『オトナの時間』


 暮れ時の河原の土手に佇んで、夕焼けを眺めているのが好きだ。
 まだ魔物の出現は続いてはいるけれど、当面のこの日本の-----世界の危機は
回避出来た。それは結果的に、カイトから大切な大切な半身ともいえる相棒を
奪うこととなったのだけれど。
 そのことを思うと、いまも胸が痛くなる。夢で抱きしめたその小さな身体が
目覚めれば傍らにいなくて、ひとり涙を流してしまった夜が幾つもあった。
 ああ、この夕陽の色はちょっとスイヒに似ているのかもしれない。
 また少し涙ぐみそうになって、だけど擦れ違った親子連れの怪訝な表情に、
ブンブンと首を振って感傷を誤魔化す。
「取り敢えず、帰って御飯作って・・・・・」
 今日もタツキは家にはいない。以前よりはずっと仕事の量も減って、というか
カイトの側にいたいがために極力セーブしているらしいのだが、数日前に入った
仕事はどうしても外せなかったようで、出掛ける直前まで存分に愛する弟を構い
倒し、それでもまだ物足りない様子ながらも渋々出掛けて行った。
 とはいえ、帰宅してカイトが独りぼっちなのかというと、そうではなかった。
サラが留学との名目でホームステイに来ていて、それにガウェインも当然のよう
に、ついてきている。テストが近いらしいサラが、ガウェインに付きっきりで
勉強をみて貰っていたので、今日はカイトが1人で買い出しに出ていた。
 デザートにアップルコンポートでも作ってやろう、と手提げの中の林檎を眺め
微笑みつつ、帰路につこうと踵を返したところで。
「・・・・・え」
 長い、影。
 高い、背。
 こちらを見ている貌が、やや苦笑混じりに声を掛けてきた。
「いつまで突っ立っているのかと思ったぞ」
「・・・・・え、え、え・・・・・アーサーさん・・・?」
 名を呟けば、それを合図にしたようにゆっくりとアーサーが歩いてくる。
「ど、どうして日本に・・・って、またお仕事ですか?」
 アーサーが現れると、決まって出る台詞。それにいつも、まあそんなところだ
と応えては食事に誘ってくれたりするアーサーに、毎月のようにお仕事でこんな
遠い国に来なければならないなんて大変だなあ、というのがカイトの感想で。
本人を目の前にしてそう言った時にも、アーサーはやはり苦笑しながら美味しい
ものを御馳走してくれるのが常であったのだけれど。
「取り敢えず、飯にでも行くか」
 いつものその誘いに頷きかけて、だが慌てて首を左右に振る。
「済みません、今日は・・・サラたちが待って・・・」
「ああ、奴らにはもう連絡を入れてある・・・・・行くぞ」
 手回しの良さに惚けているカイトの肩に、大きな手が添えられる。促される
まま歩き出したカイトは、買った食材がすぐに冷蔵庫に入れなくても傷んだりは
しない、日持ちのするものばかりで良かったとホッとしていた。


