『カワイイヒト』


 そういえば、以前王子から聞かされたことがあった。
 とてもステキな人に会ったんだよ、と。


「どなたをお連れになりますか」
 ジーンからの誘いで再び大穴奥の遺跡を訪れるのだという王子に
同行メンバーの呼び出しを任されているルセリナが凛とした声で
問うのに、もう少し笑顔を見せてくれると嬉しいんだけどな・・・
と、こっそりと思いつつ。ファルーシュは、んーと考え込むように
細い顎に人さし指を宛てて、ぽつぽつと名前を告げた。
「ジーンさんは絶対として、あとは・・・ベルクートとリヒャルト
とゼガイとゼラセさんとキャザリーさん、それとエグバートさんに
来てもらおうかな。-----以上」
「・・・っ何ですか、それー!?」
 これで完璧、とばかりに王子がうんうんと頷き、ルセリナがそれ
に従い、各々を呼び集めようとした刹那、ホールに響く情けない声
が、ひとつ。
「どういうことですか、どうしてオレだけ除け者なんですかー!?」
「うるさいよ、カイル」
 少し離れたところから様子を伺っていたらしい金髪の女王騎士が
駆け寄り、取りすがろうとするのを一瞥すると、改めてルセリナに
向き直り、にっこり笑いながら「コレはほっといて良いから、召集
宜しく」と告げれば、白い少女の頬がふわりと薄紅に染まる。
「は、はい・・・しばらくお待ち下さい、すぐに」
 彼女があの父親の思惑とは別の所で王子に淡い恋心を寄せている
ことなんて、多分知らないのは当人ぐらいのもので。
 まさしく花も綻ぶ笑顔で少女の鼓動を高鳴らせた王子の横顔を、
カイルは恨めしそうに見つめる。
 やがて。
 わらわらと集まって来たメンバーの中、茶色の髪を無造作に後ろ
で結わえた剣士が、王子の顔を見て柔らかな笑みを浮かべる。
「お供させて頂けて光栄です、殿下」
「うん、宜しくねベルクート」
 見上げるその眼差しには、絶対ともいえる信頼の色。
 受け止める瞳には、揺るぎない忠誠と、そして。

 面白く、ない。

 分かっているんだろうか。
 知っているんだろうか。
 あの男が。
 あの男は。
 どんな瞳で、王子を見つめているのか。
 分かっていて。
 王子は。

「ベルクート殿ー」
 努めて。
 いつものように明るい口調で、王子と微笑み合う男に声をかける。
「ああ、カイル殿も御一緒とは心強いです」
 人の気も知らないで。
 そんな風に笑いかけて来るなんて、と苦い思いを隠しつつ。
「残念ー、オレは御留守番なんですよー」
 そう。
 王子は自分を連れて行ってはくれない。
 傍で。
 お護りしますよ、と誓ったのに。
「だからね、ベルクート殿-----」
「っ、カイル」
 きっと張り付いた笑顔をしている。
 それに気付いたらしい王子が、不審げに呼ぶのに。
「代わってくれませんかー、オレと」
「え、・・・・・」
 にこやかに笑ったまま告げれば。
 王子と、そしてベルクートの表情が強張って。
「それは、・・・・・出来ません」
 王子が何か言いかけて、だけどそれより先にベルクートが戸惑い
ながらも、きっぱりと言ってのける。
「私はこの剣を殿下に捧げ、この剣にかけて殿下をお護りしお助け
すると誓ったのです。殿下が私の力を必要となさっているのならば
私はそれに従うまでです」
「・・・・・そう、でしたねー」
「カイル殿が殿下を心配するお気持ちは理解出来ますが、どうか
今回は私・・・たちにお任せ下さい」
 そう。
 この男はその身に代えても王子を全力で護り通すのだろう。
 だけど。
「そういうことじゃ、ないんだけどなー」
 分かって、ない。
 分かって、たまるか。
 目を細め、変わらず笑みをたたえたまま、カイルはベルクートと
対峙する。
 ルセリナにより召集されていた面々は、何も言わずにその場に
待機している。ただ、ゼラセだけは小さく冷ややかに「愚かな」と
呟いたのが聞こえた。
「・・・・・いい加減にしろ、カイル」
 微かな溜息。
 そして、王子がゆっくりと2人の間に割って立つ。
「お前は連れて行かない」
 一言。
 真直ぐにカイルを見つめ、そう言いおくと、待たせていた面々に
促すように頷き、少し離れたところからキョトンとした表情で小首
を傾げつつ見守っていたビッキーに、テレポートの依頼をする。
「・・・・・可愛いわね」
 ふ、と。
 やや俯き加減に佇んでいたカイルの傍らを擦れ違い様に、甘く
笑いを含んだ囁きが届いて。
「え、・・・・・」
「あなたも、・・・王子様もね」
 艶やかに微笑んで、美貌の紋章師が足音もなく歩み去るのに。
 慌てて振り返った先、こちらを見ていたらしい王子の瞳が僅かに
揺れるのを、捉えて。
 それを確かめる暇すらなく、その姿はテレポート魔法によって、
遠く飛ばされてしまってからも、しばらくの間。
 カイルはその場に、半ば放心したように立ち尽くしていた。


