『呼ぶ声』



 あなたの生きてる証が欲しい
 あなたのものだという証を
 消してしまいたくはないんだ


「ほな、・・・また明日な、伊波」
「うん、おやすみ」
 にっこり微笑って手さえ振ってみせる伊波の様子に、御神はどこか
ホッとしたような気持ちになる。
 あれから。
 総代・九条綾人が消息を断ち、幾日か経とうとしていた。
 郷の外の鎮守人たちも、その捜索にあたっていると聞くが、依然
その行方は知れず。
 生きているという確証さえ、なく。
 ただ、彼だけがいない。その日々だけが、ゆっくりと過ぎていった。
 喪失感。
 誰もが感じているであろうそれを、誰よりも。
 肌で。
 感じていた、のは。
「・・・・・大丈夫」
 閉じたドアを見つめ、誰にともなく呟く。
 1人になれば、どうしてもより一層強くその存在を求めてしまう。
 温もりを、息遣いを。
 あんなに、近くにあったのに。
「・・・・・まだ、大丈夫」
 今は、まだ。
 そう自分に囁くようにして、伊波はうっすらと笑んだ。
 まだ。
 ここに、残っているから。
 彼の。
 確かめるように、そっと胸元に手を置く。
 溜息のような吐息を洩らしながら、伊波の手がゆっくりと着ていた
シャツのボタンを外していく。
 この下に。
 あの人が残してくれたもの。
「・・・・・、っ」
 3つ目のボタンを外し終えたところで、はだけた胸元をゆるりと
見遣った伊波の、その瞳が引き攣ったように見開かれる。
 そこに。
 ある、はずの。
 あったはずの、ものが。
「・・・・・いや、だ」
 そんなはずは、ない。
 確かに、ここにあったのに。
 昨日確かめた時には、ちゃんと。
 だけど。
 少しずつ、少しずつ薄らいでいく微かな朱に。
 気付いていなかった訳ではない。
「や、・・・・・いやだ、いや・・・っ」
 シャツの前を掻き合わせながら、ゆるゆると首を振る。
 消えてしまう。
 それだけは。
「そんなのは、・・・・・いやだ・・・っ」
 半ば、悲鳴のように。
 叫んで、伊波は部屋を飛び出していた。
 廊下で、誰かと擦れ違ったような気がするけれど、呼び止められた
ような気もするけれど、どうだって良かった。
 早く。
 完全に、それが失われてしまう前に。
 あてがある訳でもない。
 けれど、ここでただ大人しく待っているだけではいけなかったの
かもしれない。
「結構、我が侭なところも・・・ある、から・・・・・」

 -----どうして迎えに来てくれないんだ、飛鳥?

