『Thank you for your』



「まあ、それでカイトは沈んだ顔をしていたのですね」
 ミリアムの言葉に、カイトは困惑したように、だがそれを誤魔化すように
曖昧な笑みを浮かべる。
「沈んだ顔、してた・・・かな」
 ゴメン、と謝れば、ミリアムはこちらこそ申し訳ないとでも言うように
小さく首を振る。
「カイトが謝ることはありません。ただ、いつもより少しだけ元気がない
ように見えて、その理由を私が尋ねてしまっただけなのですから」
「うん、でも・・・嫌な話をミリアムに聞かせてしまったし」
 お見舞いに来て、本当なら楽しい話題でミリアムに笑って貰って、元気を
分けてあげられたらと思っていたというのに。
「いいえ、ステキなお話でしたよ」
「・・・・・は?」
 ミリアムが促すのに、カイトはここを訪ねる前に起こったことを話して
聞かせた。ありのままに、だけどもしかしたら途中からは感情的に、恐らく
愚痴っぽく語ってしまったのではないだろうか。
 なのに、ミリアムは。
 ステキな話だなんて、そんな訳ないというのに、どうして。
「ライカって、嫌な奴だろ・・・?」
「カイトは、さっき聞かせてくれたお話の中で、そう言っていましたね」
 今日はどんな厄日かとカレンダーを睨み付けたくなるくらい、朝からもう
何度も船内のありとあらゆる階段で躓いて転げ落ちそうになった。だけど、
その度に何故かライカがたまたま近くにいて、真っ逆さまに転落の惨事は
免れたのだが、取り敢えず一応礼は言っておくべきかなとカイトが口を開き
かける前に、ライカが深々と溜め息をつきつつ言うのだ。

 注意力散漫だ。
 お前は無防備過ぎる。
 目が離せなくて困る。
 -----云々。

 いかにも呆れ果てた、といったその口調と態度に、礼をという気持ちは
キレイサッパリ消え失せた。それどころか、イライラムカムカが一気に募り、
その沸点のままカイトはライカに向かって、こう怒鳴りつけたのだ。

