に、このままおとなしく収まっている気なんて
ないのだけれど。
 焦らず急がず、着実に。
 タツキの言うところの、それ以上に持ち込むためにも。

 今は、まだ。
 オトモダチのままで。





「俺たち親友だよな!」という輩は危険度高いです(偏見)。
でも、タツキは切り抜けてもスイヒがいます。前途多難。