『like love』
オレには 好きな人が います
「何、お前好きなコいんの?」
「いねーよ、練習練習でヘトヘトで、それどころじゃねーだろ」
お互いにな、と誰とはなしに呟かれた言葉に、場に同意の笑いの
波が起こる。三橋もその輪に交じって、フニャリと笑顔を作って。
そして、こっそりと溜息にもならない息を吐いた。
確かに、夏大も間近に控えた今は、朝早くからそして授業を挟んで
放課後遅くまでのハードな練習で、色恋にうつつを抜かしている心の
余裕なんて、ないと思うのが普通なのかもしれない。例えば同学年に
可愛いコがいたりしても、可愛いよねのそれだけで済まされてしまう。
家と学校を往復する生活では、そもそも校外での出会いだって、ない
に等しい。
けれど。
毎日顔を合わせている人なら。
毎日のように。
目を、合わせている状況ならば。
「あれ? 三橋はいるだろー?」
「え、・・・・・」
不意に。にっかり笑った田島に話を振られ、咄嗟に。
「えええ三橋、好きなコ・・・いるんだ」
ロボットのようにカクカクと頷いてしまって、次の瞬間ハッとした
ように否定しようとしたけれど、半ば呆然としたように呟かれた水谷
の言葉に、結局口を開いては閉じ、また開いてはの繰り返しだけで
言葉にはならずに。
「あー、・・・ナルホド」
「だよなー」
三橋の反応に、ほらどうよとばかりに笑う田島と、そして困った
ように肩を竦めながら視線を向けてくる泉と、やれやれと溜息をつく
花井と。
「な、何だよー、もしかしてみんな知ってんの? 誰?」
「知らねーよ」
「ズルいぞ、教えろよー、なあ三橋いい」
どうやら本当に分かっていないらしい水谷が縋るのに、三橋はやや
どもりながらも「チガウよいないよホントだよー」と繰り返すのが
やっとで。
「はいはい、そこまで。早く着替えてグラウンド行くぞ」
「うーす」
「えー・・・」
まだ何やらブツブツ言っている水谷を促して、それぞれが止まって
いた着替えの手を動かし始める。それにホッとしたように、シャツの
ボタンを不器用に外し始めた三橋の背を、笑いの輪にも加わること
なく早々に着替えて壁に背を預けて佇んでいた阿部が、ずっと押し
黙ったまま瞬きすら忘れたように見つめていた。
阿部の様子が、何だか変だ。
そう思ってしまうのは、さっきの着替えの時にみんながしていた
話題のことで、自分が妙に過敏になってしまっているせいなのかも
しれないと、三橋は不安にもにたモヤモヤしたものを打ち消すように
ブンブンと頭を振る。
「おい、どうした」
「へ、あ・・・う、な、何でもない、デス」
それはどう見たって不審に思われてしまうだろう、やや離れた場所
から、栄口や沖たちも怪訝そうに視線を向けている。
「虫でもいたのか?」
「む、し・・・う、うん」
「もう大丈夫か?」
「へ、へーき・・・デス」
ならいい、と阿部は再びマスクをかぶって定位置にしゃがむ。
変なのは、きっと自分の方だ。意識、し過ぎてるんだ。
そう自身を納得させるように、三橋は大きく深呼吸を繰り返すと、
阿部のくれた指示した球種どおりにギュッと深く握り込んだ。
お疲れー、と言う声とドアがしまる音に、ハッとして顔を上げる。
気のせいだと思っても、やはりまたこうして部室に戻って来ると、
あの会話のことを思い出してしまう。あの時は、花井が察してくれた
のか、さりげない介入で水谷の追求をかわすことが出来たけれど。
そういえば、その時。
阿部は、どうしていただろうか。
話の輪には、いなかったように思う。
でも、あの場にいたのならみんなが盛り上がっていた話の内容は
きっと聞こえていたはずで、だとしたら。
阿部は、どう思って聞いていたんだろう。
話に加わらなかったのなら、特に何も考えずに流し聞きしていたの
かもしれないし、だけど。
ふと、そんなことを考え出したらそちらに意識がいってしまって、
ただでさえ遅い着替えの手が止まってしまっていたようで、気がつけ
ば部室に残っていたのは、三橋と。
さっき部誌を書き終えたばかりの阿部、だけだった。
「う、あ・・・阿部君、ご、めんなさ・・・」
「何」
「き、がえ・・・遅く、て」
「・・・ああ」
そう言ったきり、阿部は口を噤んだまま、腕組みをしながら壁に
