『under the mask』


 もしかしたら自分はあの方の中で特別な存在なのではないだろうか、なんて。
 そんな思い上がりは捨てなければならない。
 でなければ。


「ベルクート」
 呼ばれて。
 振り返れば、天使も斯くあるかと見愡れんばかりの笑顔があって。
「はい、殿下・・・何か御用でしょうか」
 パーティーメンバーとしての供をというのなら、ルセリナからの呼び出しが
あるはずで、王子自らがこうして声を掛けに来るとは考えられず、ならば他に
自分に用があるのかと寄せられた信頼に沸き上がる喜びを、僅かに表情を和ら
げるにとどめて問えば。
「用がなくちゃ、ダメ?」
「え、・・・・・」
 小首を傾げる様の愛らしさに、とくりと鼓動が跳ねる。
 無自覚は罪だ、なんて。
 不敬な思いを嗜めつつ。
「あの、殿下・・・」
「何か特別な用がないと、会いに来ちゃダメ・・・かな」
 会いに。
 来てくれた、と。
「でも、ベルクートに会うってのも、僕にとっては大事な用だし」
 そんな言葉に、惑いそうになる。
 その、はにかんだ貌に惑わされそうになる。
 否、もうとっくに魅入られてしまっているのだという自覚はあるというのに、
だがその甘く苦い想いはただひたすら隠し、押し止めねばならないものだと自分
に言い聞かせる。
「・・・・・光栄です」
 あくまで。
 自分は仕える身。
 膝を折り、頭を垂れて。
 命ぜられれば、喜んで跪き、その足先に口付けよう。
「・・・・・、っ」
 心よりの忠誠を込めて見つめ返せば、だがしかし花のかんばせは、こちらの
思いとは裏腹に酷く傷付いたように曇ってしまう。
「殿下・・・?」
 傷付けた、というのか。
 何故。
 何が、一体。
「ベルクートは、いつも・・・そうだね」
「え、・・・・・」
「ううん、何でもない・・・ああ、そうだ。手合わせ、付き合ってくれるかな」
 そんな風に。
 強張った笑顔にさせているのか。
 分からなくて、ただ。
「はい、・・・喜んで」
 絡められた腕に、触れた素肌に跳ね上がった鼓動を、体温を。どうか悟られぬ
ようにと願いながら頷き、その言葉に従う。
 こんな風な、さりげないスキンシップにだって。
 決して、思い上がったりしてはならないのだと。
 でないと、きっと。
 取り返しのつかないことになりそうな、そんな予感にベルクートは無意識に
握った拳を震わせていた。