 そう言って、拗ねてくれてもいい。
 だから。

 もう深夜と言っていいこの時間、郷唯一の繁華街でもある奥津小路
にも、人影は殆どない。鋪装もされていない、その道をただひたすら
に真直ぐに走れば、外と通じる只1つの朱雀大門がある。
 例え、そこが閉ざされてしまっていても、自分なら開けられそうな
そんな自信が伊波にはあった。
 もうすぐに見えてくる。
「あ、・・・・・っ」
 足元なんか、ろくに見てはいない。
 だから、あまり平たんとは言えないその道、転がっていた小石に
足をとられて前のめりになる。
「・・・・・っ」
 転ぶくらい、どうってことはない。
 それくらい。
 身を切る思いで撃ち貫いた、あの痛みに比べれば。
 だが、ある程度は覚悟していた勢い余って転ぶ衝撃も痛みすらも、
訪れはしなかった。
 どうして。
 暖かな腕が、しっかりと抱いているんだろう。
「・・・・・ナミ」
 どうして。
 自分をそう呼ぶ人が、こんなところにいるんだろう。
「・・・・・総代」
「現職ではなくなっても、君は・・・私をそう呼ぶのだね」
 苦笑混じりに告げる声に。
 どうして、こんなにホッとした気持ちになるのだろう。
 けれど。
「・・・・・行かないと・・・早く」
「ナミ、外へは出られないよ」
「だめ、なんだ・・・間に合わない、消えて・・・しまう」
 何が、と。
 そう問う前に、腕の中の少年は身じろぎしつつ、その掻き合わせた
シャツを寛げてみせる。
 無防備な肌に、男は一瞬苦しげに眼鏡の奥の目を細めた。
「ここ、・・・ここも・・・沢山、付けてくれたのに・・・なのに
消えそう・・・なんです・・・・・消えてしまいそう、で・・・」
「・・・・・何が、だい」
 聞かなくても、それは。
「九条さんの・・・付けてくれた、印。僕が九条さんのものだって、
その・・・大切な証」
 どこか。
 恍惚としたような表情に、胸の奥が焼け付くように痛む。
 それを押し隠し、男はゆっくりと頷いた。
「君は・・・・・九条綾人のものなのだね」
「・・・ええ」
 そうであることが誇らしいのだとでも言うように、満足げに微笑みを
浮かべる少年を、どこか痛ましげに見遣りつつ。抱きとめた、そのまま
の姿勢、包み込む腕の力を強くすれば、やや咎めるような瞳が見上げて
くる。
「おいで、ナミ」
「いやだ、離し・・・・・」
「消したくないのだろう?」
 告げれば。
 その言葉に縋るような視線に、また胸が疼く。
「良い子だから、私に従いなさい・・・ナミ」
「・・・・・」
 押し黙ったまま。
 それでも、意外にも素直に伊波は頷いてみせた。
 他に。
 何も、縋れるものがないのかもしれない。
「夜は冷える・・・そんな薄着で」
 羽織っていた薄手のジャケットを肩に掛けてやりながら、ふと足元に
視線を落として。
「あ、っ・・・・・」
「大人しくしているのだね、ナミ」
 不意に。
 添えられた手が、腕が容易く伊波を横抱きにするのに、何をするのか
と抗ってしまえば。
「血が出ているようだね・・・手当てをせねば」
「あ・・・・・」
 言われて、自分の足を見れば。
 そういえば、靴を履いて出た記憶などなかった。靴下はところどころ
破れてしまっているのだろうか、白かったそれは土に塗れ、薄らと赤い
ものが滲んで見えたけれど。
 痛み、なんて。
「・・・・・これくらい、何とも」
「いい加減にしなさい」
 ぴしゃり、と。
 もしかしたら初めて耳にする、その厳しい声に。
 伊波はハッとしたようにその貌を見上げ、どこか怜悧な横顔に。
 ただ、俯いて。
 抱き上げる、やはり暖かなその腕に身を任せた。
 何処へ行くのか、何処へ自分を連れていこうというのか。
 それすら、聞けないままに。




 腕に抱かれたまま連れられて辿り着いたのは、天照館からほど近い所
にある、邸宅。この辺りは、那須乃の言うところの血統の優れた一族の
大きな家屋が立ち並ぶ一角で。
 古めかしい門、そこに掲げられた表札には『鷹取』という文字。
 軽々と自分を抱き上げ、ここまで連れて来た男-----天照館・前職の
総代であった、鷹取祥悟の生家であるのだと、ぼんやりと気付く。
 そういえば、まともに名前すら呼んだことはなかった。
 呼ぶことを。
 拒んでしまっていた、から。
「どうして、ここ・・・・・」
「お帰りなさいませ、坊っちゃま」
 尋ねるのに、そっと視線を落とした男が答えるよりも先に、開いた門
の中から使用人と思しき老人が低頭して出てくる。
「久し振りだね、村木。ああ、まず風呂を使いたいのだが」
「御用意致しております」
「有り難いね」
 畏まる村木という使用人に頷き、鷹取はゆったりとした足取りで門を
潜ると、伊波を腕に抱いたまま、母屋と思しき大きな建物の方にではなく
その隣に並び立つような離れと思しき建物の方へと足を向ける。
「あ、の・・・・・」
「あちらの離れが、私の部屋だ。本宅よりは小さいが、寛げる間取りに
なるように造らせている」
 聞きたいのは、そういうことじゃない。
 どうして、ここに。
 この人は。
「坊っちゃま、・・・・・こちらの御方は」
 後方、少し離れて付き従うようにして来ていた村木が、やや躊躇いがち
に問う。久方ぶりにこの郷へと戻って来た自分の仕える青年が、その腕に
抱いて連れて来た少年の存在を不審に思いつつも、鷹取からの説明も何も
なかったとはいえ、尋ね辛かったことであろうとは思う。
 村木の問い掛けに、鷹取は足を止め。静かに使用人を振り返ると、迷い
すらも感じさせないはっきりとした声で、それを告げた。
「私の大切な人だよ」
「・・・・・さようでございますか」
 やや応えは遅れたものの、その声に動揺の色はなく。主の手前、懸命に
押し隠したのかもしれない。
 そう。
 あの時も。

