『out of jealousy』


 今何処にいる?、と。
 携帯電話越しの声が少しばかり不機嫌に聞こえたことに、そのまま反発する気持ち
で応えそうになったのを、グッと堪えて。
「もうすぐヴェネツィアだから、あと半時間もあればそっちに着く」
 そうか、という、ややホッとしたような声色になったのに、こっそり苦笑すれば、
だがそれは向こうにも聞こえてしまっていたようで。
 何を笑っているのかと聞かれ、そうじゃない何でもないと慌てて否定する。
 この、相棒は。
 かつての相棒よりセクシャルな意味に置いて実はずっと嫉妬深いというのを、身に
しみて知ってしまったから、無事に清々しい朝を迎えたければ、特にこうして別行動
をしている間は、些細な火種も起こさないに限る。
「あ、もうあとちょっとで船着き場だ」
 そう実況すると、ならば15分もあれば帰れるなと言ってくるのに、何だよそんなに
早く俺に会いたいのかよー、と悪戯っぽく返してやれば、そうだと素で応えられて、
こっちが赤面する。
「っ、ラーイーカー・・・」
『早く戻って来い、・・・ホットチョコレートを用意しておいてやる』
「・・・・・りょーかい」
 ホットチョコ、なんて。
 甘いものが苦手で、匂いだけで気が遠くなるような奴が。
 無理しちゃって、と思いつつも、やはり嬉しくて口元が弛む。
「じゃ、すぐに戻るから!」
 本人に全く自覚はないものの、傍から見ればふんわりと甘ったるげな笑みを浮かべ
つつ、携帯を切る。そして、少しずつ近付いてくる船着場を眺めていると。
「・・・・・あれ?」
 こちらに手を振る小さな人影は。
「っ、カレルーーーーーーーーー!?」
 満面の笑顔でブンブンと手を振ってくるその子供をしっかりと認識して、カイトは
素っ頓狂な声をヴェネツィアの空に響かせた。



