『admire』


「メリークリスマス、飛鳥」
「は、・・・・・え」
 戸口に近付いてくるその馴染んだ気配に、お帰りなさいと声をかけたくて、
けだるい身体をどうにか寝具の上に起こして顔を向けた、さの視線の先。
 最初に目に飛び込んできたのは、かの人ではなくキラキラとした。
「・・・・・ツリー・・・?」
 呆然として呟けば、そのグリーンに色とりどりの装飾を施したやや小振りな
クリスマスツリーの向こうから、どこか無邪気な笑顔が覗く。
「ああ、ギリギリ間に合ったな」
 今夜はイブだそうだ、と。街に買い出しに出掛けていた九条がツリーを抱え
ながら、寝具の上に身を起こした飛鳥の傍らに歩み寄る。
「食欲はあるか?一応、チキンも買ってきた・・・ケーキも」
 赤と白とグリーンでコーディネイトされた大きな紙袋に、それらしき箱が
見えて、飛鳥はフワリと口元を綻ばせる。ここ数日、粥ぐらいしか口にして
いなかったから、大量の油物は厳しいだろうけれど、少しずつなら。
「はい、頂きます・・・綾人さんに殆ど押し付けちゃうかもしれませんけど」
「そんなことは心配せずに、食べられそうなだけ食べればいいさ」
 やや申し訳なさそうに告げれば、苦笑混じりの顔が近付き、コツンと額を
押し当てられる。ずっと外を歩いてきたからだろう、まだ触れる額もそっと
頭を撫でた手も冷たくて、だけどそれがまだ微熱を帯びた肌には心地良かった。
「ん、・・・熱はだいぶ下がってきたようだな」
「さっき計ったら、7度と少しでした」
「そうか。これを食べたら、薬を忘れずにな」
 甲斐甲斐しく枕元の薬箱を探る様に、口元が自然と綻ぶ。数日前から風邪を
引き込んでしまって、殆ど起きられずに九条にはあれこれと世話を焼かれて
しまい、申し訳ないやら気恥ずかしいやらで、でも久し振りに出した高い熱が
遠慮の感情を押し込めていたこともあって、ほぼされるがままに手厚い看護を
受けていた。ぐったりと身を任せる飛鳥を案じながらも、その様子はどこか
楽しげにも見えたのだけれど。
「移動するのは面倒だから、ここで食っちまおうか」
「お行儀悪いけど、そうして貰えると有り難いです」
 ならば、と九条は立ち上がり、鼻唄混じりに部屋を出て、やがて取り分ける
皿やらグラスやらを手に戻ってきた。
「ケーキ、これぐらいで良いか?」
「はい」
 やや小さめに切り分けられたブッシュドノエルを乗せた皿を受け取る。その
名の通り、切り株を模したクリスマス仕様のケーキは、見ているだけでも気分
が明るくなる。
「風邪にはビタミンCが良いらしいから、これにした」
 本来ならシャンパンを用意するところなのだろうが、飛鳥の体調を考慮して
九条が選んできたのは、オレンジ果汁100%のジュース。グラスに注がれると
爽やかな柑橘系の香りが鼻先を掠めたる
「美味しそう、です」
「ああ、じゃ・・・取り敢えず、乾杯しておくか」
 グラスを掲げて、九条が笑う。
「・・・・・クリスマス、に?」
「クリスマスを、俺と飛鳥が共に過ごせることに」
 乾杯、と。チン、とグラスを合わせて、すぐさまゴクゴクとジュースを飲み
干す様子に、ああずっと歩いてきて喉が渇いてたんだなと、そんなことを考え
ながらも、次第に頬が火照ってくるのを感じる。
「・・・飛鳥?」
 オレンジジュースを一気に飲み干して、プハーと一息ついた九条が、怪訝
そうにグラスを両手に抱えたままの飛鳥を見つめる。
「え、あ・・・か、かんぱ、い・・・」
 気恥ずかしさを誤魔化すように、グラスに口を付けてジュースを口に含む。
程良い酸味と甘さが広がって、熱を持った口の中をじんわりと冷やしていく。
「・・・美味しい」
 半分ほど飲んだところで、フーと息をついて、視線を上げると。
「・・・・・あ」
 綾人、さん。
 呟いた声は、半ば吐息混じりでちゃんと音にはならなくて。
 しかも、その大半はゆっくりと近付いてきた唇に飲み込まれてしまった。
「・・・・・オレンジの味がする」
 それはお互い様でしょう、と。近付いてきたのと同じようにゆっくりと
離れていった唇が、そう言って笑うのに返してやれば、それもそうだとまた
笑ったまま、今度は頬を掠めるように吐息が触れる。
「ずっと、・・・・・憧れていたんだ」
「・・・・・え?」
 フワリと包み込むように抱きしめられて、耳元に囁かれた言葉。
「郷には、クリスマスをどうこうという風習はなかったからな。伝え聞いた
クリスマスの定番行事とやらに、子供心に憧れていた」
 あの閉鎖された土地では、それは無理もないこと。町中がクリスマス一色
に染まる光景を見たくて、だけどそれは熱が出てしまったせいで飛鳥は叶わ
なかったのだけれど、九条が用意してくれたツリーや御馳走があれば、もう
それだけで心は満たされていた。
 それに。
「ツリーやケーキや御馳走は、もしかしたら郷にいたって手に入ったのかも
しれないが、・・・・・そんなものより、俺はもっとずっと欲しくて手に
入れたくて憧れていたものがあった」
 それは。
「・・・・・恋人と呼べる、大切な人と・・・過ごすことに。ずっと憧れて
いたんだよ、飛鳥」
 それが。
「ようやく、・・・・・叶った」
 抱きしめる腕に力が込められる。九条の言ったことをフワフワと頼りない
思考が理解する前に、それに応えるように飛鳥も縋り付く手に力を込める。
「綾人、さ・・・ん」
「勿論、クリスマスだけじゃない、・・・ずっとだ、飛鳥」
 これからも。
 ずっと、と。
「約束は、・・・要らないです」
 それが容易く破られてしまうことを、知っているから。
 だけど。
「言葉より、ただ・・・貴方がいればいい」
 愛を囁く言葉は、その身をどうしようもなく震わせるけれど、それよりも
もっと確かなもので、と。
「・・・・・無念だ、飛鳥・・・」
 囁けば、耳朶を柔らかく噛んでいた九条の唇から、盛大な溜息が零れる。
「飛鳥が堪らなく可愛いのに、今すぐ抱けないなんて・・・」
 まだ風邪が治り切らない恋人の身体を気遣っての泣き言に、飛鳥は小さく
吹き出す。
「良いですよ、しても」
「本当か!? あ、いや・・・だが、しかし・・・・・」
 迷っている。グラグラしている。我慢我慢と念じる心の声が聞こえるよう
で、くすぐったくも可笑しくて。
「欲しい、・・・綾人さん」

 それが、とどめ。

 覆い被さる身体、その広い背を掻き抱きながら、飛鳥は小さく微笑んだ。






ああああああ悪魔・・・小悪魔・・・!!
ロマンチストな綾人。意外と現実的(?)な飛鳥。