『lose』



 大事な話があるから、と。
 月灯りの元、やや躊躇いがちに告げられて、何か予感があった訳でもないのに
鼓動が跳ね上がったのは否めないけれど。
 ここじゃ何だからと部屋に誘われ、自分などが足を踏み入れるのは恐れ多くは
あったけれど、だからといって固辞するのはもっと失礼なことだろうと。
自身に言い聞かせるようにして促されるままに入った王子の部屋は、だが扉が
閉められてしまえば殆ど真っ暗闇で、とりあえず王子が灯りをつけるまで扉を
背に小さく息をつぎ緊張を解そうとすれば。
「っ、・・・・・?」
 不意に。
 背後から突き押されて前のめりによろけてしまい、どうにか転ばずに部屋の
おそらく中ほどで踏みとどまる。
 油断した、というより。
 一体どうして、と戸惑うばかりで。
 だから、部屋の様子に慣れた王子が足早に近づいてきて、気配に振り向こうと
したところを今度は前から突き飛ばされて、そのまま。すぐ後ろにあったらしい
ベッドに背中から倒れる形になり、柔らかいスプリングに沈み込むままに、更に
自分の上に王子がのし掛かってきても。
 ベルクートは未だ呆然として、大の字に転がったまま。
 だが、下腹部に跨った王子が焦るような所作でベルクートの衣服を脱がし始め
るのに、ようやくハッとしてその手を掴み止める。
「殿下、一体これは・・・・・」
 話があるからと部屋に誘われ招き入れられて。足を踏み入れた途端、突き飛ば
されベッドに転がされ、のし掛かられて衣服を乱されようとしている。
 これではまるで。
「既成事実、作るから」
 まさかそんな、と。よぎった思いに追い討ちをかけるように、身体をずらした
王子の手がベルトにかかる。
「で・・・っで、で、殿下!」
 朴念仁とからかわれる自覚はあるけれど、それでもこの状況はいくらその手の
ことに疎いからとはいえ、それなりに自分の身に起こるかもしれない事態は何と
なく想像出来る。
 そんなまさか、と。
 思考が拒否したところで。
 王子相手に貞操の危機、だなんて。
 予想外とか想定外とか、とにかく予測し得る全てのことから、現状は余りにも
かけ離れていて、ベルクートは軽くパニックを起こしていた。
「・・・・・大丈夫、だよ」
 そんなベルクートに、王子は天使のようにふんわりと笑いかけながら。
「最初はちょっと痛いかもしれないけど、・・・ちゃんと気持ち良くしてあげる
から・・・・・」
 そんな。
 どこで覚えて来たのか、とんでもない台詞を。その可憐な唇が紡ぎ出すこと
すら、信じ難いのに。
「だから、・・・・・僕のこと・・・拒まないで・・・・・」
 切なげに呟かれた言葉に、ほんの少し。
 何故だか、突然のこの行為の意味が垣間見えたような気がして。
「で、ん・・・・・っ、・・・・・・・!」
 とにかく落ち着いて話をしてみようと思いかけたのも束の間、王子の細い指が
するりと潜り込んだ、その先。
 トクリ、と。
 鼓動が跳ねる。
「う、わ・・・・・」
 思わず声を漏らしたのは、どちらだったか。
 ゆっくりと導き出されたそれは、見慣れた自分ですら呆然としてしまう程に
既に半ば勃ち上がりかけていて、包み込まれた白い手の中、己の意思だとか
そういうのとは無関係に、ゆっくりとその熱を増していくのが感じられる。
 何て浅ましい、と。
 自己嫌悪に、今すぐこの場から逃げ出したくなるけれど。
「・・・・・こんな、の・・・」
 なのに、王子の手を振り払うことも出来ずに、項垂れるように目を閉じれば、
ふとそれに気付く。
 微かに震えていた、声と。
 指。
「どうしよう、・・・・・こんな凄いなんて」
 困惑もあらわな声と、震えている指。
 どうして、なんて聞けるはずもなく。
 どうするのだろう、なんて。
 この先の展開を予測するなんてことも出来ずに目を閉じたまま、何とか熱を
散らしたくて、知らず飲み込んだままの息を吐き出せば、途端。
「い、・・・・・っ」
 ギュ、と。
 まるで、逃がさないとでもいうように手の中に捕えた一物を強く握られて
情けない悲鳴が上がる。
「・・・るん、だから・・・!」
「で、んか・・・?」
 思わず、じんわりと滲んだ涙目で伺い見れば、酷く思い詰めた貌が視界に
飛び込んでくる。
「い、痛くったって・・・ちゃんと、これ・・・挿れるんだから!」
「・・・・・え、・・・・・」
 挿れる、とは。
 何を。
 どこに。
 それは。
 誰、の。
「・・・・・あの・・・不躾な質問は承知の上で、伺います」
 この状況で、自分が冷静なのか開き直ってしまっているのか、ベルクート
にはもうどちらでも構わないような気がした、から。
「そ、れを・・・どうなさるおつもりだったんですか・・・?」
「さりげなく過去形にしないでよ。これから、ちゃんとするんだから」
 そんな。
