『月の満ちる夜に』


 そもそも「彼」がひとりでいることが珍しい。
 ゆるりと長い尻尾を波打たせながら、「彼」は場内を闊歩していた。
 宛てもないようでいて、しかしその足取りは確実にある場所へと向かって
真直ぐに。いつも傍らにいる少女がその様子を見たら、「今日はごきげん
だね」と微笑みながら首を傾げてみせたに違いない。
 先に「彼」に気付いたのは、小山のような老亀であった。元々細い目を
増々糸のようにして、何度か首を上下に降る。ここにおいで、と促されて
いるような気がしたけれど、どうせならあの人に。まだこちらに背を向けて
少年のようでいて実は少女な、確かスバルという子供と歓談している、その
人に。
 気付いて欲しくて。
 こっちを見て欲しくて。
「クゥ」
 と、小さく鳴けば。
「え、あ・・・エっちゃん?」
 それもまた尻尾のような銀の三つ編みを揺らして、振り向いた人に。
 もう一度、「クゥゥ」とどこか甘えるように鳴いてみせれば。
「どうしたの?ひとり?」
 踵を返し、こちらに近付いて来る綺麗な少年に、「エっちゃん」こと
エルンストは喜びをあらわに尻尾を揺らめかせた。
 待切れずにこちらからも一歩踏み出し、そのスラリとした脚に頭を擦り
つける。その仕草に少年-----この城の主であるファルーシュ王子は柔ら
かく笑んで、纏わり付くヒョウの頭をそっと撫でた。
「スバル、僕ちょっとエっちゃんと話があるから」
「はぁ!?」
 さっきまで自分と釣り談義に花を咲かせていた王子の言葉に、スバルが
声を上げる。
「っていうか、話って・・・そいつヒョウだろ!?言葉通じんのかよ!?」
 やや乱暴な物言いに、ファルーシュは困ったような瞳を向けつつも、
エルンストの頭を撫でながらきっぱりと告げた。
「通じるよ、ちゃんとね」
 え?、と。
 スバルと、そしておとなしく傍らに佇んでいたエルンストでさえ、驚いた
ように顔を上げるのを、ふわりと微笑み返して。
「じゃ、行こうか・・・エルンスト」
「お、っ・・・ちょっと待てよ、王子さん」
「ごめんね、スバル。明日、また大物釣りに来るから」
 笑顔でそう告げられれば、スバルとて「お、おう」としか応えられず。
 連れ立って去ってゆく2つの影に、ことの成り行きを見守っていた老亀が
「ほう、ほう」と楽しげに呟くのに。その隣で微睡んでいた白蛇が、怪訝な
目を向けた。



「ノーマが心配してるんじゃない?」
 そのまま向かった王子の部屋。後に従って扉の中、しなやかな身体を滑り
込ませれば、振り返ったファルーシュが軽く首を傾げながら問うてくるのに。
「クアア」
 そんな、こと。
 今。
 ここで。
 聞かないで欲しい。
 抗議するように高い声を上げ、強く頭をその腹の辺りに押し付ければ、
背にしていたベッドに華奢な肢体が沈む。シーツの上に仰向けになった身体
に、のしかかるようにして乗り上げれば、エルンストの行為を非難するでも
咎めるでもなく、どこか楽しむような色をその碧玉の中に見て取れて。
 焦るでもなく、余裕すら感じさせる表情が悔しくて、だから。
 顔を寄せて。
 ペロリ、と。
 うっすらと笑みを浮かべる薄桃色の唇を舐めてやる。
 ほんの少し、だけ。組み敷いた身体が震えたのに気付いて、そんな反応に
煽られるように、また唇を。そして、頬を滑るようにして、口元を埋めた
白くほっそりとした首筋を舐め上げれば、今度は。
「っ、あ・・・・・」
 微かな震え、そして。
 溜息のような甘い声が零れる。
 それをもっと聞きたくて、執拗にそこに舌を這わせれば、くすぐったい
のか、身を捩るようにして僅かに抵抗を示すのに。
 それ、すらも。
 酷く、扇情的に映って。
「ク、ゥ・・・・・ウ」
 抱きしめたい。
 この人を。
 抱きしめたいんだ、と。
 突き上げるような衝動に、身体に走る痛みと熱に。
「ぐ、ぁ・・・・・」
 伸び上がるようにして背を逸らし、覚えのあるそれにきつく目を閉じて
耐える。
「っ、エルンスト・・・! 」
 震える声に、ゆっくりと目を開ける。
 痛みは、もうない。
 ただ、身体に帯びた熱は去らずに奥底で燻っていて。
 昂る下肢を擦り付けるようにして、そっと伸ばした手で頬を包み込んだ。
「・・・・・王子様」
 久し振りに喉の奥から響く声は、どこか掠れていて。
 言い様のない乾きを訴えて、低く震える。
「・・・・・エルンスト」
 微かな驚きと、そして戸惑いと。
 それでも真直ぐに見つめ返して来る瞳に吸い寄せられるようにして、
また口付ける。
 触れて、離れて。また触れて。
 強く押し付けながら、舌先で唇を辿る。
 甘くて、どうしようもなく甘くて。
 食らい尽くしてしまいたくなる衝動は、この身に宿る紋章のせいばかり
ではない。
 シーツに沈んでいた腕が、やがてゆっくりと持ち上げられて、剥き出しの
背に回された、刹那。
「っ、ぐ・・・うああ・・・・・、っ・・・・・」
 再び身体に走った痛みに、苦悶の声が漏れる。
 もっと。
 まだ、足りない。
 泣き出しそうな感情に胸の奥まで締め付けられそうで。
「ウ、・・・・・」
 やがて喉の奥から絞り出された音は、もう人のそれではなく。
 見開かれた王子の瞳に映った己の姿は、獣のそれ。
「・・・・・ク、ゥ・・・・・」
 どうして。
 どうして、自分は。
 この身が恨めしいと思う。
 だけど、その身でなければ出会うことも、こうしてこの人と共にあること
もなかったかもしれないと思うと、言い様のない息苦しさにまた泣きたく
なるけれど。
「・・・エルンスト」
 そっと、名を呼ぶ声。
 優しい手が、毛皮の背を撫でる。
 抱き寄せられて、肩口に顔を埋めて。
 愛おしい香りに、静かに目を伏せれば。
「月が満ちたら・・・・・」
 ドアの鍵は。
 開けておく、から。
「そおっと、ね・・・・・・忍び込んでおいで」

 満月の夜。
 その時だけ、この紋章の呪縛から解放される。
 その、夜に。

 その夜、に。





幻水5SS1発目がエっちゃんとは・・・自分でびっくり(笑)。
獣姿も人の時もカッコイイのです、エっちゃん。
人間バージョンでも、そっちではケダモノに。是非。