 お前なんか嫌いだ、と。

「俺、ライカに嫌いだって言ったの・・・・・今日だけじゃないんだ」
「ええ、そうでしたね」
 柔らかな、慈しむような微笑に、頑なな何かがホロホロと崩されていく
ような感覚。
「嫌いだと言ってしまった自分も嫌な奴なんだと・・・そう言ってカイトは
とても寂しそうな顔をしていました」
「寂しい・・・?そうじゃない、そんな・・・はずない。・・・でも、俺
・・・・・ライカのこと、・・・・・」
 嫌いなんだ、と。知らず、俯き加減になってしまえば、力なく垂らした
手に、ミリアムのそれがそっと触れ、繊細な指に優しく包み込まれる。
「嫌いだ、と。そう言うカイトは、だけどちっとも嫌な感じがしません」
「ミリアム・・・」
「負の感情を言葉にしているのに、カイトから感じるのは寂しさと悲しみ、
・・・その方に対する憤りはあるのに、だけど憎しみはちっとも感じられ
ません」
 そうではありませんか、と。
 ミリアムの言葉は、断定する訳でも押し付けるでもなく。ただ、カイトの
ささくれ立った心を癒やすように、静かにゆっくりと染み入っていく。
「ライカさんに、いつかちゃんとお会いしたいです」
 ふわりと、ミリアムが微笑う。
「そして、御礼を言いたい・・・・・私の大切なお友達が大怪我をしない
ように、いつも見守っていてくれて有難うございます・・・って」
「ミリアム・・・?」
 御礼、って。
 彼女は、何を言っているんだろう。
 誰が。
 見守っている、だなんて。
「ウソだ・・・」
「カイトが私に聞かせてくれたことは、本当のお話なのでしょう?」
「そ、うだけど・・・っでも・・・・・」
 ライカ、が。
 誰を。
「カイトのお話を聞いていると、ライカさんは心からカイトのことを大事に
思っていて、だからいつも目が離せなくて困っているのだと、私にはそう
感じられたのです」
 カイトのことを。
「・・・・・違う、そんなはず・・・だって、ライカは俺を・・・・・」
 ライカ、が。
 1度でも、嫌いだとかそんな言葉を投げ付けたりしてきただろうか。
 カイトを見つめる瞳に、僅かにでも嫌悪の色が見えたりしただろうか。
「俺、すげーヤな奴なのに・・・・・」
「自己嫌悪してしまうのは、本当にカイトがライカさんを嫌って、あんな
言葉を口にしてしまったのではないから・・・私はそう思います」
 ミリアムの手は、ほんのり暖かい。触れた部分から、自分の中の汚ない
部分が全部浄化されていくようで、それがミリアムの持つ癒しの力のせい
なのか、だとしたら力を使わせてはいけないと思うのだけれど、でもこれ
は多分きっとそういうものじゃない。
 だから、と。
 縋ってしまう自分は、とても弱い人間なんだなと項垂れてしまいそうに
なるのだけれど。
「カイトにとって、きっと・・・ライカさんは特別な人なのですね」
「・・・・・違うよ・・・」
 そうじゃない。
 そんなはず、ないのに。
「少なくとも、ライカさんにとってカイトは特別な人なのだと思います」
「・・・・・どうして」
 ミリアムにそんなことが分かるのか。
 そんな風に優しく笑って、そんなことが言えるのか。
 ミリアム、だから。
 それとも。
 もしかしたら、カイトが気付かずにいるだけなんだろうか。
 階段から落ちそうになって、ああだけどもし大怪我をしたって自分は
死ぬことはない、と。だから大丈夫、だなんて。そんなことを考えていた
カイトを、まるで咎めるかのような目は。それでいて、体勢を崩したカイト
の腕をしっかりと捕えて引き寄せた瞬間に垣間見えたライカの、あのホッと
したような貌は。
「ただ、・・・・・有難うって・・・、言うつもりだったんだ・・・俺、
だけど・・・」
「ええ、きっとお互い不器用で・・・そのタイミングが、ほんの少しずれて
しまったのですよね」
「・・・・・ミリアム、には」
「私は第三者ですから、・・・だから当人同士より、ちょっとだけ物事が
よく見えた、それだけです」
 普段、ふわふわとしていてどこか頼りなげな少女は、だけどちゃんと
色んなものを見て聞いて、その本質を捉えている。
 自分は、当事者だからという理由だけでなく、もしかしたら大事なもの
から目を逸らしてしまっていたのかもしれない。
 見えなかった、こと。
 見ようとしなかった、もの。
「・・・・・まだ、間に合う・・・かな」
「ええ、勿論です」
 キュ、と。
 ミリアムの手が、励ますように勇気づけるようにカイトの手を握る。
「ミリアムを元気付けに来て、俺の方が元気貰っちゃったみたいだ」
「まあ、私はカイトに会えてお話が出来て、それだけで沢山元気を貰って
るんですよ」
 だから、おあいこです。
 その笑顔に、また元気を分け与えられて。
「明日、・・・テレーゼとケーキを作ることになってるんだけど」
「まあ、カイトはケーキを作れるんですか?凄いです・・・いつかカイト
の作ったケーキでお茶会をさせて下さいね」
「うん、今度持ってくるよ・・・あ、それでさ・・・その、そのケーキ
っていうのが、野菜嫌いなサラのために作る、野菜を使ったケーキなんだ。
野菜の持つ甘味を生かして作るから、普通のケーキよりは甘さ控え目で、
・・・だからもしかしたら、甘いもの苦手な奴にでも・・・・・」
「・・・・・きっと喜びますよ」
「そう、だと・・・いいな」
 ふ、と。ほんのり期待混じりな笑みが零れれば。
「ふふ・・・ライカさんがちょっぴり羨ましいです」
「っ、お、俺は別に、ライカのためとか御礼とかなんて・・・!」
「それに、・・・今日のカイトは、何だかとっても可愛いです」
「・・・っ、ミリアム〜・・・」
 くすくすと楽しげに笑う少女に、カイトは耳朶までうっすらと朱に染め
つつも、どこか面映いような、そんな気分にくすぐったげに笑い返して。
「有難う、ミリアム・・・」
「はい、カイト・・・その言葉が、どうかライカさんにも届けられます
ように」
「・・・・・うん」

 明日、ケーキを焼こう。野菜を使った、甘さ控えめのパウンドケーキ。
 勿論それはサラのためにで、だから。
 だけど。
 きっと沢山作り過ぎて、だから。
 アイツにも少しだけ、お裾分けしてやろう。
 甘いものが苦手な奴だから、もしかしたら嫌な顔されるかもしれない
けれど。
 それでも、もし食べてくれたなら。

「伝えるよ、・・・・・ちゃんと」

 有難う、と。
 その一言を。





御礼ならカイトのふともも蜂蜜掛け辺りが最適かと思われます(危険)。
ほんのちょっぴりオフ本で描いたマンガと繋がってたり繋がって
なかったり。←どっちだ