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列柱室
太陽は西の地平線に姿を隠した。 替わって天空を白く冷たい光で満たし、権高なおももちで地上を見おろしているのは蒼ざめた月。
神殿の聖池で沐浴をすませたマハードは、闇に突き立った銀の弓矢のようなオベリスクの脇を通り抜け、聖なる文字が隙間なく彫りこまれた134本の円柱が立ち並ぶ大列柱室へと足を踏み入れた。
パピルス柱の森の中から見上げる高い天井にはいくつもの小さな格子窓。 そこから降り来る月の光は、列柱と列柱の間を埋め尽くす偉大なるファラオや諸神の像をまるで幻のように照らし出している。 ほぼ完全な静寂に包まれたこの場所で独りたたずんでいると、己の呼吸音のみならずどくどくと鼓動する心臓の音までが聞こえてくるような気がする。
聖池の水に浸されまだ濡れたままの髪に首筋を冷やされて、マハードは小さく身震いをした。 肩まで伸ばした髪の先を指先でいじりながら、今夜は満月で良かったと彼は思う。 いつもならば日が落ちると同時にどっしり重たい闇に包まれる列柱室。 だが今夜の月光はすべての柱に描かれ王に祝福を与える神々の姿を青白く、その一つ一つの輪郭さえも目でなぞれるほどに冴え冴えと浮かび上がらせている。
まるで夢のようだ・・・ 自分は目覚めているのかそれともまだ眠っているのだろうか。
月の明るい夜ここに来ると、マハードは世の中の事象と自分の人生すべてが夢のなかの出来事に思えてきて、なぜかしら胸が掻きむしられるようなたまらない寂しさを感じるのが常であった。
物思いにふけりながら冷たい柱に頬を寄せ、長い人差し指で美しく彩色された彫刻の一つにそっと触れてみた。 それは淡い灰青色した大きな鳥。優雅な長い首に支えられた華奢な頭には太陽円盤をいただいたベヌウ鳥。
再生を願う死者の守り神、オシリスの心臓から出た栄えある魂。
黄金に燃える太陽円盤からゆるやかなカーブを描くベヌウの首・・・そして細かく彫りこまれた羽根にマハードがつつ、と指先を滑らせた時・・・
白い敷石の上に沈殿した月光をぴりぴりと震わせて耳に届いたのは、列柱室に反響する神経質な靴音。 それは・・・神殿でも王宮でも嫌というほど聞き慣れた金のサンダルが立てる音。
リズミカルに石畳を踏みしめる足音が徐々に大きくなってきた次の瞬間、パピルス柱の森の中から現れたのは夜目にも鮮やかな青冠を頂いた背の高い姿であった。 細く差し込む月光に硬質な輪郭を浮き上がらせながら彼は問う。
「マハードお前・・・一体何をしているのだ?」
「・・・・・・セト様・・・」 だが、返答しようと口を開きかけたマハードの言葉を遮ってセトは続けた。
「今夜はここの至聖所には得度のために神官見習いが何人か泊まり込んでおるのだ。これらがまたなかなか見所のある若者なのだが・・・ その者たちが眠らずにきちんと経文を唱え、隠れし神の出現に備えた勤めを果たしているか見守るのも我々アメンに仕える者の勤めでな・・・まぁ本職が警察風情の半端神官であるお前には関係ない話だが」
右の口角を微かに引きつらせながら美しい半月を描く片眉を上げてみせるセト。
「これも本来は大神官であるアクナディン様の役回りなのだが、ここしばらくの盗賊騒ぎがご老骨にはいたく響いたらしいーそれも当然のことよなー今夜は疲れたとのことで早々に床に入ってしまわれたので、私がじきじきに見回りに来たというわけだ。」 ラピスラズリ色の衣をまとった男は、まるで前もって用意した台詞を棒読みするような饒舌さで、尋ねられてもいない事を流れる水のごとくまくし立てた。
その、なにかいつもとは異なったセトの様子にいくばくかの不自然さを感じたマハードは、思わず目をしばたたかせ不審そうに首を傾げた。 だが、残念ながら彼はそれ以上の繊細な推測のできるような男ではなかった。
もし彼が至聖所に行ってみれば、そこには神官見習いの少年はおろか猫の子一匹いないことがすぐに見て取れたはずだったのだけれども。
「ところでマハード、お前は一体どうするつもりなのだ?」と突然の問い。
「・・・どうするつもり、と申されますと・・・」
「王の永遠の家を足蹴にし、神の作りたもうた秩序を脅かそうとする神をも恐れぬあの輩のことよ」
「バクラですか・・・」とマハードは眉根を寄せる。
