『present』


 ふわりと、まさしく浮かび上がるように目が覚めた。ベッドの中、ややげだるい
身体を伸ばす。素肌にシーツの感触が心地良い。
 と、ふと横たわったベッドの広さに奇妙な違和感のようなものを覚えた。シーツ
に包まったまま身体を転がすように周囲を見渡して、ああ、とその感覚の正体に
気が付いた。
「・・・・・いない」
 意識を飛ばすようにして眠りに付いたその瞬間までいたはずの男の姿がない。
大抵は自分が目覚めると同じようにベッドの中に居て、頬や瞼に口付けながら、
ずっと姫の寝顔を眺めていたと恥ずかしいセリフを寝起きに聞かされるというのに。
鬱陶しいと思いながらも半ば習慣のようになったそれがないと、どこか物足りなさ
のようなものを感じてしまう辺り、歯の浮くようなセリフにもとうとう馴染んで
しまったのかもしれない。
「どこ、行ったんだ・・・」
 息を潜めて気配を探ってみても、家の中に自分以外の誰かが居るようには感じ
られない。ロックオンが寝ている間に外出してしまうなど、今までになかった。
「眠り姫は王子のキスで目覚めるものだとか何とか抜かしやがったくせに・・・」
 ひとりで勝手に目覚めてやったぞ、とフンと鼻を鳴らす。姫呼ばわりされるの
にも慣れた。扱いは確かに姫君相手のような時もあるものの、決して女扱いされて
いるわけではないと分かれば、もう好きにしてくれと諦める方が楽だった。
 まだ、出会って半年にも満たないというのに。とはいえ、四六時中共にいるわけ
ではなく、互いの都合が合う時に適当な場所で会うという関係だから、数時間で
別れることもあれば、こうして数日の間グラハムが知り合いに勧められて購入する
ハメになったという郊外の家に滞在することもあった。
 互いの素性は、詳しくは知らない。グラハムはユニオンの軍に所属していると
言っていたが、ロックオンはフリーで色々とやってる、と曖昧な表現をした。それ
についても、グラハムは根掘り葉掘り聞くようなことはしなかったし、ロックオン
も軍の機密事項について探ろうなどという企みは、すぐに投げ出した。
 深入りはしないと決めたはずが、何だかんだとこうして関係を続けている。
「・・・馴染み過ぎだっての」
 半ば自分に呆れながら、ゆっくりと身を起こす。眠りに落ちた時と同じように
何も身に付けてはいないものの、シーツは肌触りの良い新しいものに取り替えられ
ており、身体も丁寧に清められていた。
 マメだよなあと苦笑しつつ、何か羽織るものはないかとベッドから降りようと
した時、玄関のドアの開く音が聞こえた。もうすっかり覚えてしまった、軍人独特
の規則正しい足音。ドサリと何か重いものを下ろすような音があり、それから暫く
して寝室のドアが開いた。
「やあ、お目覚めかな、姫」
「・・・・・ああ」
 ベッドから降りようとしていたロックオンに歩み寄る途中で、グラハムは長椅子
に掛けてあったローブを掬い上げると、広げたそれで包み込むようにして抱き締め
ながら、髪にキスを落としてきた。
「姫をひとりで目覚めさせてしまった・・・済まない」
「いや、別に・・・って、どっか行ってたのか?」
 何か荷物を下ろすような音がしていたことからすると、買い物だろうか。こんな
朝っぱらからと思いつつ、だが既にカーテン越しに差し込む陽射しからして自分が
随分と寝坊だったことに気付いて、こっそり赤面する。
「良いものを買ってきた」
「良いもの?」
 繰り返せば、グラハムは嬉しそうに笑う。
「ああいったものに詳しくはないのだが・・・気に入って貰えるだろうか」
 何だろう。まさか指輪なんかじゃあるまいなと嫌な予感がしたものの、しかし
さっきの重そうな音からしてそういった装飾品の類いではなさそうだ。訝しげに
首を傾げていると、グラハムは屈めていた身体を真直ぐに伸ばして、また満面の
笑みを浮かべてみせた。
「見て貰えるかな。ああ、姫はここで待っていてくれたまえ・・・持って来よう」
 なら見てやるかと立ち上がろうとしたのを留められて、上機嫌のグラハムの背を
見送る。変に高価なものなんかだったりしなきゃ良いんだけどなと僅かに眉を顰め
つつ、やがて部屋に戻ってきたグラハムが引き摺るようにして持ってきた大きな
麻袋にギョッとする。
「な・・・何だあ?」
「店にあるだけ買ってみた」
 縛っていた口を開くと、コロリと転がり出てきたものがそのままロックオンの
足元まで届く。それを拾い上げ、得意そうに微笑むグラハムの顔とそれとを見比べ、
ハアアと大きく息を吐き出す。どうにか向けた笑顔が引き攣ってしまったのは、
しょうがないと思う。
「・・・・・ジャガイモ、かよ」
「そうだ。姫が昨夜、好物だと言っていたではないか」
 そういえば、そんなことを言ったような気もするが、たわいもない会話の中での
言葉だ。特に意味があって教えたわけではない。
「その袋、まさか全部・・・イモか」
「勿論だ。有機栽培とやらで、味もなかなかのものらしい」
 さあ褒めてくれと言わんばかりに胸を張られて、どうしたもんかとロックオンは
手の中のジャガイモを改めてまじまじと眺めた。確かに旨そうなイモだ。だが、
しかし。
「あのなあ・・・いくら俺が好物だと言ったからって、そんな山ほど買ってきて
どうすんだ!」
「食べるに決まっているだろう?」