-----俺の大切な人だ

 真直ぐに、そう告げた。
 あの人も。

「・・・・・ナミ?」
「っ、あ・・・ああ・・・・・、っ」
「村木、下がっていい。御苦労だったな・・・ああ、家の者に離れには
近付かぬよう伝えておいてくれ」
「は、はい・・・それでは失礼致します、祥悟坊っちゃま」
 不意に、腕の中で小刻みに身を震わせ始めた伊波に、鷹取はその表情を
固くして、その様子に怪訝そうに2人を見つめる使用人に人払いを命じる
と、足早に離れの玄関へと向かう。
 ナミ、と。
 強く、優しく抱きしめ、何度も耳元で名を呼びながら。
 愛おしげに、だがそれは。
 腕の中で震える伊波には、届いてはいないということを、知りながら。
「大丈夫だよ、ナミ・・・私が・・・・・」
 救ってあげる、から。
 それは、おそらく今は自分にしか出来ないこと。
 そのために。

 離れの玄関の扉が閉まる音に、その場を立ち去ろうとしていた村木が、
ゆっくりと振り返る。
 しん、と静まり返った庭。
 若き主と、彼が「大切な」と愛おしげに語った少年が入っていったその
離れの屋敷は、どこか。
 しかし、確かに他の者の立ち入りを拒むように、闇の中に佇んでいた。