 拗ねた瞳で睨み付けられても。
「ですから、あの・・・差し支えなければ、具体的に・・・」
 それよりも。
 自分は、この方に何を言わせようとしているんだろうと。
 ふと我に返ったところで、もう。
「ベルクートのこれを、僕の中に挿れるんだよ!」
「っ、・・・・・!」
 あからさまな単語こそ出なかったものの、言わんとしていることは明白で。
今すぐにでも、とばかりにしっかりと掴み上げたまま下肢に跨がってくる王子
の真剣な眼差しに、それが決して冗談などではないのだと理解出来てしまう。
 そして、もう1つ。
 王子は、ベルクートを抱こうとしていたのではなく。
 ベルクートに、抱かれようとしていたのだということも。
「お、お待ち下さい、殿下・・・!」
 だからといって、はいどうぞと王子のなすがままに転がっているわけには
到底いかず。身を起こし、努めて乱暴にはならぬよう、王子の両手首を捕え、
動きを封じる。
「どうか、落ち着いて・・・」
「落ち着いてるよ!」
 そうは見えなくても、わざわざ指摘して増々気を昂らせるわけにはいかない。
「ならば、・・・何故このようなことをなさろうとしているのか、私にも理解
出来るよう説明して頂けますか・・・?」
「言ったら、ベルクートは僕のものになってくれる・・・?」
 僕のものに、と。
 王子の言葉を、ベルクートはゆっくりと頭の中で反芻する。
 この人は。
「・・・・・私は、殿下に全てを捧げております・・・」
 剣も。
 命も。
 全て。
「そう、誓ったことを・・・偽りだとお思いですか・・・?」
「・・・・・欲張りだって、分かってるんだ・・・でも」
 なのに。
「好きな人の、全部が欲しい・・・ベルクートの心も、身体も」
 こんなにも激しく、貪欲なまでに。
 欲しいのだと、訴えてくるのだ。
 ベルクートの全てを、望んでいるのだと。
「・・・・・殿下・・・」
 望まれている。
 この人に。
 知ってしまえば、震えるほどの歓喜が沸き上がり、抑えようもなく鼓動が
高鳴る。
 抱きしめたい衝動に駆られ、しかし寸でのところでそれを押し止める。
 それすら、もはや限界に近かったけれども。
「そんなことを仰ってはいけません。私は、・・・これでも一応健全な一般
成年男子で、こんな風に・・・心の底から愛おしいと思っている方にベッドの
上でのし掛かられて、そんな風に甘い言葉を告げられたりしたら…今までの
ように自分を抑えられる自信がない」
 そう、今まで。
 自覚はしながらも、ずっとひた隠してきた想い。
 塞き止めてきたものが、突き崩されてしまう。
「・・・・・それって、ベルクートが僕のことが好きで、ずっと抱きたかった
っていう告白に聞こえるよ・・・?」
 聞こえるもなにも、それが事実であるのに。
「分かっていて、そうお尋ねになるんですか・・・?」
 ずるい人だ。
 そして堪らなく。
 愛おしい、人なのだ。
「だって、・・・間違ってたら恥ずかしいし」
「私を押し倒しておいて、そう仰られますか・・・殿下」
 苦笑混じりに告げれば、今更のように頬を紅く染め上げて。
「だ、だって・・・思い立ったら吉日だって、カイ・・・・・あ」
「・・・・・カイル殿、が?」
 うっかり告げかけた名前。
 まずその人物だろうとの確信の元に、にっこり笑って尋ねれば、あっさり。
「・・・お、押し倒して既成事実作っちゃえばイイんですよー・・・って」
 白状したその内容に、あの不良騎士殿はと眉を顰めたせいか。
 でも、と。王子は慌てて付け加える。
 ベルクートのことでモヤモヤとして悩んでいたのは本当のことで、カイルは
それに気付いて元気付けるつもりで背中を押してくれたのだと。
「カイルに唆された、からじゃないよ・・・どんどん煮詰まって、いつかは
きっと、こうしてた・・・だから、これは僕の意思だ」
 どうか、と。
 縋る瞳で。
「・・・・・分かりました」
「・・・・・ほんとに?」
 経緯は分かった。
 後は。
「ええ、・・・・・お互い、我慢比べをしていたのだということが」
 そう、なることになっていたのだと。
「・・・どっちの勝ち?」
「・・・・・私の負けです、殿下」
 告げながら。
 掠めるように、キスを奪う。
 自分から口付けるのは、これが人生初めてのことなのだと告白したなら。
 この人は、どんな顔をするのだろうと、目を細めながら。
 先を促すように閉じた瞼にも、そっとキスをして。
 さて、キスから先はどうしたら良いんだろうと、こっそり悩みつつも。
 
 ここまできたら、もう。
 腹を括るしかないんだと。

 もう1度、唇に。
 今度は、強く、深く。
 きっと多分、本能のままに。






結局、ベルクートさん童●喪失。
王子がとことん積極的にならないと先に進めない
初々しいカプです。←どんな