『それは祈りにも似た』



 夜の静寂に微かに木々の葉を揺らす風が心地良い。まだグラスに注がれた
まま、殆ど手を付けていなかった琥珀色の液体をようやく舌に乗せ、その
独特の苦味と芳香を味わっていれば、同じようにしてグラスを傾ける同じ顔
が苦笑混じりに呟いた。
「あの子は聡いな」
「あの子・・・?」
 そう切り出すのに、まず浮かんだ貌は赤い髪をした幼子。ややおいて、
金色の髪の少女。
「カイト、だよ」
 どちらのことだろうと考えていたのを、見透かしたように。実際、容易く
読み取れたのだろうと思うが、こんな風に思考がほぼ筒抜けであっても決して
嫌な気分はしない。それは、当たり前のこと。ずっと前から、そう2人一緒に
この世に生を受けたその瞬間から。2人で1つ。1人の人間。
 ただ、こうして時折、酒を酌み交わすひととき、向かい合う互いがそれぞれ
別の人間だったというのを改めて感じる。
「カイト、が・・・どうかしたのか」
 その名前を口にする時、テオドールの1人-----カインの表情が僅かに綻ぶ。
そのどこか甘ったるい微笑に、こちらも口元を緩めながら。
 もう1人のテオドール-----アベルは、やや大袈裟に見えるよう溜め息を
ついてみせた。
「今日、私が天音邸を訪れた時・・・・・出迎えてくれたカイトが『私』を
見て、がっかりした顔をした」
「っ、それは・・・・・」
「自分のテオおじさんじゃない、・・・そんな顔だった」
 その時のカイトの表情を思い出して苦笑しつつ、そっと双子の兄を伺い見て。
だがその蒼白な様に、アベルは慌てて手にしたグラスをテーブルに置くと、
身を乗り出しカインの血の気のひいた頬に手を添える。
「済まない、カイン・・・・・そうじゃない、君やカイトを責めたりしている
訳じゃないんだ」
 ただ、少し。
 そう、ほんの少しだけ妬けたのは事実だけれど。
「カイトはちゃんと『テオおじさん』として私にも懐いてくれている・・・
一見全く区別なく。些細な違いに気付いたとすれば、エルモぐらいだ」
 そう。元々その秘密を知っているアベルの娘・エルモ、そして互いの父・
マティアス、それ以外にカインをカインとして認識しているのは。
「カイトは、それだけカイン兄さんのことが好きなんだよ」
 エルモも言っていた。アベル父さまは私のものだけど、カインおじさまは
カイトのものなのよ、と。
 その言葉の意味が、今更ながらアベルにもよく分かる。カインは、確かに
自分の影ではあるけれど、その本質は間違いなくあの幼子の、あの子だけの
ものだ。
「私、は・・・私であってはならないのに」
 何て大それた夢を見てしまったのだろう、と。項垂れる肩に、宥めるように
弟の手が添えられる。
「カインはカインだ、・・・それを見抜いたカイトが望んで、だからそれで
良いじゃないか」
 そこに。
 何の咎があろう。
「望んだのは、私の方だ・・・・・アベル、私はあの子を」
「それで良いじゃないか、・・・カイン」
 慈愛の貌と悲愴な貌とが向かい合う。
 やがて。どちらともなく静かに目を伏せ、2人の間に苦笑ともつかない
微かな笑いが2つ重なる。
「かなわない、な」
 そして、どちらともなく呟き。上げた顔は、双方とも静かな笑みを浮かべて
いて。
「明日は、カイン兄さんの出番だったな」
 カイトが喜ぶだろう、と笑みを濃くすれば、それを見つけたカインの瞳が
僅かに眇められる。
「私はカインもカイトも愛してるからね・・・大好きな2人が嬉しいと、
私も嬉しい」
 その笑顔と言葉に偽りはなく。まだ肩に添えられたままの手に、ようやく
強張りの取れた手をそっと重ねる。
 肌の色も肌理も大きさも何もかも全て同じ、手。だけど違う人間の。
「私もお前を愛しているよ、・・・アベル。もう1人の私・・・大切な私の弟」
「でも1番はカイトだろう?」
 茶化すように返せば、だがそれは否定されることもなく。ただ、ほんの少し
眉が困ったように寄せられただけで。

 何も求めない、求めてはいけないと、ただひたすらに影の身に徹してきた、
この愛しい半身が初めて望んだもの。望まれた、こと。

 ああどうか、この愛すべき魂が幸せであるようにと。

 祈る。

 ずっと、息絶えるその瞬間まで。

 祈っている、から。






カイト@ちびっこの出番ナシ。でも、根っこはカイン×カイト。