「カイルと何を話していたんですか」
 ビッキーに飛ばしてもらった地点から大穴までの道中、すぐ後ろ
を歩くジーンに、囁くような声で問うてみれば。
「うふふ・・・内緒よ」
 意味ありげに艶かしく微笑まれ、王子は一瞬表情を固くして。
 形の良い小さな唇をキュッと噛み締めながら、何かに急かされる
ように、その歩調を速めた。
「坊やたちを見ていると楽しいわ・・・とても」
 頑なな背に、ジーンが吐息混じりに呟いた言葉は、草原の風に
掻き消されて届くことはなかった。



 夜の帷が降りる前、既に気配を感じてか待ちかねた様子のビッキー
の前に、幾つもの影が瞬時に現れる。
「おかえりなさーい」
「うん、ただいま」
 大穴の奥の遺跡の探索より帰還した面々、その中に出掛ける前には
いなかった顔ぶれに、あれれ?と小首を傾げれば。
「エレシュと申します。王子殿下のお手伝いをさせて頂くことになり
ました。宜しく御願い致します」
 深々と頭を下げる小さな姿に、ビッキーもこちらこそーと笑いなが
ら、ペコリと御辞儀をする。
 その光景を微笑ましく眺めながら、王子は探索に連れ出した者達に
労いの言葉をかけた。
「今日は有難う。色々と収穫もあったし、本当に助かった」
 それに様々な反応を示しながら、それぞれが立ち去って行く。
それなりの長丁場でもあったし、風呂で汗を流す者も多いだろう。
「じゃあ、僕達もお風呂行こうか、ベルクート」
 まだその場に留まっていた剣士に微笑みかけ、誘うのに。
「は、いえ・・・その・・・・・こ、光栄です」
「うん」
 いつも。
 こんな風に誘うと、自分などがと誇示しては王子に言い含められ
ては結局頷くしかないベルクートも、ようやくそれが無駄だと理解
したのか、はたまた諦めたのか。
 ようやく素直に頷くのに、王子が上機嫌で腕を絡めようとすれば。
「・・・・・あら、あの坊やはいないのね」
 何げなく呟かれた言葉に、王子の貌が微かに強張る。
「良い子で王子様を待ってるかと思ったんだけれど・・・どうした
のかしらね。置いて行かれて、拗ねてしまったのかしら・・・」
「・・・・・ジーンさん」
 それ、が。
 誰の事を言ってるのかなんて、聞くまでもなく。
「僕にどうしろっていうんですか」
「あら・・・私はただ独り言を呟いていただけよ」
 うふふ、と。
 妖艶でいて、つかみ所のない微笑みが返されるのに。
「・・・・・バカ」
「は?」
 ぽつり、と。
 王子の漏らした声に、ベルクートがやや驚いたように聞き返せば。
「ゴメン、お風呂また今度一緒しよう」
「・・・・・はい」
 謝りながら駆け出した背を、ベルクートは苦笑混じりに見送る。
「ごめんなさいね」
「・・・何がですか?」
「いいえ。あなたもとても可愛いのね、と思って」
「・・・・・はあ」
 その後、一緒に風呂にとジーンに誘われたベルクートが真っ赤に
なって逃げ出したとか、どうとか。



