『door of maze』


 伸ばした手は、いつも届かない。
 宙に散らばる無数の機体の破片。その中を漂う、遠い人影。
 こちらを見て、微笑った気がした。表情なんて、こんな距離から分かる
はずなどないというのに。でも、確かに彼は微笑んでいた。
 待っていろ。もうすぐだ。もうすぐ、なんだ。
 なのに。
 爆風に流されていく、身体。
 割れた、メット。

 そして。

「っ、ーーーーーーーーーーーー!」
 いつも、そこで意識が浮上する。半覚醒の中、あれは夢なんだと安堵する
裏で、本当にそうなのかと疑う自分がいる。夢などではなく、あれは現実に
起こったことなのだと。それを、悪夢として見ているだけなのだと。
 耳にこびりついた目覚める直前の断末魔は、一体誰のものだったのだろう。
「・・・・・」
 夢なのか現実なのか分からず、もうずっとあの光景に苛まれている。だが、
今は違う。
 確信が、ある。
 そう、あれはただの夢なんだ。あいつが、死ぬはずがない。

 だって、あいつは。
 ここに、いる。

「・・・・・刹那?」
 伸ばした手は、怪訝な表情をしてこちらを覗き込んでいる隻眼の男の頬に
触れた。滑らかな肌は、手の平にその温もりを伝えてくる。
 ほら、届いたじゃないかと刹那は小さく笑った。
「おい、・・・どうしたんだよ」
 滅多なことでは笑顔など見せない刹那に、少し戸惑っているのだろうか、
やや落ち着きのない素振りで簡易ベッドから立ち上がろうとした男の腕を
掴んで思いきり引き寄せた。
「う、あっ・・・」
 不意打ちもいいところだが、思い通りに胸の上に転がって来た身体を抱き
寄せれば、呆れたようなくすぐったそうな笑う吐息が素肌に触れた。
「何つーか、・・・ほんと大きくなったよな、・・・刹那」
 決して小柄ではない自分の身体を難無く受けとめた刹那の腕の中に身体を
預けながら、どこか感慨深げに呟くのに、刹那は当然だと小さく鼻を鳴らす。
あれから何年経ったと思っているんだ。子供はいつまでも小さな子供のまま
じゃない。
「まあ、まだ俺の方が背は高いけどな」
「すぐ追い抜く」
「・・・・・そうか」
 また笑った声に、だが、からかうような響きはない。
 いつからだったか、可能な限りほぼ毎日ミルクを飲むようにしていたこと
を、この男は知っているだろうか。ただミルクを摂取するだけで背が伸びる
はずはないのだろうが、一応栄養価の高い飲み物ではあるし、今となっては
それなりに効果はあったのかもしれないとも思う。
 もうすぐ追い付く。追い越す。
 だから。
「・・・・・こォら、その手は何だ」
「したい」
「・・・そういうとこまで、しっかり成長しやがって」
 刹那の手が背中を辿り、指が沿うように尻の狭間に滑り込んでも、抵抗は
殆どなかった。それをいいことに指を進めれば、まだ熱を持った濡れた襞に
辿り着く。指先に感じるぬめりは刹那が注ぎ込んだものが零れ出て来たの
だろう。窄まった中に塗り込めるように指を動かせば、肩口に顔を埋めた男
が小さく息を飲む気配がした。
「・・・挿れたい」
 欲望をそのまま口にすれば、潤んだ入り口が押し宛てられただけの指を
飲み込もうとするかのようにヒクリと蠢いた。それが了承と解釈して、刹那
は男の身体をやや乱暴に仰向けに転がすと、投げ出された脚を掴んで左右に
大きく割り開いた。
「待っ、・・・・・っ・・・ぁ・・・・・」
 もう待てない。待たない。どれだけ待たされたと思っているんだ。焦燥を
滲ませた言葉を胸のうちで呟きながら、開かせた脚を持ち上げるようにして、
挟み込んだ腰を押し進める。指の代わりに宛てがった昂りは、先の情交の
名残りもあって、たいした抵抗もなく飲み込まれていった。