背を預けて立っていた。その視線がずっとこちらを向いているのに
何だか居たたまれない気持ちになって、なるべく不自然にならない
ように背を向け、アンダーシャツを脱いで適当に折り畳み、バッグに
突っ込もうとした時。
「誰」
三橋の着替える衣擦れの音を割くように発せられた短い言葉に、
三橋の手が怯えたように震え、手にしたシャツが床に静かに落ちる。
「な、に・・・」
怖くて。
2人の間、その短い距離に漂う空気が恐ろしくて。
言い知れない恐怖に、振り向けずに言葉だけでどうにか問えば。
「誰だよ。好きな奴って」
ああ、やはり。
阿部は、聞いていたんだ。そして、それを尋ねるタイミングを
ずっと計っていたんだと、ようやく三橋は気付いた。
だけど、どうして。それなら、あの時水谷に便乗して問うたって
良かったのではないか。阿部なりに空気を読んでの今だとしても、
三橋にとっては何故今こうして2人きりの時に、そんなことをと
戸惑いに視界がグラグラするような錯覚さえ感じて。
ああ、でも。あの時であっても今この時であっても、出来るなら
聞かないでいて欲しかった。気にとめないでいて欲しかった。
けど、その問いはもうこちらに向けられていて、そしてこの場に
さりげなく話題を逸らしてくれるチームメイトはいない。
元々話術は巧みではないどころか苦手な上に、相手は阿部なのだ
から、どうしたって何も答えずに逃げるわけにはいかない。
けれど。
「あ、阿部君には、言えない」
「はあ!?」
だからといって、答えをそのまま口にするわけにも、いかない。
どうしても。
知られてはいけない。
「阿部君に、は・・・言えない、カラ」
ゴメンナサイ、と。急いでシャツを羽織って、ボタンは止めぬ
まま、それでもどうしても早くこの場から立ち去りたくて、結局は
有耶無耶にして逃げるだけじゃないかと、うまく切り抜けられない
自分が情けなくなったけれど、どうかこのまま深く追求してこない
でという気持ちを察して、引いてくれないかなという切実な思いは
擦れ違い様に掴まれた左手の小さな痛みに打ち消された。
「い、・・・」
「何、それ。どういう意味?」
「あ、・・・・・」
失敗した。自分は、さっき何て言った。
阿部君には、言えない。
阿部君、には。
その無意識に込められてしまった微妙なニュアンスを、阿部は
聞き逃したりしなかった。
ヒヤリ、と三橋の背に冷たいものが走る。
「田島や泉は知ってんだろ? ああ、花井もなのか。なのに、何で
オレはダメなワケ?」
「み、水谷君、だって・・・」
「・・・・・何で、オレにはダメなのかって、聞いた方がいい?」
「っ、・・・・・」
左腕を掴んだまま、ゆっくりと詰め寄ってくる阿部から遠ざかり
たくて後ろに踏み出した足は、だけど数歩移動したところで壁に
阻まれて、結局その状況を更に良くないものにしてしまう。
田島たちには、自分から告げたわけではない。同じクラスである
田島と泉の2人には、教室内での雑談中に田島から指摘され、何で
知ってるのと口を滑らしてしまって、泉にやっぱりなと肩を竦め
られてしまったという、いきさつがある。2人とも、誰にも言わ
ないと約束してくれていたし、花井たちに関しては何となく察して
いたようだったが敢えてそれに触れてくることはなかったから。
だけど。
誤魔化されてなんてくれない。阿部は、答えを求めてる。
「なあ」
どうしたって、逃げられないのだと悟ったって。
それでも、この気持ちだけは。
「ほ、他の誰に、知られたって・・・そ、れでもあ、阿部君にだけ
は、知られたく・・・ない!」
思いのほか大きくなってしまった声で言い切って顔を上げれば、
困惑とも憤りともつかない阿部の表情と。
「ってめ・・・!」
怒声に、ヒッと肩を竦めながらも目は絶対に逸らさないように。
少しだけ高い位置にある阿部の目を真っ直ぐに見つめ返せば、ふと
瞳から涙が零れ落ちた。
ダメだ、ここで、こんなところで泣いちゃ、ダメだ。
そう思うのに、見開いたままの目から溢れ出す涙は止まらなくて。
やがて憤りが形を潜め、困惑の方が色濃くなった瞳が、ゆっくり
細められる。痛みを堪えるようなそれに、三橋の胸にも小さな棘が
刺さったような感覚が走る。
「・・・・・そんなに、好きなのかよ」