「・・・・・・お帰りなさい」
 探す当てがあったわけじゃない。
 けど、部屋に戻ってみれば、主の留守だというのにそのベッドに
深々と腰を下ろし、何やら疲れたように笑う顔があったのに、ふと
溜息を漏らせば。
「お疲れのようですねー」
「・・・まあね」
「でも楽しかったんでしょー?」
「・・・・・そうだ、って言って欲しいのか」
 返せば。
 まるで泣きたいのを堪えているような、どこか歪んだ笑いが浮か
ぶのに。
 どうして。
 そんな表情を向けられなければいけないのか分からない。
「あの人、大活躍でした?」
「・・・・・誰」
「オレじゃなくて、あの人を連れてくくらいですもんね。当然か」
「カイル、お前・・・・・」
 明らかに。
 それは、いっそあからさまに。
「置いて行ったのが不服か」
 問えば、ゆるゆるとそれを否定して首が振られる。
「・・・・・ベルクートを連れて行ったことが気に入らないのか」
 一瞬。
 考え込んだように見えて、やがてまた同じように首が振られる。
「・・・聞いて、良いですか」
「・・・何」
「理由、聞かせてくれませんか・・・オレじゃダメで、あの人なら
イイ・・・その訳を」
「・・・・・何だよ、それ・・・」
 一体いいつ。
 カイルがダメで。
 ベルクートならイイ、なんて。
「いつ、僕がそんなこと言った」
「だって、そういうことでしょ?」
「どう、・・・・・」
 訳が分からなくて、問いつめるように一歩踏み出せば、その腕を
捕らえようとしてカイルの手が伸ばされるのを。
 躱して、それを。
 逃がさない、とでも言うように。
 掴まれて。
 ぐ、と引き寄せられれば。
「っ、・・・・・」
 その勢いのまま。
 倒れ込んだ胸の中、きつく。
 抱き竦められて息が詰まる。
「あの人が強いことも優しいことも知ってますよ・・・だって王子
が、いつも嬉しそうに話してくれるんですから」
 そう、だっただろうか。
 身を捩りながら、思いを巡らせていれば。
「いつも・・・嬉しそうに話し掛けてるの、見てるんですから」
 そう、なんだろうか。
 それは、いけないことなんだろうか。
「そんな王子を見てるのはイヤなのに、でもオレの知らないところで
そんな風に無防備に微笑んでる王子は・・・もっとイヤなんだ」
「・・・・・カイル」
 そんな風に。
 震える声で告げないで。
「イヤ、なんです・・・だから・・・一緒に行きたかったのに」
 駄々を捏ねているに等しい言葉なのに。
 胸の奥が引き絞られそうに感じるのは、どうしてなんだろう。
「今日に限って・・・オレだけ置いてくなんて・・・・・」
 ギュ、と。
 また強く、抱きしめられる。
 息苦しいのは、その腕の強さのせいだけじゃない。
「・・・・・今回は・・・連れて行きたくなかった」
 溜息混じりに呟けば、カイルの身体がピクリと震える。
 取り巻く空気が、急に温度を下げたような気さえして。
「お前だけは・・・連れて行きたくなかったんだ」
「っ、・・・・・」
 ビリリ、と。
 怒りとも悲しみともつかない気配が、触れ合ったところから皮膚を
突き破って来るようで。
 喘ぐように呼吸をして、掠れた声で。
 すぐ側にある、カイルの耳元。
 告げるつもりは、なかった言葉。
「ジーンさんが、・・・いたから・・・っ・・・・・」
 隠しておきたかった。
 それを。
「な、・・・・・に」
 聞いて、カイルの腕の力がふと弛む。
 肩口に押し付けられる形になっていた顔を、どうにか上げて。