「え、ここ・・・・・」
 しばらく連れ立って歩いて、案内された場所をカイトは呆然と見上げる。
 都内でもトップクラスの高級ホテル、そのロビーをアーサーは戸惑うカイトを
さりげなくエスコートしながら、エレベーターの方へと進んで行く。すぐに降り
てきたエレベーターに乗り込み、アーサーが押し示したのは最上階。
「・・・・・っ」
 こういう場所には不慣れなカイトでも、そこにあるのが敷居の高そうな店で
あろうことは想像がつく。そういう場所は、確かそれなりの服装でなければ立ち
入り禁止だったのではなかろうか。今、カイトが身に付けているのは、どこから
見ても極一般的若者の普段着。
「あ、あの・・・・・」
「そう畏まらなくていい。ここの偉い奴とは、ちょっとした縁があってな・・・
今日は特別だ」
 カイトの困惑を察したように、そう言われても。辿り着いたそのレストランは
入り口でカイトの足を止めてしまうには充分な独特の雰囲気があって、すっかり
挙動不審になるカイトに、アーサーはこっそりと耳打ちした。
「ここのデザートは、とてつもなく旨いらしいぞ・・・好きなだけ食え」
「っ、・・・・・」
 こんな場所で食事するのは怖い。けど、美味しいデザートは食べたい。
「・・・・・う」
 どうにか歩き出したカイトを伴い、アーサーは予約していたらしい奥まった
場所の窓際の席につく。平日の夜だからなのか、まだ少し早い時間だったから
なのか、客はまばらだったのが少しだけカイトの緊張を和らげた。
 でも、何故。
 いつもは、こんな気後れするような店で食事なんてしないのに。
 違和感を覚えつつも、やがて運ばれてきた食前酒の彩にカイトは見とれる。
「色、綺麗ですね・・・あれ?でもアーサーさんのと違う・・・」
「一応、お前のはノンアルコールだ」
 ここは日本だしな、と囁かれて、変なところできっちりしてるんだなあと、
苦笑しながらも頷く。
「まあ、どうしても飲みたければ、後で部屋でこっそり飲ませてやる」
 部屋? とカイトが首を傾げるのと同時、アーサーはグラスを掲げてカイトに
告げた。
「誕生日、おめでとう・・・カイト」
「え、・・・・・え、え・・・えええええっ!?」
 誕生日?
 誰の、って。
「お、俺・・・誕生日・・・・・?」
「ん?今日じゃなかったか?」
「っ、そ・・・そう、です・・・けど・・・・・っ」
 どうしてアーサーが知っているんだろう。
 どうしてアーサーは。
「まずは、飯だ・・・デザートもたらふく食うといい。プレゼントは、部屋で
渡してやる」
「あの、部屋って・・・・・」
「・・・我ながら、・・・・・」
 くくっ、とアーサーが喉の奥で笑う。
「こんな旨そうなもんが目の前にぶら下がってたってのに、・・・よくもまあ
今まで我慢出来たと感心するな、自分でも」
 旨いもの、とアーサーは言う。
 でも、テーブルにはまだ食前酒しかなくて。そのお酒も確かに美味しそうには
見えたけれど、アーサーの視線は真直ぐにカイトに注がれている。
「あ、・・・アーサー、さん・・・?」
 見つめられているのが何だか気恥ずかしくなって、少しだけ俯いてしまえば。
「今夜は帰らなくていいな?」
「・・・え、・・・・・?」
 さらりと告げられた言葉に、その意味をすぐには計り兼ねて。慌てて顔を上げ
た先、目に映るのは大人の男の貌。ゆるりと弧を描く唇に、急に顔が火照って
しまうのは。
「・・・まあ、帰りたいと喚こうが、帰すつもりはないがな」
 誘拐なんざ今更だ、と。
 酒を一気にあおる喉のラインにも、いちいちドキドキして。
 今夜の俺はおかしい、とカイトは思った。もしかして、ノンアルコールだと
言っていたのは嘘だったんじゃないかと疑ってしまうくらいに、何だか酔って
しまったかのようなフワフワとした感覚。
「一応のけじめとして、今日まで待ってやったんだ」
「・・・・・何、を・・・」
「さあて、それは・・・後でじっくり教えてやるよ」
 楽しげに笑うアーサーにつられて、カイトもぎごちなく笑う。
 やがて、雑誌やTVでしか見たことのないような美味しそうな料理が運ばれて
きて、それに夢中になってしまったカイトはアーサーに尋ねようとした色んな
ことを失念したまま、デザートも言われるままに沢山平らげて。
「これから先は、大人の時間だ」
 そう告げられ、スウィートとかいうやたらと広々とした部屋に連れ込まれて。

 18になった、この夜。
 子供の時間が終わりを告げたことを悟った。





我慢してたらしいです(笑)。
取り敢えず、日本の法律では男の子は18で結婚出来るということで。