「あやつ以外に誰か他に問題があるというのか?第一、王墓警備の最高責任者であるお前がこんな時間にこんな所をうろついているとは一体何事なのか?少々事態を甘く見ていらっしゃるのではないのかマハード殿は?」
いつもと変わらぬ唄うような調子の叱咤を浴びながら、さっき感じた不自然さはやはり気のせいだったのだ、とマハードは思った。なに、いつもと変わらないセト様じゃあないか。
ただ、この五年間途切れることなく耳にしてきたセトの棘のある台詞は、なぜかは分からぬが今夜に限ってはマハードをうんざりさせるものではなかった。 きつい物言いはいつもと何ら変わりはないものの、どこかしらこう・・・いつもに比べて刺々しさがないような、毒を吐きながらも心は遠くに置いてきたような・・・ どこか空虚なセトの言葉。
「申し訳ございません」
奇妙な感じを抱きながらもマハードは素直に頭を垂れた。
「このような大事に至ったのはすべてわたくしの至らなさゆえでございますのでどのように厳しいお叱りを受けても当然のこと。バクラの脅威については何とかそれを食い止めるための方策を練っておりますゆえ・・・」 顔を上げると鳶色の瞳で正面からじっとセトを見つめた。
「もうほんの少しだけお時間を頂ければ嬉しゅうございます」 そして深く一礼すると「それではわたしはこれから西岸に渡らねばなりませんので・・・失礼いたします」と挨拶し列柱室を後にしようとした。
だが・・・セトの横を通り抜け正門へと足を向けようとした時わすかに開いた薄い唇。
「許さんぞ」
それは耳を澄まさねば聞き逃してしまうような呟き。
「・・・え?・・・」
足を止め振り返ったマハードの目に映ったのは、錫杖を固く握りしめたまま頬を紅潮させ仁王立ちしているセトの姿。
何年ものあいだ病床にあって衰えきった男のような苦しげな息を吐きながら、セトは呟いた。 「私の許可も得ず・・・勝手に行くことは許さん・・・ぞ?マハード」
「・・・絶対に許さん・・・!」
喉の奥からやっとの思いで絞り出すように付け加える。
誇り高いセト。
美しく怜悧な顔の下に限りない自信を秘め、まるで我こそが世界の法だと言わんばかりの尊大さをもって周囲を威圧するセト。 青い衣の裾をひるがえしいついかなる時も頭を高く掲げ、硬質な線に護られて金のサンダルの音も高らかに王宮を闊歩する姿。 なんぴとをも我が王国に入れたくないのだとばかりに、心の周りに高い城壁を張り巡らし冷たい空白地帯を作っている男。 マハードが見慣れた錫杖の担い手は、常に片眉を上げ冷笑を浮かべて自分を叱咤する者であった。
だがどうしたことなのか。 今目の前で唇を噛む青い衣の男からは、いつもの加虐的な、凍り付いたような表情がすっかり消え失せている。 代わりにそこにあるのは肩を震わせ立ちつくす、今にも泣き出さんばかりの小さな子供のような頼りない姿ではないか。
誰にも近寄ることあたわざる青銅の仮面は今やはがれ落ち、剥き出しの感情も露わにセトは固く唇を噛んだまま無言でマハードを睨み付けた。紺碧の夏空をそのまま映し取ったような瞳に怒りとも哀しみともつかぬ青い炎を揺らめかせながら。
いきなり目の前に想像だにしなかったセトの姿を突きつけられたマハードは、すっかり困惑して目の前にあるアラバスタの彫像のごとき男をじっと見つめ返した。 そう、彼にはただ黙って見つめ返すことしかできなかったのだ。
彼は自分がこれからバクラとの最後の決戦に向かうことをどうして知っているのか。 この計画はファラオその人とごく一部の警察内部の人間にしか知らされていないはず。 それとも人よりも遙かに鋭い直感力を持った彼には自分の計画などお見通しだったのだろうか・・・
錫杖を固く握りしめたまま今では白い石畳に目を落とし体を硬直させている姿は、なぜかしらとても小さく頼りなく見えてマハードはひどく心を掻き乱される。 高く秀でた額と美しい弧を描く眉、その下には清廉な泉の水に映った空の青さ。
セトは夢のように美しい瞳でしばらく床を凝視していたが、突然顔を上げるともの言いたげにマハードを見つめる。 ハトホルの石(トルコ石)よりなお青い瞳。 そこに浮かんだ決然とした色にマハードは震えた。
ほんの少しだけなら手を伸ばしてもいいのだろうか? そっと手を取って握りしめても?
それともしっかりと抱きしめても?
