『少年花嫁』


 忘れてないよ。
 あの日の約束。



「王子、おめでとうございます ! 」
「おめでとうございます、殿下 ! 」
「うん、有難う・・・みんな・・・」
 口々に掛けられる言祝ぎに、ファルーシュは白い頬をほんのり朱に
染めて笑顔で応える。
 今日。
 ファルーシュは、16歳の誕生日を迎えた。
 現在の状況が状況ということもあり、それでもどうしても御祝い
したいのだと、リオンがこっさりとルクレティアに相談して。
 その夜、城のみんなを集めての、ささやかな祝いの宴が催された。
「いいのかな、ほんとに・・・どうしよう、凄く嬉しい・・・」
 当人には内緒で準備されていた、サプライズイベント。文字通り
ファルーシュは驚き、そして喜びに瞳を潤ませていた。
「王子様の笑った顔を見られて、私たちも嬉しいの」
 心尽くしの御馳走を次々と父親のレツオウと共にテーブルに運び
つつ、シュンミンがピンクの頬を赤らめる。この場に集まった皆が
それぞれに口元を綻ばせる。
 ゼラセという例外こそいたものの、彼女とてこの日ばかりはきつい
物言いを口にはせず。やや離れたところに佇み、黙ってその様子を
眺めていた。
「みんな、本当に有難う・・・本当に・・・・・」
「お、王子・・・えっと、御馳走・・・そう、美味しいもの沢山頂き
ましょう ! 」
 今にもほろりと涙をこぼしてしまいそうなファルーシュの様子に
慌てたリオンの言葉に、皆が口々に乾杯を叫びグラスを掲げる。
 それに応えて頷き、ファルーシュもやや照れながらそっとグラスを
持ち上げ、淡い琥珀色の飲み物をコクリと飲んだ。
「・・・・・お酒」
「アルコールの極低いものなら差し支えないでしょう?」
 口元に扇をあてつつ、すぐ後ろに控えていた軍師が声をかける。
「うん、・・・でも・・・いいのかな、こんな時に・・・・・」
「こんな時だから、ですよ・・・王子」
 呟いた声に、柔らかな答えが返る。
 こんな時だからこそ、と。
 それにファルーシュは小さく頷いて。小さなお祭り騒ぎの会場と
化した広間を見渡す。
 ふと。
 壁際、やはりグラスを傾けていたカイルと目が合う。
 こっちを。
 見てた、ずっと。
「カ、・・・・・」
「王子様、これ食えよ。旨いぜ」
「あ、・・・うん」
 上機嫌なスバルが湯気の立つ皿を差し出すのに笑い返しつつ、今
視線を交わしたばかりの男の様子を盗み見る。
 ゆるりと口元に浮かべていた笑みが濃くなるのに、目配せで応えて。
 心から自分の誕生日を祝ってくれる仲間達の輪に入り、ひとしきり
笑って、食べて、少しだけお酒も飲んだりして。

 さすがに。
 夜通しの誕生会というわけにもいかないので、日付が替わる前には
宴はお開きとなった。まだ飲み足りない食い足りないという者達は
それぞれの場所に移動し、それ以外の者達は殆どが欠伸を噛み殺し
ながら、宛てがわれている部屋へと戻る。
 宴の主役であったファルーシュも、例外ではなく。
「それでは、おやすみなさい・・・王子」
「うん、おやすみリオン・・・・・有難う」
 心からの感謝を口にすれば、リオンは慌てながらも嬉しそうに
ペコリと頭を下げて踵を返し、王子の前を辞する。
 それをしばし見送って、ファルーシュは浮かべていた笑みを静かに
しまって、そっと開けたドアの中へと身を滑り込ませた。
 とすんとベッドに腰を下ろすと、ややあって軽いノックの音がする。
 返事はせずに立ち上がり、真直ぐ向かったドアをゆっくりと開け
れば、金色の髪が視界に揺れる。
「どうぞ」
「おじゃましまーす」
 促せば、いつもの明るい口調で応えるのに。
 何故だろう、どこか。
 いつもとは違うだなんて、思ってしまうのは。
 さっき、宴が始まった頃、ふと絡み合った視線。
 確かめる、ような。
「・・・・・ああ」
 そうだ。
 それは、今日。
 16になる、この日。
 密やかに、待ち焦がれていたのは。
「・・・・・カイル」
「はい?」
 振り返った瞳は、笑みをたたえながらもどこか探る光。
「あの日」
 約束、したよね。
「この日、に」
 お前は。
「僕、を・・・」
「・・・・・王子」
 す、と。
 伸ばされた手が、知らず強張っていた滑らかな頬を撫でる。
「約束、しましたね」
「・・・・・覚えて、たんだ・・・」
 当たり前でしょ、とカイルは微笑う。
「ずっと、ずーっと・・・待ってたんですから、オレ」
 親指の腹で唇を撫でられ、ひくりと身体を震わせれば、近付く笑み
が深くなる。
「もう、・・・・・待たない」
 耳元、囁かれて。
 きゅっと目を閉じ、ファルーシュはこくりと頷いた。
「カイル、僕を・・・・・」