 呆然と見下ろす瞳を、真直ぐに覗き込む。
「だって・・・・・ソルファレナにいた頃から、カイルは・・・・・」
 凄い美人な紋章師がいるらしいと。
 それはそれは嬉しそうに、会いに行ってみようと誘った。
 あの時の浮かれっぷりを、忘れてやしない。
「え・・・えっ、と・・・・・」
 話がまだ整理出来ていないのか、困惑する顔がちょっと間抜けかも
しれないなどと、こっそり思いつつ。綺麗な眉を顰めながら、ぽつり
ぽつりと王子は続ける。
「元々、カイルは綺麗な女の人が大好きだし、ジーンさんのことも
凄く気にしてたみたいだし、だから」
「あの、王子・・・・・」
「・・・っ僕が一緒にいるのに・・・ジーンさんにデレデレしてる
カイルなんか、見たく・・・なかった・・・・・」
 ああ。
 言ってしまった。
 絶対に絶対に言わないでおこうと決めていたのに。
 知られずに済めばイイと思ってた、のに。
「えっと・・・あのー・・・王子、それって」
「言うな」
「いや、でも・・・そうなんですよね、王子」
「黙れって」
「妬いて・・・くれてたんですよね」
「ああああもう ! 」
 黙れと言っているのに、この口は。
 そうも、はっきりきっぱり言ってくれてしまうなんて。
「ヤキモ・・・、っ・・・・・」
 段々と嬉しそうに弾んだ声で。
 聞いていられなくて、だから。
「・・・・・ん」
 だからって。
「・・・・・ ! 」
 何も、こんなカタチで口を塞ぐことなかったんじゃないか、って。
我に返っても、もう時既に遅しで。
「や、っん・・・・・」
 思いっきり相手の口に押し付けただけの、それは。
 ふわりと笑みの形に綻んだ唇に捕らえられ、絡め取られて。
「っ・・・は、離し・・・」
「イヤですよー・・・せっかく、王子からキスしてくれたのにー」
 角度を変えて、何度も。深く深く。
 静かな部屋に響く濡れた音に、耳を塞ぎたくてならなかったけれど。
「・・・・・嬉しい、王子・・・」
 甘く。
 掠れた声で耳朶に囁く声。
 ついでのように耳を舐めていく舌の熱さに身を震わせれば。
「嬉しい・・・大好き・・・王子・・・オレの王子・・・・・」
 熱っぽく囁きながら、いつしか取り去られたスカーフの下、覗いた
首筋に幾つも口付けを落とされて、きつく吸われて。
「っあ、・・・汗かいてる・・・から、待っ・・・・・」
「これからもっと汗かくことするんだから大丈夫ですよー」
「理由になってな、・・・・・ん・・・っ・・・・・」
 性急なキスを繰り返すくせに、身体はふわりとベッドに横たえ
られて、のしかかる重みに小さく喘ぐ。
「わ、かった・・・から、だから・・・」
 逃げたりしないから。
 だから。
「カイルも・・・もう、ベルクートにヤキモチ、は・・・」
「んー、それは分かんないなー」
「カイルっ」
「だってー」
 オレの王子は。
 可愛くて可愛くて。
 どうしようもなく可愛いから。
「だから、オレをずっと側に置いて下さいね」
 こつり、と。
 額を突き合わせて告げる。
 請う。
「・・・・・うん」
 困ったように、それでもふわりと頬を染めて微笑って頷く貌に
惹き寄せられるように、唇を重ねて。
「ここホント防音バッチリですから、今夜も可愛い声いーっぱい
聞かせて下さいねー」
 なんて嬉々として言っては小突かれてみたりして。

 そんな。
 夜の始まり。




お互いヤキモチさん。ベルクートさん可哀想。