「済みません、カイトさん・・・無理言っちゃって・・・」
「いや、別にいいんだけど・・・」
 船着場に降りた途端、待ち詫びていたようにカレルが駆け寄ってきた。そして、
お願いだから少しだけ時間が欲しいんです、僕に付いて来て欲しいんです、でないと
ユーグに叱られちゃうんですー、と懇願されて。まあ少しぐらいなら、とカイトは
カレルに案内されるままに街を歩いていた。
 ユーグに叱られる、といっても彼がカレルにそれほど酷い仕打ちをするとは到底
思えなかったけれど、もし例のお仕置きが待っているのだとしたら、やはりカレルが
気の毒に思えて。
「あれ、キツかったもんなあ・・・」
 日本人であっても、正座はやはり苦手だ。ビリビリと痺れている時もイヤな感覚
だけれど、痺れ切って誰かに触られようものなら声なき悲鳴を上げてしまいそうな
あの感覚も、思い出しただけでうんざりする。
「あ、ここです!」
 カレルの声に意識を戻せば、目の前には可愛らしい佇まいのホテルが建っていて、
そのまま中へと入って行くカレルの後を、カイトも慌てて追う。こじんまりした階段
を2階分上がって、辿り着いた廊下のその奥にある部屋。カレルに続いて開かれた
ドアの中に足を踏み入れると、すぐに窓際に立つ長い髪の青年の姿が視界に入る。
「御苦労だったな、カレル」
「はい、ユーグ。ちゃんと言われたとおり、カイトさんを誘拐してきました」
「・・・・・誘拐?」
 これが誘拐だというのなら、世の中かなり大変だ。
「多少強引にでも連れて来いとは言ったけど、素直に付いてきたみたいじゃない?」
 クスリと笑う貌は、相変わらず何か企んでいるようでいて、でも何を考えているの
か、さっぱり予想がつかない。
「で、カレルを使って俺をここまで呼びつけて・・・一体何の用だよ」
 少しだけ、と懇願されたからおとなしく付いてきたのだ。用が済んだら早々に戻ら
ないと、正座より厄介な事態が待っている。
「ま、取り敢えず・・・お茶でも飲んでよ」
「・・・・・お前がいれたのか?」
 ポットを掲げてみせるユーグに、多少失礼かとは思いつつも、カイトは不審げな
目を向けた。そんなカイトに、ユーグはひょいと肩を竦め、傍らを振り返る。
「ふうん、ちょっとは警戒心ってものが芽生えてきたのかな?ロディオンがいれた
んだけど、別に一服盛ったりはしてないし?」
「・・・・・」
 無言で頷くロディオンは、多分きっと嘘は付いていないだろうけれど。
「カイトさん、・・・僕たちはただカイトさんと久し振りにお茶をしたかっただけ
なんです」
「・・・・・カレル」
 無垢な瞳が見上げてくるのに、カイトの中の猜疑心がちょっとだけ薄れる。少なく
ともカレルに企み事があるようには見えなかったし、それに彼らにはもうカイトに
危害を加える理由なんてないではないか。
「・・・・・じゃ、ちょっとだけ」
「はいっ!」
 カレルに免じて、とばかりに頷けば、嬉しそうに瞳を輝かせるのが可愛らしくて
まあいいか…という気持ちになる。予定より少し帰還は遅れてしまいそうだけれど、
その時はユーグに無理矢理とでも言い訳させて貰うつもりで、促されるままに近くの
ソファに腰を下ろす。
「どうぞ、カイトさん!」
 ユーグによってカップに注がれた紅茶を、カレルが小走りにカイトの元に運んで
来る。それを受け取ろうと、手を伸ばしかけて。
「あ」
「ああっ!」
 まるでスローモーションのように、というのはこういうことを言うんだな、なんて
そんな感想が浮かぶぐらいに、ほんとうに光景はスロー再生の動画のようで。
 だけど、危ないと思った次の瞬間にはもう。
 宙を飛んできたカップに注がれていた熱い紅茶を、カイトは膝の上に思いっきり
かぶっていた。
「う、あ・・・っちーーーーー!」
「ああああっカイトさん!ご、ご、ごめんなさい、僕、僕・・・っ!」
「ち、・・・落ち着けカレル。そいつを押さえ付けてろ」
「な、何・・・」
「説明するより行動するのが早いな」
 やれやれと呆れ顔のユーグがツカツカとカイトの前に歩み寄り、しゃがみ込むと
同時。
「なーーーーーーーーーっ!」
「ああ、やっぱり赤くなってる」
 一気にズボンが引き下ろされ、カイトは今度は情けない悲鳴を上げた。
「・・・ユーグ、これを」
「手際が良いな、ロディオン」
 いつの間に持ってきたのか、ロディオンが差し出した小さなバケツの中には、
冷たい水と氷がなみなみと入っていて、縁にタオルが掛けられていた。
「水膨れになることはないだろうけど、取り敢えずこれで冷やせば・・・・・」
 淡々と呟きながら、ユーグが浸したタオルを絞って太股の赤くなっている部分に
宛てがうのを、こっそり感謝しながら眺めていたカイトは、ショックで半ば涙目に
なっていた視界に飛び込んできたものに、表情を強張らせた。
「ユ、ユーグ!あ、有難うあとは自分で出来るから!」
 自分では、わざとらしくならないように告げたつもりだった。
 けれど。
「・・・・・もう見ちゃったし、イイんじゃない?」
「な、・・・・・」
「あれ? カイトさん・・・お茶零したところ以外にも、何だか・・・赤い点々が
いっぱい・・・・・」
「っ、み、見るなああああっていうか、これは、その・・・・・」
 きょとんとした様子のカレルの言葉に、ユーグはニヤリと口元を吊り上げると、
その赤い点々を指先で突ついた。
「カレル、これはキスマークと言うんだ」
「ーーーーーーーー!」
 さらりと告げたユーグの目の前で、カイトは顔まで真っ赤に染め上げる。
「キス、マーク・・・ですか? でも、ユーグが僕のおでこにキスしても、こんな跡
つかないのに・・・」
「そりゃそうだろうね」
 ふ、と人の悪い笑顔のままで。すっかり固まってしまったカイトの太股をするりと
撫で上げ、その感触にピクリと震えたカイトの視線の先。
 ユーグの顔がスッと伏せられ、それを怪訝に感じる暇もなく。
「や、・・・・・っ」
 チュッ、とあからさまな音を立てて、すぐに離れてはいったけれど。
 唇が触れ、きつく吸われたのだと思しき箇所、以前から付いていたものに並ぶ位置
に、くっきりと残された跡。
「ほら、ね」
「わあ、すごいです・・・っこんな綺麗に跡が付くんですね!」
 カレルが瞳をキラキラと輝かせて太股を覗き込んでくるのにも、カイトはあまりの
出来事に放心したままで。
 だけど。
「ねえ、僕も!僕もやってみて良いですか?」
 興味津々な表情で、ワクワクと弾んだ声が足元で聞こえるに至って、思いっきり
我に返って座っていた椅子ごと引き摺るようにガタガタと後ずさる。
「ダメだ!これ以上は絶対ダメ!アイツに殺される!」
 ブンブンと首をこれでもかというほどに振りつつ、拒否する気持ちを表すカイトの
耳に、クスクスと笑う声が聞こえる。
「ふぅん、ソレつけた奴って相当嫉妬深いんだ」
 俯き加減だった顔を上げれば、意味ありげに笑うユーグの貌が反応を伺うように、
近付けられる。
「そんなに沢山、太股にばかりキスマークつけちゃって・・・そいつ、かなり独占欲
強いっていうかマニアックっていうか・・・変態?ああそれとも、カイトがおねだり
したとか?もっといっぱい、つけてって」
 それが。
「おおおおねだりなんてしてない!ライカが太股フェチなだけで・・・っ・・・!」
 まんまと誘導されての叫びだったことに、気付いた時はもう遅くて。
 またキョトンとした顔のカレルと。
 相変わらず無表情なロディオンと。
 してやったりとばかりにニッコリと笑うユーグを見比べて、カイトは引き攣った
笑顔になる。
「い、今のは違う、から!ナシ!バス!」
 どうか聞き逃していてくれとの願いも空しく。
「ライカ、ね・・・ああ、やっぱりあの男か。で、昨夜は寝かせて貰えなかったんだ
・・・・・可哀想に、カイト」
 ちっとも可哀想だとなんか思ってない顔で告げられて、またカアアと頭に血が上る。
「き、昨日は真っ昼間から押し倒されたから夜は・・・っ・・・・・あああああ!!」
 またしても。
 釣られてしまった自分を、カイトは自分で殴ってしまいたいと心から思った。
「ふぅん、見かけによらずって言うか、あんなクールを装ってて案外ケダモノだな」
 ケダモノなのは否定出来ない、けれど。
「ああああああもう俺、帰る!!!」
 そんな事実はどうでも良くて、それよりもライカと自分の恥ずかしいアレコレを
彼らに知られてしまって、暢気にお茶を続けるなんてこと、出来るはずもなく。
 今すぐ俺に瞬間移動出来る力を下さい、っていうか、ドラグナー化しても無理か
やっぱり、などとグルグルな思考で頭の中をゴチャゴチャにしながら、カイトはまた
涙目で椅子を倒す勢いで駆け出す。
「ま、待って下さい、カイトさーーーーん!」
 ズボン忘れてますよおおおおお、というカレルの声が後を追い掛けて行くのを、
ユーグはクククと笑いながら見送る。
「はー・・・アイツ本当にイイよなあ・・・やっぱ、さっさと既成事実作って強引に
仲間に入れちゃおうかなあ」
 名案だろ、とばかりにロディオンを振り返れば、寡黙な男の耳が見たこともない程
真っ赤になっているのが見えた。