 第一印象は、金色。
 陽の光を受けて輝く髪が、とても綺麗で。
「・・・・・誰?」
 問えば、しゃがみこんだ相手の顔が、極間近で優しく微笑む。
「貴方の騎士ですよ、王子殿下」
 僕の。
 騎士。
 女王騎士見習いとなったばかりであり、王子の護衛として仕えよとの
任務からであることは、後から知った。
 それでも。
 自分の騎士なのだと告げられて、まだ幼いファルーシュは嬉しかった。
 本当に、嬉しかったのだ。

「ここでしたか、ファルーシュ・・・・・まあ」
「あ、あわわ・・・陛下」
 テラスで並んで日向ぼっこをしていれば、いつしかうとうとと。眠気
に誘われた王子は、ことりとカイルの肩に頭を乗せて。そして、するり
と重力のままに滑り落ちて、膝を枕に寝入ってしまっていた。
 まさしく天使のような寝顔を眺めながら、カイルもひとつ欠伸をした
ところに現れたのは、この国を統べる女王であり、ファルーシュの母
でもあるアルシュタートであった。
 跪いて礼をとろうにも、膝の上にはすやすや眠る王子がいる。
 その様子に、アルシュタートは柔らかく笑んだ。
「そのままで構いません。本当に・・・そなたによく懐いていること。
フェリドが妬いてしまうというのも無理はありません」
「は、はあ・・・」
 それは初耳だった。
 確かに、父親であるフェリドは女王騎士長でもあり多忙故になかなか
可愛い息子と触れ合う時間が作れずにいるのだろうが。
「そなたがいずれ正式に女王騎士となれば、このような時間は少なく
なるでしょう・・・・・ファルーシュも寂しがるかもしれません」
「陛下、オレ・・・いえ私は・・・・・」
「女王騎士が、女王であるわらわより、その子をとりますか?」
「い、いえ・・・そのような」
 ふふ、と微笑む貌は少女のようでもあったが、慈愛に満ちたの眼差し
は、やはり母のものでもあり。
「そなたに慈しまれて・・・この子はとても幸せなのでしょう」
 そうだといい。
 王子が幸せであるなら。
「目が覚めたら、わらわのところに来るようにと」
「は、はい」
 どうにか頭だけは下げ、アルシュタートが立ち去るのを待って顔を
上げる。眠気など、すっかり吹き飛んでしまっていた。
「・・・・・女王騎士、か」
 その名の通り、女王を護る存在であり。
 見習いである自分も、いつか正式に任命される日が来るのだろう。
 そう遠くない未来。
 こうして、王子に膝枕をして微睡んでいられる日は、長くはない。
「それでも、・・・王子」
 この愛おしい存在を。
 護りたいのだと。
 そっと額に掛かる銀色の髪を梳けば、ふわりと。
 何か楽しい夢でも見ているのだろうか、ファルーシュの唇が笑みを
描くのに。
 その柔らかな唇に触れてみたい、と。
 ふと過った邪な想いを打ち消すように首を振り、カイルはそっと
溜息をついた。