「・・・・・、っ」
 不意に。
 今まで殆ど感じなかった痛みが足の裏に走って、伊波は咄嗟に投げ出し
ていた足を退こうとするけれど、その足首を掴んでいた手がそれを制する。
「まだ手当てが終わっていない」
 言われて。
 ふと、自分とそして目の前に跪く男のいる場所が、見覚えのない和室で
あることに気付く。
 彼の。鷹取の屋敷に連れられてきて、彼の部屋があるという離れに向か
おうとしていたところまでは覚えている、のに。
 その後の記憶が、酷く不鮮明で。
 それをクリアにしたくてゆるゆると頭を振る伊波の様子に、ちらりと
視線を上げ、だがまだ終わっていないのだと告げた足の手当てを続けるの
に、やがて伊波がぽつりと。
「・・・・・どうして」
 門の前でも口にした、その問う言葉にようやく鷹取はゆっくりと顔を
上げ、伊波へと視線を合わせた。
「どうして、とは。何を、そう問うているのかな」
「・・・・・全部、です」
 何も。
 この男の行動も考えも意図するところも、何も分からない。
 ただ。
 他に何も、縋れるものがなかった。
「取り敢えず、一通りの手当ては済んだ。化膿もしないだろう・・・だが
靴も履かずに駆け出すとは、感心しないね」
「僕は、・・・・・」
 真直ぐに、諭すように言われて。
 思わず俯けば、丁寧に白い包帯が巻かれた両足が目に入る。
 そして。
 白い、褥と。
「・・・・・ここ、は」
「私の寝室、だね」
 寝室、と言われて思わず肩が震えてしまうのに、鷹取はゆるりと口の端
を吊り上げて、傍らの救急箱と汚れていた足を浄めるのに使ったらしい湯
の張った盥を、そっと脇へと押しやった。
「どうしていいのか、分からなくなったのだろう?」
 ああ、そうだ。
 九条がいなくて、九条がいないから、だから。
「君の肌に残した、彼の証を・・・目に見える形で、留めておきたいの
だろう、・・・ナミ」
「九条さん、の・・・・・」
 完全に消えてしまう前に、早く。
 沢山、沢山ここに。
「この、手を」
 す、と。
 伊波の前に、鷹取の手が差し出される。
 その手を見つめた後、おずおずと鷹取の顔を仰ぎ見れば。
 ただ、静かに。
 伊波の意思を問う瞳があって。
「この手を取りなさい、ナミ。私に縋ればいい」
「な、に・・・」
「そして、呼ぶんだ・・・彼を。繋ぎ留めなさい、ここに」
 この手を取れば。
 どうなる?
「・・・・・僕、は・・・僕は、・・・・・っ」
「呼びなさい」
「っ、・・・・・」
 逸らすことも出来ずに見つめ返した深い瞳、その奥に。
 それ、を。
 見つけた気がした。
「・・・・・綾人、さん」
 迷いがちに、それでも。
 伸ばした手が、重なる。
 途端、強く引かれて倒れ込んだ、広い胸に。
 微かに彼の人を感じた気が、して。
「付けて、沢山・・・っもう、消えないように・・・・・」
 何かに縋るように、手繰り寄せるように。
 ただ、自分を抱く腕に身を投げ出して。
 やがて、ゆっくりと。
 首筋に押し当てられた唇に、その感覚に溜息が溢れる。
「あ、・・・・・あ」
 チュ、と。
 薄い皮膚を強く吸われ、そこから走ったのは紛れもなく快感。
 そして、歓喜。
「綾人さ、ん・・・っ綾人さん」
 切ないほどに、溢れて零れる感情。
 止まることを知らず、求めずにはいられなくて。
 せがむようにシャツの背に腕を回し、自分の方へと引き寄せれば、刹那。
 肩口に埋められた男の顔が、どこか深い痛みを堪えるかのように歪んで。
「そう・・・もっと呼ぶんだ・・・・・飛鳥」
 肌に触れる吐息に、声に。
 伊波の中の張り詰めたものが弛んで、ゆっくりと溶けていく。
「ここに・・・いて」
「・・・・・いるよ、ずっと」
「離さないで・・・・・もう」
「望む・・・ままに」
 それを誓うように。
 もうその痕跡すら定かでない肌の上。
 それでも寸分違うことなく、かつて施された愛撫の跡を唇が辿る。
 ぽつり、ぽつりと。
 色鮮やかに花弁のごとく鏤められていく度、伊波は小さく甘く喘いだ。
「綾人、さ・・・ん」
 微かな衣擦れの音と共に、着ていたものが取り去られていくのにも全く
抗う素振りはみせず。やがてその素肌を褥に横たえられ、男も身に着けて
いたものを脱ぎ、やや細身ではあるが無駄のないしなやかな肉の付いた