 その夜。昼間、王子との手合わせで適度な疲労を感じた身体は、心地良い眠り
に誘われようとしていた。久し振りにまともにベッドに横たわり、目を閉じる。
 このまますぐにでも眠ってしまえそうだと思いつつ、小さな欠伸をこぼした時。
「・・・・・? 」
 キイ、と。
 微かな音を立てて扉が開いたのに気付く。眠気は殆ど吹き飛んでしまい、だが
すぐに起き上がって侵入者を確認するようなことはせず、寝ている振りをしたまま
息を潜めて近付く気配を探る。
 殺気は、ない。
 ゆっくり、ゆっくりと近付いてきたその影がベルクートの顔を覗き込むのと同時
に目を開ければ、驚きに息を飲んだのはベルクートの方で。
「な、・・・・・っで、殿下・・・!?」
「・・・・・やっぱり、起きてたんだ」
 くすり、と微笑った顔は、僅かな月明かりの元でも酷く眩しく見えて。真夜中の
侵入者が王子であったことへの驚きだけが理由でなく、鼓動が忙しない。
「ど、どう・・・なさったのですか・・・?」
 こんな時間に、王子が1人でここを、しかも忍んで訪れる理由など見当たらなく
て、冷静さを取り戻せないままに、やや上擦った声で問う。
 キシリ、と王子が手を置いて体重を掛けてきたベッドが音を立てる。そのことに
すら、心がざわめいてしまうのに。
「・・・分からない?」
 笑いさざめく唇が。
「夜這い、に来たんだよ?」
 とんでもない言葉を、告げた。
「・・・・・な、・・・」
「言っておくけど、こんなこと・・・ベルクートにしかしないんだからね」
 誰にでもそんなことをされたら困る、とは口に出しては言えなかったけれど、
だからといってそんな甘いセリフを囁かないで欲しい。
 勘違い、してしまう。
 もしかしたら、と。
 自分に都合の良い解釈しか出来なくなってしまう。
「お、・・・仰る意味が・・・計りかねます」
「・・・・・嘘」
 分かってるくせに、と。
 吐息が触れそうな距離で、見つめられる。
 魅入られてしまう。
「ベルクートなら、って・・・思ったから。ずっと待ってたのに、でもちっとも
僕に触れようとしないのは、何故?」
「・・・・・っ」
 そんな残酷な質問をされるとは思ってもみなかった。
 シーツを掴む手が、震えるのが分かる。
「殿下、私は・・・・・」
「ねえ、・・・僕は知っているよ? 」
 みっともなくも小刻みに震え続ける手に、白い手がそっと重なる。覗き込んで
くる無垢なはずの瞳が、どこか妖しげに揺らめいて。
「ベルクートが僕を、・・・ずっと見ていたこと」
「っ、・・・・・」
 心臓を鷲掴みにされるような、というのはこういう感覚のことを言うのだろうか。
どんな宝石よりも美しいに違いない瞳が、蒼白になったベルクートの貌を映して
微笑む。
「いやらしい目で、・・・僕を犯してたこと」
 この方がこんなことを口にしている事実よりも、告げられた内容こそが。
 ベルクートの衝撃を、一層強くした。
 ただ、ひたむきに見つめているつもりだった。その、はずだったというのに。
畏敬の念は、いつしか愛おしさに変わり、その中に僅かにでも肉欲を伴う想いが
存在し、育っていたことを。
 見抜かれてしまうほどに、その視線は。
「気付いていたのに・・・だから僕は待ってたのに。他の誰も僕にくれなかった
モノを、ベルクートこそが僕だけに与えてくれるのを」
 ずっと待ってたんだよ、と。
 どこか切なげな声が、吐息と共に耳朶に触れる。しなやかな腕が、強張ったまま
身じろぎすら出来ないベルクートの頭を包み込むように抱き寄せる。
 香りが。
 温もりが、有り得ないくらい間近にある。
 指1つ動かせないでいるのに、鼓動だけは耳鳴りのように高く響いて。
「僕に、ちょうだい・・・? 」
 頬を掠めた唇が、ベルクートのそれに重なるか重ならないかの至近距離。
 視界を独り占めにした愛おしい笑顔が、甘い毒のように誘う。
「肉親の温かな情愛より、臣下の清廉な忠誠より、民衆の慎ましやかな敬愛より、
・・・もっと熱くて激しいモノを、僕に与えて」
「あ、・・・・・」
 捕らえられる。
 囚われてしまう。
「わ、私が・・・どんな・・・思いで、・・・・・っ」
 この人は知らないのだ。
 自分が、どんなに。
「貴方に、触れないように・・・でないと、私はきっとこの手で貴方を・・・っ、
なのに・・・どうして」
 頑なに。
 閉じ込めて。
 蓋をして、密やかに。
 護り続けてきたものが。
「そんなもの、・・・今すぐ僕が壊してあげるよ」
 羽根のように掠めただけの、一瞬のキスで。
 こんなにも脆く、粉々に砕け散ってしまう、なんて。
「酷い、方だ・・・っ貴方は・・・・・!」
 箍が外れてしまえば、抑えてきたものが激しく迸り、激流となって押し寄せて
くる。この少年の華奢な肢体を飲み尽くして、壊してしまうかもしれないと。
 ずっと。
 恐れていたのに。
「純朴で忠義に厚い、とてもイイ人のベルクートも・・・大好きだけれど」
 ベルクートが寝ていたベッドに乱暴に引き倒され、大きな身体にのしかかられて。
獣のように飢えた瞳に射抜かれ、噛み付くように素肌に口付けを落とされても。
 その人はただ、うっとりと目を細めながら激情を受けとめて。
「剥き出しのあなたを、・・・・・僕にちょうだい」
 夢見るように。
 微笑った。





うちの王子って・・・・・(何)。
『real face』のちょこっと前っぽく。