だがすぐに気付いたのだ。
自分は彼に手を触れてはいけない。 それだけは分かった。
巨大な列柱に支えられ濃紺の天空を埋め尽くす金の星が描かれた天井。 その端から本当の夜空に向かってもうけられた小窓から洩れ来る月光は、林立するパピルス柱の間、言葉を失ったまま立ちすくむ二人をぼんやりと照らし出す。 そこには原初の丘の回りに広がる海、生命が生まれる前の世界に似た静寂のみ。
やがてゆっくりとセトの薄い唇が開き、何か言葉を発しようとした時・・・
ピュロン(城門)の方から誰かの呼び声が深く遠く夜空に響いた。それは衛兵が交代を告げる声。
マハードはその声で眠りから揺り起こされたようにゆっくりと口を開いた。
「・・・セト様・・・私は決して死にに行くのではございません」
「マアトを脅かす不遜の輩の前にむざむざ命を投げ出しに行く者が一体どこにおりましょうか。 ラーの船が三回ナイルの上を通り過ぎるまでには必ずや皆様の前に無事な姿をお見せすることができるでしょう ですからセト様・・・今夜は私めの事は心配なさらずどうぞ安らかにおやすみ下さいませ」
そこまで言うと微かに微笑み深く一礼したマハードは、踵を返し静かに列柱室を後にする。
前庭で足を止めてつと振り返ると、巨大なパピルスの森の中、セトはまるで月明かりに照らされる神々の像の一つに化したかのように、身じろぎもせずじっと・・・ただそこに立ちすくんでいた。
すんません! 「セト様ファンに毒団子食わされるぅ〜!」とぶるぶる震えつつも「告ろうとして玉砕なセト様」をば書いてしまいました。
私のマハセト(セトマハ)観はかつて、「エキセントリックで都会的な天才神官と武闘派の田舎出身イモ警官とのパワーゲームであってそこには恋愛感情は介在しない」だったんですが、最近では「妖女にして処女であるサロメと死ぬまで彼女を拒否する殉教者ヨカナーン(多分童貞)」と変化してきたんですよ。セトはマハードの首を銀の盆には載せられませんでしたが。
サロメとヨカナーンの如く、セトとマハードの間に愛や憎しみが存在していたとしても、永遠に相反する存在である二人が混じり合うことは無かったのではないかと思っています。
男性的・直線的な鋼鉄の意志の力を持って覚醒し己を御するアポロン的人物のマハードと、女性的・曲線的・冥界的に混沌を引き起こすディオニソス的人物であるセト。 象徴的なことにセトは雷と混沌の神の名を持っている一方、マハードはその頭に創造神であるラーの太陽円盤=調和のとれた世界を明るく照らすものを戴いているのと対照的です。
それとも太陽円盤とそれを挟む竪琴型の角とを一つにとらえるならば、あの冠は「ラーの娘」である女神ハトホル(しばしばマアトー正義と結びつけられた)のものでしょうか。 この女神は愛と生命の女神であっただけではなく、テーベでは「西方の山にいるハトホル」として葬祭の女神として扱われたというのも、マハードが墓地の守り手であった、という点において暗喩的と受け取れるかも。 (又時にこの女神は「オシリスやホルスと共にセトに相対する存在」であるイシスと同視されることもあるそうです)
また、セトのまとう衣装が「生命の源であるナイルの青」に染められているのに対して、マハードがまとうのは、夜と昼の両方が存在しつつそのいずれでもない宙ぶらりんな状態の空の色、古来より儀式で神聖な色とされ、生命の青とは反対に死せる者を象徴する白色。
ただ、セトの戴いた青冠(ケプレシュ)で鎌首をもたげるコブラは、王の属性として王冠にのみ飾られるようになる以前から、「ラーの眼」と呼ばれ太陽円盤を護る守護者としての役割が付与されていたということで、「実はマハードを護りたかったの?素直じゃないわねセト様」とか思ってもみます。
とか言いつつも、きっとセトとマハにああいう格好をさせた当人の和希センセは 「うーん、このあたりでいっとけ。さっさと片づけて早くカレーでも食べに行こうよ」 とごくごくテキトーに流していらっしゃるとは思うんですけど(笑)だって男であるマハードにハトホル女神のシンボルとは・・・
とはいえシャーディーは頭に象徴的に羽(死後の審判で心臓と共に秤にかけられるマアトの羽)を付けてたし、ブラマジの顔は「死者であることを示すと同時に再生の色でもある緑」(冥界の王であるオシリス神も顔が緑に塗られているのを見よ)にカラーリングされているとあっては、センセが意外とあちこちに暗喩を散りばめてらっしゃるのかも、と思ったりして。
私はシンボリズム大好きなもんでこういう深読みが楽しいんですが、あいもかわらずすげぇうざいヨミですいませんねぇ・・・
↑ここまでは遊戯王を始めてまだ日が浅い頃(とはいってもマハ玉砕のあたり)に書いたものです。いや、当時は自分こんなこと考えてたんだなぁ・・・ウザい深読みは相変わらずなものの(笑)
この短編、マハードメインで遊戯王コンテンツをオープンした少し後に書いたんですが、余りに恥ずかしいのでサイトからおろしていたところ、数人の方から「もう一度上げろ」とのリクを頂いたもので羞恥プレイとは思いつつも戻してみました。
・・・でもやっぱり羞恥プレイでした。顔から火が出そうだ・・・
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