身体を曝け出していくのにも、視線を背けることもなく。
「・・・・・飛鳥」
 鷹取祥悟としてではない、その呼び方を口に乗せれば。
 早く、と。ねだるように、細い腕が誘う。
 それで、いい。
 ここにいるのは、お前の愛しい者。
 だから。
 もっと、呼ぶがいい。
「ん、・・・・・ァ・・・、っ」
 ゆっくりと肌を重ねていけば、微かな感歎のような溜息が零れる。
 綻んだ唇を啄み、そろりと舌を差し入れれば、やや拙いながらもそれに
応えようと柔らかく絡み付いてくる。
「・・・・・イイ子だ」
 愛しているよ、と。キスの合間に何度も囁いては、下肢に伸ばした手で
震える果実を撫で上げる。巧みな手の動きにそれはやおら勃ち上がり、
トロトロと蜜を零し始めていた。
「可愛いな、・・・・・飛鳥」
 可愛くて。
 愛しくて。
 どうしようもなく。
 けれど。
「あ、や・・・ひと、さん・・・、っ」
 求めているのは。
 求められているのは、自分ではない。
 そんなことは承知の上で、己を消して彼に触れているのだ。
 彼の、ために。
 それすらも、言い訳なのかもしれないのだけれど。
「っん・・・、あ・・・ァ、・・・・・っ」
 包み込んだ手の中で弾けた若い雄は、次の刺激を欲しがってか再びその
形を取り戻していく。その様子に目を細めながら、伊波の放ったものに
濡れた指が双丘の奥を探った。
「や、・・・・・」
「イヤ、なのか?」
 そんなはずはないだろう、と。
 含みを持たせて問えば、やや躊躇いがちに首がそれを否定して振られる。
「ほ、しい・・・・・けれ、ど・・・でも・・・・・」
「・・・・・でも?」
「・・・・・あ、・・・何でも・・・ない、です」
 何でもないのだと言いながら、僅かに戸惑いを滲ませた瞳に。やや固く
閉じていた蕾を解そうとしていた指が、ゆっくりと離れる。
「嫌がることは・・・しない」
 そう言って笑いかけてやれば、だが覗き込んだ貌は今にも泣き出しそう
に歪んで。
「・・・・・欲しい・・・」
「ナ、・・・・・飛鳥」
「早く、・・・っ・・・ちゃんと・・・・・中、・・・・・」
 そんな顔をして。
 そう告げられてしまえば、押し殺していたものなどもう堪えようもなく。
「・・・・・きて、下さ・・・・・、っ」
 それでも、傷付けてしまいたくはなくて。
 せめてと指に絡めた白濁を全て襞に塗り付けるようにして濡らしたそこ
に切っ先を押しあてる。
「・・・・・あす、か」
 呼び慣れない、それを。
 だが、万感の想いを込めて呼べば。
「・・・・・ん」
 微かに頷くようにして、微笑むから。
 自身の先走りの滑りに助けられるようにして、ゆっくりとその欲を内に
沈めていく。
 狭く熱いそこは侵入者をきつく締め付けるけれど、だがそれは侵蝕を
拒むものではなく。苦しげな呼吸を宥めるように額に口付けを繰り返し
好きだと幾度も囁けば、やがて包み込む肉襞の動きは柔らかく絡み付く
ようなそれに変わる。
「ぜ、んぶ」
「ああ・・・・・全部」
 入ってしまったのだと確認する言葉と共に、伊波の腕が広い背に縋る
ように回される。
 それが。
 動いていいのだという合図なのだと理解して。
 甘く苦い衝動のままに彼を壊してしまわぬよう、ゆっくりと退いては
擦り上げ。彼が最も感じるであろうポイントを知ると、そこだけを狙って
突いてやれば、堪え切れない嬌声を上げてその背に爪を立てた。
 その痛みさえも。
 自分に与えられていながら、自分のものではなく。
 触れたいと、奥深くで繋がりたいという願いを、このような形でとは
いえ、叶え、現実のものとしてはいるのに。
 胸に渦巻く赤黒い感情の正体を知っていながら、だがそれにも勝るのは
ただ彼が、彼だけが愛おしいという甘く切なく狂おしい想い。
「愛してる、よ」
 彼の瞳に映るものが偽りの半身であったとしても。
 ただ、その恋情だけは真実。
「愛して・・・いるんだ」
 ナミ、と。
 告げられぬ愛称を、胸の内で囁けば。
「・・・・・っ、い・・・・・」
 いつしか激しいものとなっていた抽挿に途切れ途切れに喘ぎながら、伊波
の腕が背を掻き抱く。より深く、互いを抱きしめるようにして最奥を貫いた
刹那。
「ご、め・・・んなさ・・・・・い」