 ホテルの階段を降り切る手前でカレルからズボンを受け取り、挨拶もそこそこに
まさに逃げるようにロビーを突っ切って通りに出る。そこで一旦息をつき、そこから
ダッシュで幽霊船が停泊している場所へと向かう。何だかんだ言いながら、ユーグは
ずっと冷たいタオルを患部に当ててくれていたから、思いっきり走っていても痛みは
もう殆ど感じなかった。
「・・・・・ただいま・・・」
 ぐったりな風情で戻ってきたカイトは、見張りの船員の強張った笑顔と彷徨う視線
の先に、腕を組んで仁王立ちになった男の険しい表情に、回れ右したくなったのを
どうにか踏ん張って堪える。
「ご、ごめん・・・遅くなって・・・・・あのさ、実は・・・」
「来い」
 短く告げるやいなや、カイトの腕が強引に捕らえられ、そのまま引き摺られるよう
にして、改めて専属ヴァリアントとして雇われた際に、ライカとカイトの2人用と
して宛てがわれた部屋へと半ば放り投げるように連れ込まれる。
「ちょ、人の話を聞けって・・・・・」
 乱暴に音を立ててドアを閉めるライカに向き直りカイトが抗議するのにも、いっそ
冷ややかとも思える無表情のままで。
「言い訳なら、ベッドの上で聞いてやる」
「っ、な・・・に・・・・・」
 ベッドという単語に思わず動揺すれば、僅かに眉を顰めたライカがまたカイトの
腕を掴んで、強引に傍らのベッドへと引き倒す。
「っ、・・・・・」
 衝撃に体勢を立て直す余裕もないまま、ギシリとベッドを軋ませつつ乗り上げて
きたライカの手で、一気にズボンが剥ぎ取られた。
「・・・・・何だ、これは」
 羞恥に頭に上りかけた血が、ライカの低い声に一気に下がっていく。

