『close』


「く、・・・・・」
 やや時間をかけて情慾をあますところなく注ぎ込んで、そのままゆっくりと
汗ばんだ素肌を重ねる。
 いつもの。
 いつもと同じ、ように。
 だけど、今夜は殊更に離れ難くて、離し難くて。
 未練がましいなと密かに口元を歪めつつ、滑らかな首筋にそっと口付けを
落とす。
「・・・・・で?」
 まだ整わない呼吸、やや掠れた声で。
 額に掛かる銀の髪をけだるげにかき上げながら、身を起こしゆっくりと視線
を合わせてきたベルクートに、ファルーシュは艶やかに笑みながら尋ねてきた。
「ベルクートは僕に、何を告げようとしてるの?」
 見透かされている。
 仄かな灯りの元、見上げてくる瞳の中には知られた時に向けられるであろう
と予測していた怒りも苛立ちすら微塵も感じさせずに、そこにはただ深く深い
彩があって、困惑するベルクートの顔を映している。
「・・・・・どうし、て・・・」
 何を。
 どこまで、一体。
「昼間、リムのところに行ったよね」
「っ、・・・・・」
 この国を統べる若き女王・リムスレーアに、側近であるミアキスを介して
密かに謁見を申し入れたのは、一昨日。また随分と改まっておかしなことじゃ
のう、と笑ったというリムスレーアの反応を聞き、やがて目通りが叶い、一応
ミアキスは立ち会ったものの、ベルクートがどうかと希望した通り、他の誰
にも知られることなくそれは行われた。そのことはファルーシュにすら決して
洩れることのないように。
 そのはずであった。
「ああ、リムもミアキスも、ちゃんと悟られないようにはしてたよ・・・ただ、
ベルクートがリムの執務室にヤケにコソコソと入ってくのを、僕が偶々見てた
・・・それだけ」
 クスクス、と。
 どこか楽しげに笑う様を、呆然と見つめる。
 では、一体。
 どこまで、この人は。
「僕に隠れて女王陛下と逢い引き、だなんて思わないよ・・・安心して」
「殿下・・・」
 ゆっくりと伸ばされた手、繊細な指先がベルクートの浅黒い肌を滑る。頬、
そして首筋をくすぐるように。
「で、リムは頷いてくれた?」
「っ、・・・・・」
 不意に髪を引かれて、起こしていた上体が崩れる。ファルーシュの上に覆い
被さるように、そしてまた互いの吐息が近くなる。
「頷くわけ、ないよね」
 頷いてはくれなかった。ただ、「兄上が承知したならば」とだけ言い添えて。
「・・・・・ファルーシュ、様・・・」
 苦しげに名を唇に乗せれば、髪に絡んでいた指先が離れ、またそっと頬に
触れる。
「リムに、・・・・・暇を申し出たね」
 ああやはり、知られていたのだ。
 そしてそれを、許されなかったことも。
「リムにそんなことを申し出た理由、何となく分かるけど・・・お前の口から
聞きたい」
 隠し通すことは叶わないのだと、促されるまま。
「貴方に、・・・もう貴方には、私は・・・必要、ない・・・・・と」
 そう、思った。
 だから、告げた。
「必要、ないって?」
 細められた瞳が、やや強い光を放つのを見下ろしながら。
「私がお側にいて、お助け出来ることは、もう・・・いえ、元よりなかったの
かもしれない・・・私でなくても、ここには沢山の」
「必要、ないだって?」
 微笑っている。
 それは変わらないのに、麗しくも愛おしいその笑顔に、思わず震えが走る。
「確かに、ここには優秀な人材は沢山いるけれど。それが、何?ベルクート、
お前・・・何か勘違いしていないか?僕は、お前が役に立つだとか、そういう
理由だけで、側に置いているとでも?そう思ってるのだとしたら・・・そう、
ずっと思ってたのだとしたら・・・・・」
 笑顔が。
 凍る。
「・・・・・ファ、・・・・・」
 唇が、睫毛が震える。
 揺らいだ瞳から、何かが零れ落ちそうに見えたけれど、それは小さな光を
帯びたまま留まって。
「そう、思っていた・・・わけでは、ありません・・・」
 むしろ。
「そう、・・・思いたく、なかった・・・だから・・・・・」
 どう言えば、伝わるのだろうか。
 幾度も幾度も、もう数え切れないくらいに肌を重ねて、互いの熱を分け合って
どこまでも深く深いところまで触れて、繋がっても。
 満たされれば満たされるほどに、つきまとう闇が在る。
 身の程も知らずに、もっとと望んでしまう浅ましい自分が、疎ましくさえ
あった。
「・・・・・離さない」
 いつのまにか、また首筋に下りていた指先が、ひたりと首筋に押し当てられ、
その冷たさに小さく息を飲む。
 これは。
 この冷たい手は、自分のせい。
「そんなこと、許さない。必要かどうか、決めるのは僕だ」
 震える、声も。
「もう、諦めた方がいいよ。僕はベルクートを手放す気はない・・・これからも
ずっと。きっと、ね・・・ベルクートが解放されるのは、僕が死んだ時だよ」
 それを。
 告げさせてしまうのも。
「それは、・・・・・ありません」
 ならば。
「私も、覚悟を決めました・・・いいえ、もうとっくに心は決まっていたのだと」
 それを。
 告げなければならない。
「生も死も超えて、貴方と私の魂というものが存在する限り、・・・私はお側を
離れません」
 ほんのひと欠片でも、伝わるというのなら。
「それを、どうか・・・お許し、下さいますか?」
 請うように頭を垂れれば、微かに笑った気配がして。
「ベルクートは、ほんと・・・いつも、さらりと凄い告白をしてくれるよね」
「っ、・・・殿下・・・?」
 悪戯のように耳朶を引っ張られて、驚いて顔を上げれば、そこには。
「許すも許さないも、・・・それは、僕が願って止まなかったこと、だよ」
 柔らかな、笑顔。
 そして、白い頬に一筋の。
「・・・・・僕の願い、叶えて・・・ベルクート」
 差し伸べられた腕に、身を委ねる。抱きしめられて、その身体が微かに震えて
いるのに、目の奥が熱くなる。
「全て、貴方に・・・・・貴方だけに、ファルーシュ様」
 昏い闇も、淫らな欲も。
 美しいものも醜いものも、あますところなく。

 この方のため、だけに。




王子を本気の本気にさせた責任はガッツリ取らねばイカンのです。