絞り出すような声は、掠れて少し震えていて。普段の阿部らし
からぬ声色に、声にならない想いが込み上げてきそうになるのを
必死に押し留める。
(好き、だよ)
「好きなのかよ・・・そいつが、そんなに」
(好き、なんだ・・・よ)
口にしたら、そのまま言わなくていいことまで言葉にしてしまい
そうだから、心の奥で応える。
好き。
好きだ。
好きなんだ、よ。
だから、絶対に。
「・・・オレにだけは知られたくないって、どんだけ・・・・・」
放心したように呟いた阿部が、自分の言葉にハッとしたように
三橋を見つめる。
「お前・・・」
急に強い光を帯びた瞳に見据えられ、ひた隠しにしてきた奥底の
それを覗き込まれてしまいそうで、慌てて目を逸らそうとしたけれ
ど、包み込むように頬を両手で固定されて、叶わなくて。
「あ、・・・・・」
戸惑いながらも、迷いながらも。阿部は、僅かな期待と確信を
持って問う。
「オレが好きなのか?」
ヒュッと三橋が息を飲んだ音が、やけに大きく響く。青ざめた顔、
震える唇。
それが、答え。
「オレが好きなんだな?」
静かな問い掛けに、三橋はハラハラと涙を零し続ける。違うよ、
そうじゃないよと首を振ることだって出来たのかもしれない。首を
振る投手は嫌いなんたと言われたけれど、ここはマウンドじゃない
んだから、きっと今ここでそうしても許される。
そう思うのに、真直ぐに見つめてくる瞳から逃げられない。
きっと、もう誤魔化しようがない。
「ゴ、メンナサイ・・・、っ許して、クダサ・・お願い、だから」
ごめんなさいごめんなさい。勝手にこんなに好きになっちゃって
ごめんなさい。どうか許してクダサイ。頭の中でグルグル回る言葉
の半分もちゃんとした音にはならず、しゃがみこんで泣きじゃくる
三橋の前に、阿部がやおら腰を屈め膝をつく。
「三橋」
低く。耳朶を震わせる声に、一層身を縮こませる三橋の丸まった
背に、阿部の手がゆっくりと回る。
「っ、・・・・・!?」
抱きしめられている。
何故、どうして、こんな。腕の中に閉じ込められて混乱する三橋
の耳に、低い声が響く。
「許さねえ」
「・・・・・、っ」
やはり。許しては貰えないのだ。知られてはいけなかったのだ。
好きになってはいけなかったのだ。けれど、だったらこんな風に
優しく抱きしめたりしないで欲しい。心地良さに、目眩がする。
「あ、べく・・・」
離して欲しい。でも、離さないで欲しい。相反する心に、僅かに
身じろぎすれば。
「オレ以外の奴、好きになったら・・・・・許さねえから」
「・・・あ、・・・」
阿部君、と呼ぼうとして。その声は、涙に濡れた頬を掠めるよう
に、ゆっくりと触れてきた阿部の唇に吸い込まれた。
「なあ、三橋ー。オレ、あれからずっと考えてたんだけどさー」
翌日。早朝練習の後、授業に遅れないようにと皆が慌ただしく
着替える中、シャツに袖を通しながら水谷が得意げな笑みを浮かべ
ながら、隣で相変わらずもたもたとアンダーシャツと格闘していた
三橋に声を掛ける。
「な、何・・・?」
プハッと顔を覗かせた三橋と目が合うと、にんまりとその笑みを
深くして。
「阿部しか考えられないんだよねー、三橋の好きな人」
まだその話題を引き摺っていたというのか。いやそれよりも今、
水谷は何と言った。
その場にいたチームメイト達が、あっちゃーと顔を引き攣らせた
時。
「それがどうした」
「あ、う・・・」
腕に絡まったままの三橋のアンダーを一気に剥ぎ取り、手際良く
カッターシャツを羽織らせて、てきぱきとボタンを留めてやりなが
ら、言葉を探して口をパクパクさせている三橋の代わりに、阿部が
平然と応える。
「へ・・・?」
「分かったんなら、もうそれで良くね?」
これ以上は追求無用とばかりに告げると、すっかり身支度を整え
させた三橋を引き摺るようにしてドアに向かう阿部に。
「良かったなー、阿部。ずっと三橋のこと狙ってたんだもんなー」
「・・・・・」
悪意も思惑の欠片もなく言い放たれた水谷の言葉に、渋い表情の
阿部以外の全員が、口をあんぐり開けて固まった。
オレには 好きな人が います
その人は---------------------
両片思い→両思い。
さりげに水谷のお手柄(?)なのか