 お、怒ってる・・・怒ってるよ・・・・・

 恐らく、戻ってきた時に不機嫌だったのは、すぐに帰れると連絡してから実際に
帰ってくるまで、随分時間が掛かってしまったことにあったのだろう。
 だけど、今は。
 今のこの、部屋の空気さえも温度を下げたかのように思える、超絶不機嫌さは。
「ラ、ライカ・・・」
「これは俺が付けた跡じゃない」
 やはり、気付かれてしまったのか。ユーグのバカ野郎と心の中で罵倒したところで
現状を変えられるわけでもなく。
「な・・・何言ってんだ、お前が昨日つけたんだろ全部!お前以外にこんなことする
奴、いない!」
 と思っていた。ユーグのアレは、当然カイトをからかって愉しみたいがための行為
なのだろうけれど、それをライカに納得して貰えるかはまた別問題で。それでも、
これだけ沢山跡があれば誤魔化しきれるんじゃないかと、ほんの少しだけ期待しても
いたのだ。
「・・・・・こんなところまで」
 つ、とライカの長い指が太股を滑り、脚の付け根を押し上げてくるのに。そんな
まさか、とカイトは焦った。
 相当、焦っていたのだ。
「嘘だろ・・・っ、だってユーグはそんなところまでは・・・っ・・・あ!」
 どうしてこう、自分は迂闊にも程があるんだろう。ここまできて、ライカがそれを
聞き逃してくれるなんて、都合の良いことがあるはずもなく。
「・・・・・あの男か・・・」
 絶対零度のオーラというものがあるのなら、今まさしくライカはそれを纏っている
に違いないと確信出来る程に、無表情だった美貌が浮かべた笑みは壮絶で。そんな
笑顔に見下ろされているカイトは、己の失言に蒼白になるばかりで。
「ち、違・・・何か誤解してる!紅茶が零れて、あいつは冗談で、それで・・・」
 何とか事情を説明して少しでもライカの冷ややかな怒りを和らげようとするけれど
どこからどう話せば良いやら、頭の中は混乱してうまく言葉にならず。
「冗談だろうと本気だろうと、奴が俺のものに触れたことに変わりはない」
 俺のもの、という言葉にキュンとなる乙女心は持ち合わせていないけれど、ライカ
の執着はカイトにとって、時に息苦しくもあり時に心地良くもあり。
 ライカになら、というのが今までもこれからにも、大きな意味を持つというのに。
「取り敢えずは、だ」
 敏感な皮膚をくすぐられて思わず喉を鳴らしてしまえば、氷のようだった笑みが
ほんの少し緩む。
「奴の始末は後でゆっくりするとして、・・・・・まずは、カイト」
「え、・・・・・」
 そのことに、ちょっぴり安堵したのも束の間。
「っ、え・・・う、っあ・・・ちょ、待っ・・・あ、あああ・・・っ」

 性急な手の動きにも、強引なキスにさえも。
 結局は、許して、感じて、受け入れてしまうのは。

「だ、から・・・っ、お前だけ、なのに・・・い・・・・・っ・・・・・」

 ライカだから、なのに。
 何度も何度もそう訴えて、抱かれる腕にしがみついて、また何度も。
 口にしては、ああやはりそうなんだよなと自分でもまた納得するのだ。

 いつもここに、還るのだと。





結局のところ、メロメロなんですよ(どっちも)。