 それから数日後。
 ある事件が起きた。
 市中で一杯ひっかけたまま太陽宮にやってきたらしい貴族の男が、
あろうことかひとり庭に出ようとしていた王子に乱暴を働こうとして
すぐ後を追って来ていた護衛に取り押さえられたのである。
「貴様・・・っよくも、オレの王子に・・・ ! 」
「カイル殿、それ以上はダメですう ! 」
 タイミング良く騒ぎを聞き付けて駆け付けたミアキスに制止され
なければ、この狼藉者を殴り殺してしたか。
 それとも。
「このお馬鹿さんな輩の処置はフェリド様にお任せするとして・・・
カイル殿はそこでプルプルしている子ウサギちゃんを御部屋に連れて
行って下さると助かりますう〜」
 その言葉に。
 ハッとして振り返れば、青ざめた顔をして震えている王子の姿が
あって。
「あ、・・・・・」
 王子に掴み掛かろうとしていた男を捻り上げて、腹に1発食らわせ
たところまでは覚えている。
 それからは。
「お、王子・・・」
 何度も何度も。
 男がぐったりしても殴り続ける自分を見ていたのだろう。
 怖がらせてしまった。
 自分、が。
「王子〜、カイル殿と御部屋に戻ってて下さいね〜」
「・・・・・うん」
 ミアキスに促され、やっと差し伸べた手をとってくれたことに心の
底から安堵して。小さな手を引き、ファルーシュの自室へと連れて
いく。
「・・・・・えっと、入っても・・・」
「どうぞ?」
 このまま一緒にいてもいいものかとドアの前で躊躇えば、もう幾分
落ち着いたのか、怯えたような気配もなく促されるのに。
 ゆっくりと中に足を踏み入れ、静かにドアを閉めた。
「・・・・・申し訳ありませんでした、王子・・・ ! 」
 頭を垂れるだけでは足りず、かばりとその場に這いつくばる。
 自分のせいで怖い思いをさせてしまったのだ。土下座ぐらいで赦さ
れるのなら、いくらでも床に額を擦り付けよう。
「どうして謝るの・・・?」
 怪訝そうな声がして。
 そろりと顔を上げれば、カイルの前に膝をつき、首を傾げながら覗き
込んでくる大きな瞳とぶつかって。
「カイルは、僕を助けてくれたのに・・・どうして?」
 だけど。
「だけど、王子・・・あんなに震えて・・・オレが怖がらせて」
「・・・・・怖く、ないよ?」
 床についた手に、王子のそれがそっと重なる。
「ちょっと、びっくりしただけ・・・・・カイル、あんな風に怒るん
だなって・・・」
 ああやはり怯えさせてしまったんじゃないか。
「す、済みません・・・」
「だから、どうして謝るんだよ」
 きゅ、と。
 握ってくる、白い小さな手。
「僕のため、でしょう?」
 覗き込んでくる、無垢な瞳。
 この穢れなき存在を護りたくて。
 それと同じだけ。
 自分は。
「・・・・・王子」
「あのね、・・・父上は母上の守護闘神なんだって」
 フェリドは10年前に行われた闘神祭に勝ち抜き、アルシュタートの
夫となった。まさに闘神と呼ぶに相応しい勝利であったと、ガレオン
から聞いたことがある。
 それを今、何故。
「守護闘神になって、母上をお嫁さんにしたんだって」
 慈しみ深い両親から聞かされたお伽話を語るように。
 王子の瞳は、キラキラと輝いて。
「・・・・・いいなあ、って思った」
 真直ぐに。
 カイルを見つめている。
「カイル・・・、カイルは、僕を護ってくれるんだよね」
「・・・・・お護りします」
 どんなことがあっても。
 始めて会った日に、そう心に誓った。
「僕の・・・守護闘神になってくれる・・・?」
「・・・・・え」
 それは。
 どういう意味。
「王子の僕は、闘神祭で結婚相手を決めたりはしないけど。だから
お願いしてもいい?」
「王子、それは」
「ねえ、カイル・・・お願い。僕の守護闘神になって」
 夢のような言葉を紡ぐ唇から目が離せない。
 これは。
 夢、なんだろうか。
「僕を・・・カイルのお嫁さんにして」
 夢、ではないのなら。
「・・・・・っ、王子」
 どうかこのまま、ずっと。
 離さない、から。