 …鷹取さん

 その唇は、吐息は、声は。
 確かに、そう。
「ナ、・・・・・っく、・・・・・」
 耳に。
 届いた瞬間、駆け昇った快感に弾け、ドクドクと鼓動と同じリズムで白濁
した想いを注ぎ込んで。
「・・・・・ナミ・・・?」
 まさか、と。
 乱れる息の下、見下ろしたその貌は。
 瞳は、涙に濡れながらも。
 強い光を帯びて、真直ぐに鷹取を見つめていて。
「・・・・・一度、だけ・・・」
 すぐに忘れるから、と。
 独り言のように呟いて、その唇が紡ぎだしたのは。
「・・・・・有難う・・・・・祥悟、さん・・・・・」
「っ、・・・・・」
 そう。
 呼んで欲しいと、どんなにか願ったか知れない、名前を。
 微かに、笑って。
 届けて、そしてゆっくりと。
「・・・・・ナミ」
 微笑ったまま。
 伊波の意識は、深い淵へと沈んでいった。




 翌朝。
 伊波を寮へと送り届け、踵を返した鷹取の前に現れたのは、厳しい面持ち
をした1人の少女。
「・・・・・どういうおつもりですか」
「どういうつもり、とは?」
 心労故か、その白い頬がやや青ざめてみえる。
 無理もない、と胸の内で呟きつつ、少女の言葉を促す。
「あれは、宗家のものです」
「あれ、とはね・・・」
 その物言いに肩を竦めてみせれば、少女はやや機嫌を損ねたかのように
眉を顰めた。
「そう御理解頂けているものと思っておりました」
「・・・・・君の目には、私は大事な九条宗家の所有物に手を付けた不埒者
と映っているのだろうね・・・紫上」
「御自覚はおありのようで」
 固い表情と言葉に、紫上の憤りが伺い知れる。
 だが。
「私は、あの子の望みを叶えただけだよ」
「そのような不義を、彼が望むとは思えませんが」
 不義、と。
 そう取るのなら、致し方のないことかも知れない。
 事実、伊波は九条を愛しながら鷹取と寝た。
「あの子は・・・ナミは、九条を愛していた。否、過去形ではないね・・・
愛している、今も。愛し過ぎて、だから・・・・・壊れてしまいそうだった」
 それを。
 黙って見過ごすわけにはいかなかった、から。
「だから。慰めてあげたのだと仰るのですか・・・」
 呟くように漏らされた声に、僅かではあるが侮蔑の色を感じ取って、鷹取
は苦笑するようにフレームの向こうの目を細めた。
「あの子を、ここに。そして、彼の者の魂を繋ぎ留めるために」
「・・・・・それ、は」
「私のことは、いくら軽蔑してくれても構わないよ。事実、私はあの子に対し
邪とも言える想いを抱いているのだからね」
 きっとそれは、九条よりも長い時間。
 だが、選ばれたのは自分ではないのだ。
「だが、あの子は・・・・・ナミは何も覚えてはいない」
「え、・・・・・」
 長い指が、フレームをツと押し上げる。
「私は私自身を殺し、九条綾人としてあの子に触れようとしていた。そして
あの子の中の九条を求める強い意思でもって、まだ必ずこちらに存在して
いるであろう九条の魂を覚醒させることも出来ると思っていた」
「・・・・・宗家、の」
 あの時。
 伊波を抱いていたのは、九条であったはず、なのに。
「だが、・・・・・ナミは私のまやかしの術を壊し、自らの意思で鷹取祥悟
としての私を受け入れ・・・そして、その記憶に鍵を掛けた。もしかしたら
既に消してしまっているのかもしれない・・・それは、私にも分からない」
「・・・・・伊波くん、が・・・」
 紫上には、衝撃の強過ぎる話であったかもしれない。
 だが、彼女には告げておくべきであるような気もしていた。
「それは、・・・・・偽りの九条綾人より、あなたを選んだ・・・という
ことですか」
「そうではないよ・・・紫上。あの子が選ぶのは、後にも先にも九条綾人、
ただひとり。それだけは・・・・・どうか、間違わずに覚えておいて欲しい」
「・・・・・理解に・・・苦しみます、私・・・には」
 そうだろう、と思う。
 鷹取の抱える想いより、もっとずっと。
 深く、深いところに。
 彼は、その想いを孕んで存在している。
「そういうものだよ、・・・人の想いというものは」
 呟いた鷹取と、紫上の間を。
 ふと風が舞う。
「・・・・・ナミ」
 確信、していた。
 あの男は、必ず還ってくるだろう。
 そして。
 伊波飛鳥という存在ごと、全て。
 攫ってしまうのだろう、と。




「綾人、さん」
 胸元の朱印を抱くようにして。
 窓際に佇み、ふと傍らを擦り抜けた風に、呼ぶ声を乗せて。
 伊波は、微睡むように笑みを浮かべた。





・・・・・鷹取ーーーーーーーー(何)!!
報われてないから・・・それ。あああああ。
遅くなりましたが、見たいのよと言ってくれてた
セイカちゃんに押し付けつつ捧ぐv