 熱い、身体。中も外も。
 こんなにも、だから、お前は。
 ちゃんとここに、いるじゃないか。



 ゆっくりと意識が浮上していく。また少し眠ってしまっていたのだろうか。
薄闇に目を凝らせば、見慣れた横顔がシルエットのように視界に入ってきた。
ずっと抱き締めて眠っていたはずなのに、いつの間に腕の中から抜け出した
のだろうと考えながら小さく身じろぎすれば、男は刹那が目を覚ましたこと
に気付いて振り返り、微笑った。
 その笑顔が、どこか遠くに感じられて、刹那は咄嗟に手を伸ばす。掴んだ
腕はさっきのような素肌ではなく、彼はもう既に衣服を纏っていた。そして
それは自分も同様で、もしかしてさっきまでのことも全て夢の中の出来事で
あったのかと、刹那は触れた存在を確かめるように、手の中から消えていか
ないようにと力を込めた。
「・・・・・痛いよ」
 苦笑混じりに告げられても、手は離せなくて。力を弛めるどころか、増々
強く掴んでしまうのに、だがもう彼はそれについては何も言わずに、刹那の
顔を覗き込むようにしてゆっくりと身を屈めた。
「お前と再び出会って、お前と過ごしていて、分かったことがある」
 静かな声は、かつてよく耳にしていた年長者が語るその響きだ。いつまで、
いつまででも彼にとって自分は子供なのだろうか。
「お前には、・・・まだやることがある」
 そうだろ、と。その声に、だが反発してみたくなる。
「それならば、ロックオン、・・・お前だって・・・」
 馴染んだその名を口にすれば、穏やかな瞳が一瞬翳ったように見えた。
「お前の知っているロックオン・ストラトスは、もう・・・いないんだよ」
 いるのに。
 ここに。
 存在している、のに。
「俺はもう、・・・あの場所にいられない」
 それは、C.B.のことを指しているのか。
 それとも。
「・・・やっと捕まえた、のに」
 酷く喉が渇いている。どうにか絞り出した声は掠れて、どこか頼りなく
震えて聞こえた。
「『亡霊』は、捕まえられやしないぜ。まあ、・・・その『亡霊』の分際で、
のこのこお前の前に出て来た俺も、俺なんだけどな」
 自らを亡霊だと言う、その亡霊とやらは、こんなにも確かな感触があって
こんなにも暖かいものなのだろうか。
 あの熱さは、本当に幻だったのだろうか。
「・・・未練、なのかねえ」
 それは。
 何の。
 何に対しての。
「未練があると言うのなら、俺と・・・・・」
「ここ、には・・・もう俺は存られないんだよ」
 分からない。ここ、とはどこのことを指しているのか。
「なあ、刹那・・・」
 腕を強く掴んでいた手に、ひと回り大きな手が重なる。手袋をしていない
生身の温もりは、それでも確かに自分の良く知っている男のものだ。
 生きている、者の手だ。
「お前に託して、良いか? 俺の、・・・・・お前に、刹那」
 お前に。
 お前なら。
 お前だから、と。
 だが、すぐに頷いてやることが出来ず、刹那は碧色の瞳を覗き込む。そこ
に映る自分の顔を、彼に残された片目はどんな風に捉えているのだろう。
 あの頃のままの、刹那なのか。
 それとも。
「俺が行動することで、この先どういう世界になるかはまだ分からない」
 独り、旅をしてきた。ずっと見てきた。世界は、まだ歪んでいる。その
表面だけを取り繕って、歪みを抱えたまま存在している。それを目の当たり
にしてきた。
 そこに。自分が何らかの介入を試みることで、何かが変わるというのなら。
「そうだ、どうなるか分からない・・・・・だけど、もしその世界でお前が
・・・お前でいられるのなら、・・・ロックオン、その時は」
 刹那の言葉の続きを待たずに、やや伏し目がちの顔が左右にゆっくりと
振られた。だめなのか。だめだというのだろうか。
「ああ、そんな顔すんなって・・・そうじゃなくて、だな」
 自分がどんな顔をしているのかは分からないけれど、苦笑しながら長い指
が刹那の髪を撫でるように梳いてくる心地良さに、腹の奥の冷たい固まりが
解かされていくような気がした。
「もう、その名前で俺を呼ばなくていい」
 告げられて。頭の中に浮かんだスペルを、そのまま口にする。
「・・・・・ニール」
 呼べば、彼はそれで良いんだと言うように、柔らかく微笑んだ。




 そこで、刹那はまた目を覚ました。ぼんやりと見上げた天井は、数日前に
辿り着いた小さなオアシスに造られた集落の簡易宿泊所のものだ。狭い寝台
には、自分ひとりしかいない。そもそも、大人の男が2人寝られるスペース
など、ベッドの上にはない。
「・・・また、夢・・・なのか」
 それとも。
 一体どこまでが夢で、どこからが現実なのだろう。それとも全部、夢に
過ぎないのか。
 触れていたはずの、あの温もりも。
 吐息も。
 重ねた肌も。熱も。
 砂漠で見た、蜃気楼のようなものだというのか。
「・・・・・、っ・・・?」
 触れていたはずの肌の温もりを確かめるように、グッと握り締めた拳。
強く握り込んだその指先に、微かな違和感があった。それを確かめようと、
広げた手を目の前に翳して、刹那はハッとしたように息を飲んだ。
 薬指に絡む、軽いウェーブを描くやや長めの茶色の髪。
 これは。
 幻なんかであるはずがない。
「・・・・・何が、亡霊だ・・・」
 笑いが込み上げてくる。視界が滲んだようにぶれる。目の奥が熱い。
「そうだな、・・・お前は見ていてくれれば良い。俺が、戦ってやる」
 お前の代わりに、だとか。
 お前の分まで、だなんて。
 そんな言葉で、枷を与えたりはしない。
 だから。
「・・・それが、お前の望む世界なのか俺には分からない、・・・けれど。
いつか、必ず------------」

 捕まえる。
 また抱き締めるから。
 その時まで、どうか。