『abrupt』


 恥ずかしい。
 情けない。
 いたたまれなくなってギュッと目を瞑れば、そんなに痛むのかと阿部君の
気遣う声がしたので、慌てて首を振りながら目を開ける。
 そこにはやはり、ベッドに横たわるオレを心配そうに覗き込む阿部君が
いて、また申し訳なくなって目の奥が熱くなる。
「泣くほど痛いのか?」
「ち、が・・・いマス」
 泣くな、泣いちゃダメだ。もっと阿部君に心配かけてしまう。
 そんなのは、絶対ダメだ。



 今日は、阿部君がうちに泊まりに来る日、だった。
 親、いないんだよーと告げると、そっかと素っ気無く答えていたけれど、
オレの部屋に入ってすぐに後ろから抱きしめられて、すごくホッとしたのは
恥ずかしいからナイショだ。
 オレだけが、そのつもりだった、なんてのは悲しい。阿部君を誰もいない
家に誘った時点で、オレにだってそれなりに下心みたいなものがあったし、
良いよと頷いた阿部君にも、そういう気持ちがあったんだって思いたかった。
 だから、阿部君の手がちょっとだけ乱暴にシャツのボタンを外していって
も、むしろそれがオレのことをすごく欲しがってくれてるんだってことの
アカシ、みたいで嬉しくなったし、早くもっといっぱいオレに触って欲しい
から、びっくりするくらい手際良くオレの服を脱がせてベッドに転がして、
自分も上半身裸になって覆い被さってきた阿部君の背に腕を回す。
 重なる胸板、素肌が気持ち良い。
「あ、あべ、く・・・・・、っ・・・」
 キスされて、うっとりと目を閉じる。どんなにガッついてても、絶対最初
はキスから始めるんだ。慣れないうちは、ずっと息を止めてしまってて、
苦しくて真っ赤になったり真っ青になったりしてたら、何やってんのお前、
と鼻を摘まれたっけ。ココで息すんだよ、って教わった。そんで、苦しく
なくなった。やっぱり阿部君は凄い。
「・・・三橋」
 野球してる時には滅多に聞けない、ヤラシイ響きで呼ばれる。というか、
練習中にこんな声で名前呼ばれたりしたら、オレ絶対どうにかなっちゃう。
「阿部、君」
 でも、今はもっとずっと呼んで欲しい。そう思いながら、阿部君の少し
硬い髪に指を絡めるようにして頭を抱き寄せる。濡れた阿部君の唇が、首筋
に触れた、その時。

 クルルル・・・・・

 え。
 何。
 何、だ。この音。
「・・・・・ん?」
 阿部君も怪訝そうに顔を上げて、そしてゆっくりと視線を落とす。

 キュルルルル・・・・・

 鳴ってる。
 響いてる。
 阿部君にも伝わってる、これは。
「お、おなか・・・」
 オレのお腹から聞こえてくる、音。
「何だ、腹へってんのか」
 ムードぶち壊しだな、なんて言いながら、でも気を悪くした風でもなく
後でたらふく食わせてやるから先にこっち食ってよと腰を擦り付けながら
阿部君が耳朶をやわやわと噛む。食べてるのは、阿部君の方だ。じゃなくて
そうじゃ、なくて。
「ち、ちが・・・・・」
 お腹が鳴ってる。
 でも、これはお腹が空いてるとか、じゃない。
 これは。
「い、いた・・・っ」
「っお、おい!」
 もしかして。
 もしかしなくても。
「三橋!?」
 オレの上に重なっていた阿部君を突き飛ばすようにして、オレはベッド
から降りて走り出していた。服着てないよ裸のまんまだよ、なんて気にして
いられない。そんな余裕はない。
 呆然としているだろう阿部君を残して、そのまま一目散にオレはトイレに
駆け込んでいた。