 それはそうなのだけれど。
「ジャガイモは、そのまま置いておくとすぐ芽が出ちまって食えなくなるんだよ
・・・どう考えたって数日じゃ食い切れねえだろうが!」
「そうなのか?」
 そうなのかじゃない、とロックオンは不思議そうな顔をしているグラハムに枕
でも投げ付けてやりたくなる。
「一応聞くけど・・・あんた、料理出来んのかよ」
「何事もやってみなければ分からない」
「つまり、やったことがないんだな」
 やったことがないなら現時点では出来ないのと変わりはない。なら、この大量に
買ってくるという行為も、適度な分量が分からないのならば、しょうがないと言え
なくもない。しかし、それにしたって大きな麻袋いっぱいとは、どうやって消費
してくれようかとロックオンは軽く頭痛がしてきた。冷暗所に保管して置けるなら
芽さえ出なければそれなりの期間の保存は可能だろうが、だが自分もグラハムも
ここに来れるのは不定期だ。次がいつかなんて分からない。
 もう、来ない可能性だってあるのに。
「ああもう、あんたには期待しない・・・くそっ、ジャガイモ料理か・・・いざと
なると、なかなか浮かばないもんだな。取り敢えず、シチューと・・・グラタンに
するのも良いか。ピザにも出来る。フライにしても良いし、チップスにしておけば
適当につまめるな。ああ、サラダもいけるか。マッシュポテトも良いし、ホイル
包みにして熱々のところにバターのっけて・・・」
「・・・・・なんと!」
「・・・・・何だよ」
 ジャガイモを使った料理を考えて、ブツブツと独り言のように並べて呟いている
と、グラハムがどこか感極まったような声を上げた。
「姫は・・・料理が出来るのか!」
「出来るっても、凝ったもんは作れねえよ。ああ、そういや外食ばっかで手料理は
食わせたことなかったよな。せっかくだから、このイモ使って俺が朝飯作っ・・・」
「姫が・・・私のために朝食を・・・!」
 瞳をキラキラさせてこちらを見つめている様は、どうやら感激している、ように
見える。そんなたいしたことでもないだろうと肩を竦めて見せるのに、グラハムは
慌てて懐から携帯端末を取り出すと、どこかにアクセスし始めた。
 一体何なんだと黙って眺めていると、やがて相手に繋がったのか興奮した様子で
グラハムが捲し立てた。
「聞いてくれ、カタギリ! 姫が・・・私の姫が、私のために朝食を作ってくれる
というのだ! しかも、姫は料理が得意らしい・・・またひとつ知った新たな姫の
魅力に私は魂を撃ち抜かれてしまった!」
「なっ、・・・・・・」
 カタギリというと、確か技術顧問をしているというグラハムの友人だ。同僚に
いちいちそんなこと報告すんなと言いたいのに、グラハムの突飛な行動に今まさに
開いた口が塞がらずに言葉が出て来ない。
 そう、良かったねえという相手の声が聞こえてくる。カタギリとやらも呆れてる
に違いないのだろうが、このグラハムの友人をやってるくらいなのだから、多分
この程度のことでは動じないのだろう。
「おい・・・勘弁してくれ・・・よ・・・、・・・っ・・・・・」
 まだ顔を合わせたこともない相手にとはいえ、あまり過剰に自慢げに語られては
恥ずかしい。もうその辺で止めておいてくれと、ベッドから立ち上がってグラハム
に歩み寄ろうとした足が、不自然に止まる。
 そのまま立ち尽くしてしまったロックオンの様子に、グラハムもどうしたのかと
心配げな視線を向け、そしてやはりその表情のまま固まった。
 ローブは羽織っただけなので、肌があらわになった部分が多くてそれに見とれて
しまった、というのでもない。ロックオンも、それを気にして立ち止まったわけ
ではない。
 その、あらわになった脚、太股の付け根辺りから一筋、肌よりも更に白いものが
ゆっくりと伝い落ちるのが見える。伝う感触が分かる。さすがに、身体の中まで
拭うことまではしなかったらしい。昨夜、グラハムに幾度も注ぎ込まれた白濁が、
しなやかな脚を伝い落ちて、床へと小さな染みを作る。
 ゴクリ、と。グラハムの喉が鳴る音が静かな寝室にやけに大きく響いた。
「み、見るな・・・っ!」
「もう見た!」
 後ずさったロックオンにぶつかる勢いでグラハムが駆け寄り、抱き締めたまま
ベッドへとダイブする。肩に掛けただけのローブはあっという間に剥ぎ取られ、
グラハムの唇が仰け反る喉に噛み付くように口付けてくる。
「っ、待・・・待てって! あ、そう、朝飯・・・っ作ってやる、から・・・」
「もうすぐ昼だよ、姫・・・ブランチにしてしまうなら、もう少し遅い時間でも
構わないだろう?」
「こ、んな時間、から・・・っそんな、盛る、な・・・ぁ、っ・・・・・」
「愛しあうのに、朝も昼も夜もないだろう?」
 これはもうダメだ。グラハムは止まらない。もうどうにでもなれとばかりに、
ロックオンがその背に腕を回そうとした時。
『えーと、お取り込み中みたいだから切るよー、またねグラハム。お姫様にも
宜しく言っておいてくれ』
 まだ回線が繋がった状態だったらしい床に落ちた携帯端末から聞こえてきた声
に、背に回しかけた腕がビクリと震えて止まる。
「こ、・・・っこの破廉恥野郎ーーーーーーっ!」
 半泣きで罵りながら背中をドカドカと叩くのにも、グラハムはうっとりした様子
で、やんちゃな姫もやはり可愛いなと囁いた。