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峡谷にて
見渡す限り岩と砂ばかりの荒涼とした山肌。そんな風景の中、ただ一本だけすっくと立つアル・ガワンの樹。
夜明けを待つ濃紺の空に大きく広げた梢を飾っているのは、今まさに満開の紫がかった小さな赤い花である。
5月とはいえまだ冷たい風が渓谷を吹き抜けるたびに舞い散った花びらは、独り崖の上に座っているハーネマンの傍らにも届けられる。
だが、彼はそんなものに気を取られる様子はない。手にしたナイフで、どこから拾ってきたのだろうか、ひねこびた木片を一心不乱に削っているのだ。
男の背後に近づくと無言のまま隣に腰を下ろしたのは、カラシニコフを肩から提げてはいるが、表情にはまだ子供じみたあどけなさの残る青年。
青年は相手が自分を拒否しないままナイフいじりに没入していることを確認すると、眼下の樹を見つめながらおそるおそる切り出した。
「今年もアル・ガワンが咲く季節になった」
「・・・・・・・・・・・・」
「あんたはアル・ガワンの祭りを見たことあるかい?」
「いや・・・・・・聞いたことだけはあるが」
「戦争の前には、あの花が咲く頃になると毎年どこの村でもやってたんだ」
「・・・・・・・・・・・・」
「あんたの国でもアル・ガワンは生えてるのかい?」
ハーネマンはナイフをいじる手を止めると、焦点の合わない目で遠い記憶の底をさぐっているかのような表情を浮かべていたが、やがてゆっくりと唇を開いた。
「いや、俺の国じゃないが、アメリカでなら似た花を見たことある」
そして、今を盛りと誇らしげに梢を広げる壮麗な、だが荒涼とした風景にあってどこか寂しげでもある樹に視線を落とすと続けた。
「ワシントンの川縁ではサクラとかいう花が沢山咲いてた。色は違うがアル・ガワンに良く似てた」
「サクラ?聞いたことないな」
「アル・ガワンよりもっと色が薄くて・・・・・・そうだ、お前さんも知ってるだろ?アーモンドの花にそっくりだったよ」
「アーモンドかあ」
知っている名前を聞いて嬉しかったのだろう、懐かしそうに笑いながら青年は言った。「それなら俺の家の庭にもたくさん植わってたよ」
「・・・・・・どこだ?故郷は」
「バダクシャン」
「・・・・・・ふーん、そうか」
それきり口をつぐんで、再びナイフと自分だけの世界に戻ってしまった男の白い横顔を、熱を含んだ目でしばらく見つめていた青年は、
「ずっと昔の歌なんだけど・・・・・・」と言うと、低い、だがよく通る声で歌い出した。
お前の目はバラワンのアーモンドの目
私が死ぬ時にはそばにいて欲しい
そして手を私の首に回してくれ
そうしたら安らかに死ねるだろうから
どうか、それだけを私にして欲しい
「なあ、知ってるかい?」
「・・・・・・なにを」
「『アーモンドの目』ってこっちじゃ美人の代名詞なんだよ」
「ああ、そうらしいな」
「あんたの目も、その・・・・・・アーモンドみたいだ」
「はぁ?・・・・・・ケッ、やめてくれ」
長く気まずい沈黙の後、青年は風に花びらを舞い踊らせる樹に目をやったまま口を開いた。
「なあ・・・・・・俺が戦士として死ぬ時にはそばにいてくれるかな?」
ハーネマンは顔を上げると、不思議な色の浮かんだアーモンド型の目で青年をじっと見つめていたが、再び木片を削りながらそっけなく言った。
「ま、時と場合によってはな」
「 ・・・・・・よかった。ありがとう」
青年はにっこり微笑むと、再び小さな声で歌い出す。
戦いで私が死んだら
聖なる死者となるだろう
戦いで私が死んだら
綺麗な松の木で棺を作って
ゆっくりゆっくり運んでくれ
あの黒い土の上まで
濃紺の空は、東の方からほんのわずかに薔薇色に染まり始めた。
山頂にはまだ白銀を頂いたヒンズークシュの山々は、男達の視界の及ぶ果てまで、遠く遙かに連なっていた。
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