 衝動的に抱きしめた腕に力を込めれば、すりすりと甘えるように
ファルーシュの頭が肩口に擦り付けられる。
「王子・・・どういう意味か分かってて・・・言ってます?」
「分かってるよ」
 否、おそらく半分も分かっていないのだろうと思う。
 自分に懸想している男に向かって「お嫁さんにして」だなんて。
 このままベッドに押し倒さなかった己のなけなしの理性を褒めて
やりたいとさえ思うのに。
「カイルのお嫁さんになって、ずっとずーっと一緒にいる」
 ほら。
 そんな幼い夢を語って。
「お嫁さんは・・・ずっと一緒にいるだけじゃないんですよ」
「・・・・・え」
 罪作りな。
 可愛い可愛い王子殿下。
「王子がびっくりするくらい、凄いこと・・・するんですよ」
「・・・・・そう、なの?」
 逃げ出すなら。
 今の内、なんて。
「どうします?」
 言ってなんて。
 やらない。
「・・・・・カイルなら、いいよ?」
 捕まえた、と感じた。
 捕らえられた、と感じた。
「・・・嬉しいです」
「じゃあ、お嫁さんにしてくれるの?」
 無邪気な子供の純粋な想いに。
 絡めとられて。
「喜んで。ああでも、本当のお嫁さんになるには、王子はまだ子供
ですからねー」
「子供じゃダメなの?」
 途端、しゅんとしてしまった王子を宥めるように、そっと滑らか
な頬に口付ければ、くすぐったそうに笑いながら身を捩る仕草に
さえ、そそられている自分に苦笑しつつ。
「そうですね・・・王子が16歳になったら」
「・・・・・そんなに先なの?」
「待てませんか?」
「・・・・・カイルは、ちゃんと待っててくれる?」
「勿論ですよー」
 時間を。
 あげる。
 その意味を。
 思い知って。
「じゃあ、・・・・・僕が16になったら、カイルのお嫁さんに
してね」
「・・・・・楽しみに待ってますよ」
「うん」
 僕も楽しみ、と。
 ぎゅうぎゅう抱きついてくる細い身体を、そっと抱え上げる。
「そろそろ、お昼寝の時間ですよー王子」
「えー・・・」
 未来の花嫁を、丁重にベッドへと下ろして。
「添い寝してあげてもいいですよー」
「・・・・・そんな子供じゃないもん」
 まだ子供だと言い聞かせなきゃ。
 どうなるか分かったもんじゃないというのに。
「王子が眠るまで、お側にいますから」
「・・・・・寝ちゃったら、いなくなる?」
「お目覚めのキスを御所望ですかー?」
 ちょっぴり、からかうように言えば。
「・・・・・うん」
 微かに頬を染めて。
 小さく頷くから。
「じゃあ、・・・・・おやすみのキスもしておきましょう」
 掠めるように。
 初めて触れた唇は、酷く甘美で。
「・・・・・フェリド様やアルシュタート様にはナイショですよ」
「・・・ん・・・」
 知れたら、大変なことになるだろう。
 それでも。
 もう、離す気なんてない。
「・・・おやすみ、カイル」
「おやすみなさい、・・・オレの王子」
 囁けば。
 幸せそうな微笑みがいっぱいに広がった。





「僕を、カイルのお嫁さんにして」
 あの日。
 幼い王子が口にしたのと同じ響きで。
「・・・・・どういう意味か、もう分かってますよね」
 確認するのに、王子がふわりと頬を朱に染める。
「僕がびっくりするくらい・・・凄いこと、するんでしょ?」
「・・・・・しますよ」
 待ち焦がれた年月。
 その想いの重さに驚かれてしまったとしても。
「カイルになら、・・・いいよ」
 ふわりと預けてくる身体を抱き締める。
 あの頃とは違って、背も伸びて身体もそれなりに筋肉をつけて。
 だけど。
「・・・・・オレの、王子」
 可愛い。
 無垢な花嫁。
 あの時のように、恭しく抱き上げて。
 ベッドに横たえ、そのまま唇を重ねる。
「寝ちゃダメですよー」
「・・・・・眠らせてくれるの?」
 くすりと笑う唇を、今度は荒々しく塞いで。
 オトナのキスを教えてあげよう。
 それから。
 初めての夜の。





あ、エロ入らなかった(ヲイ)。
いいなあお嫁さんに欲しいなあ。