「ゴメン、なさ・・・ゴメンなさい・・・」
「だーから、何そんな謝ってんの」
 掛け布団を目元まで引き上げて溢れてくる涙を押し付けながら、ふぐふぐ
泣き続けるオレの頭を、阿部君が撫でる。どうしてそんなに、優しくして
くれるんだ。
「だっ、だって、オレ・・・お腹・・・壊し・・・っ」
「ヘンなもん食ったとか、腹全開で寝てたとかじゃないんだろ?胃腸にくる
風邪とかあるみたいだし、腹具合落ち着いて来たら軽く何か食って、風邪薬
も飲んどくか」
 それでも良くなんなかったら医者行くんだぞ、と阿部君は言う。確かに
これはオレの不注意からきたものじゃないのかもしれないけれど、そうじゃ
なくて。
「・・・なかっ、た・・・カラ」
「ん?」
 布団の中でモゴモゴと半ば嗚咽混じりに呟いたから、阿部君にはちゃんと
聞こえてなかったみたいで、恐る恐る顔を出したら目の前に阿部君の顔が
あって、びっくりしてまた布団に潜りたくなるのをどうにか堪える。
「何だって?」
「だ、から・・・え、えっち・・・出来なくて、ゴメンなさ・・・い」
 ボソボソと、でも今度は届いただろうその言葉に、阿部君の眉間に1本
皺が刻まれる。
「何、それ」
「え、・・・だから、オレ、こんな・・・だから、続き・・・出来なくて」
「・・・・・」
「せっかく、来てくれた・・・のに」
 ふーっ、と。阿部君が大きな溜息をついた。
 ああ、やっぱり。呆れてる、かな。呆れてる、よね。えっち、途中だった
のに、オレがお腹壊したりして、だから。
「あのさ・・・オレが何でここに来たと思ってるワケ?」
「う、え・・・?」
「ヤるために来た、とか思ってるワケか?」
「・・・・・ち、がうの?」
 だって。そうじゃないのか。首を傾げたオレに、また阿部君は一際大きな
溜息をついた。
「・・・・・なっさけねー・・・」
 低く呟いて、阿部君はゆっくりと立ち上がる。
「あ、・・・・・」
 ドアの方へ歩き出そうとした、その腕に縋るには届かなくて、でも必死に
手を伸ばした先に触れたシャツの裾を、思いっきり引っ張る。
「う、おっ」
 不意打ちだったのか、バランスを崩してベッドに倒れ込んで来た阿部君に、
オレは身体を起こしてギュウギュウとしがみついた。
「い、い、い、いや、だ!」
「って、何・・・」
「い、い、い、行かな、いで・・・!」
 シャツの前がはだけまくった阿部君の胸元に、頭を痛いくらいに押し付け
ながら、お願いする。
 行かないでくれ、と。
 そんなオレの頭の上から、阿部君の溜息混じりの声がする。
「・・・喉渇いたから、何か貰ってこようと思ったんだけど」
「・・・・・う?」
「・・・お前も、・・・お前は、冷たいものはダメだな。何か温かくて腹に
イイ飲み物って、あったかな」
 どうして。だって、阿部君は。
「か、える・・・んじゃ」
「はあ?」
「か、帰っちゃうのか、と・・・思った」
「何で。元々泊まらせて貰う予定だったし、第一具合悪いっていってるお前
残して、帰れっかよ」
 それは。
 だって。
「お前・・・今、考えてること全部言ってみろよ」
「・・・・・」
「言えよ」
 頭グリグリってされるのかと思ったら、阿部君の手はポンポンってオレの
背中を軽く叩いた。その優しい仕草に促されるように、オレは口を開く。
「え、えっち・・・出来ない、し。だから、だったら阿部君・・・もう、
帰っちゃうのかな、って・・・」
「・・・・・あのな・・・」
 そして、また溜息。今日で、オレは何回阿部君を呆れさせたんだろう。
「人を性欲魔人みたいに言うなよな」
 そりゃ確かにガッついてっかもしんねェけど、と阿部君はちょっと口籠り
ながらも続ける。
「そりゃ、お前と2人きりだし。そういうことも、したいし。けど、それ
だけじゃないだろ」
「・・・・・そう、なのか・・・?」
「そうだよ。お前だって、そのためだけにオレを誘ったんじゃねェだろ?」
 それは。そうだ。
 えっちも、したい。けど、それが全部じゃない。
「あ、阿部君と・・・一緒にいたく、て」
「だろ?」
 そしてまた落ちてきた溜息は、だけどさっきのと違って何だかホッとした
ような、そんな。
「オレもお前と一緒にいたいから、ここにいんだよ」
 いちいち言わなくても分かれよ、と阿部君はオレの背中に腕を回して、
包み込むみたいに抱きしめながら囁いてくる。
「お前を置いてなんて、行かないし。具合悪いんなら、看ててやるし」
「・・・・・ご、ごめ・・・」
「だーから!」
 抱きついていたのをひっぺがされて、涙でぐちゃぐちゃになってしまった
顔を覗き込まれる。
「オレが、そうしたいいんだっつーの!」
 ちょっと怒ったような口調。だけど、顔はしょうがねェなってカンジで
笑っていて、それに応えるようにオレも笑ってみせたけど、多分泣き笑いの
すごいブサイクな顔になってる。
「取り敢えず、寝転がっとけ」
 そのまま身体を後ろに倒されて、枕に頭がぽすんと沈む。床に落ちそうに
なってた掛け布団も引き上げられて、しっかりそれに包まれる。
「まだ、痛いか?」
 掛け布団の上から、お腹の辺りを阿部君の手の平がゆっくりと撫でてくる。
オレが何か言う前に、クルクルとお腹が鳴って返事をした。
「い、痛くは・・・ない」
「まだクルクルいってんな」
 何度も。
 何度も、阿部君の手がオレのお腹を撫でる。
「き、もちい・・・」
 その心地良さにフワッと出てきた言葉に、阿部君はニィって笑って。
「治って元気になったら、もっとキモチイイことしような」
「う、へ・・・?」
 オレはちょっと遅れてその意味に気付いて、うんうんと何度も頷いた。




早く治るとイイねー。